バスケ初心者からプロクラブ設立。アースフレンズ東京Zの誕生秘話

2018.11.07 AZrena編集部

「僕は、「お金もないし人脈もないし、バスケットボールは初心者レベル。大田区に何かのゆかりがあるわけでもなかった。何も知らなかったけどできました。」と、やればできるよというのを伝えたいんです。」

(株式会社GWC代表取締役 山野勝行)

 

サラリーマンからプロスポーツチームのオーナーになるという経歴を持つのは、B2リーグ・アースフレンズ東京Zのオーナー兼社長を務める山野勝行さんです。ただ、彼がバスケットボールに興味を持ったのは、サラリーマンをしていた20代後半の頃。バスケを題材として書かれた一冊の小説と出会い「面白いスポーツなのにどうして日本では観客動員数が少ないのだろう」と疑問を持つようになったのです。当時の山野さんは、自分自身は壁にぶつかっていると実感していた時期でもあり、これを機にバスケの道を志すようになります。

 

35歳をリミットと決めて歩みを進めた山野さんは、どのようにしてクラブの経営者となったのでしょうか。そして、その先に見据える夢とは。

 

選手としては活躍できないと感じていた子供時代

小学3年生の時に、野球を始めました。僕はそこまで上手くはなかったので、しっかりベンチを守っていたのですが、コーチをしていた父や、後から野球を始めてキャプテンになった3つ下の弟と比べられることもありました。中学の時は、生徒会活動に力を入れていました。高校ではハンドボール部に入ったのですが、僕と同じタイミングで、中1の弟がハンドボールを始めたんですよ。そしたら弟は高校時代に県でベスト8に入るくらいの成績を残して、少年野球の時と同じで差をつけられてしまいました(笑)自慢の父、弟です!

 

そういう経験から、プレーヤーとしては華が開かないというのが子どもながらに分かっていても、スポーツは好きでした。特に野球はずっと好きで、横浜出身ということもありベイスターズの試合はよく見に行っていました。中学の時にはJリーグが開幕して、サッカーを見るようにもなりましたし、ヨーロッパに観戦に行ったこともあります。一方、大学時代は演劇部に入っていて役者を目指していたんですよ。ただ、結局は役者の世界も体育会系だということに気がつき、この道も諦めることにしました。それからは、体育会ではないもっと論理的な世界が良いと思い、金融系の仕事に興味を持ちました。そういう流れで証券会社に入社して営業を始めたのですが、この世界も結局は体育会系なんだと感じてしまったんです(笑)。そうなるともう諦めもつくので、この世界で絶対に1番になろうと決めました。その決断をしてからは人生が楽しくなっていきましたね。

 

「夢」=「ポジションを語る」ではない。

ただ、20代後半にうまくいかない時期を迎えました。そこでたまたま知り合いの経営者からバスケットボールの小説『ファイブ』(※ノンフィクション作家平山譲によるスポーツノンフィクション小説。)を教えてもらったのですが、それを読んで感動し、主人公である佐古賢一さん(※元男子プロバスケットボール選手)のチームの試合を観に行ったんです。

 

バスケットボールはスピード感があって、小さい選手でもスターになれる。これがかなり自分に響きました。僕も小さくて、スポーツをずっとやっている中で「スターになれるわけがない」とずっと思っていたんです。ただ、バスケットボールは風貌だけ見れば普通の選手でも活躍できる可能性がある。そういった選手が3ポイントシュートで試合を決めるんですよ。小さくてもスターになれることに希望を感じました。あとは、最後までどうなるか分からないというところも好きです。ブザービートもそうですけど、残り1分で10点差があっても、逆転できる可能性があるというのが、バスケットボールの醍醐味ですね。野球やサッカー以上に、最後の最後まで何があるか分からないスポーツだなと感じました。

 

 

当時は(現)三菱UFJモルガンスタンレー証券に務めていたのですが、経営者の方に「山野くんの夢はなんだ」と聞かれて、「UFJの社長になることだ」と言ったことがありました。それは本当に思っていたことだったんですが、「山野くん、夢というのはポジションのことを言うんじゃないんだよ。UFJの社長になって何をやりたいんだ」と聞かれました。それに対して僕は「お金が欲しい」というような答えを返したんですね。そうしたら「お金はツールなんだよ、夢じゃないよ」と言い返されてしまって、僕には夢がないんだと良く分かりました。

 

「それならば夢ができた時に必要なお金の運用や時間管理の能力を身につけて、いつか夢ができた時にチャレンジできれば面白いのではないか」とその方に言われたんです。

 

バスケットボールに感じた、圧倒的コスパの良さ

加えて、期限を決めたほうがいいと。僕は35歳を期限と決めたのですが、その年が近づいてきたときに、1つ夢として挙げられたのがバスケットボールでした。マーケットについて調べていくと、世界中で流行っているのに日本だけ流行っていない。そういうところに面白みを感じましたし、日本代表が強くないというところも変えていかないといけないかなと。そこで、最初はバスケットボールを統括している協会に入ろうと思い、35歳になって最初に東京都バスケットボール協会に電話しました。どうしても諦められない夢だったので、3回も電話をしたものの、それでもダメでした。協会には縁がないなと思ったので、ならば別のルートで夢を叶えようと。そこで思いついたのが、自分でクラブチームを作って、育てた選手を代表に送り込んでメダルを獲ってもらうという考えでした。

 

クラブチームを作りたいとはいえ、お金がないので、コストが低いということは重要でした。実は僕にはプロサッカーチームを作りたいという願望もあったのですが、プロサッカーチームはコストが高すぎて庶民ではできません。ただ、実はバスケットボールチームを作ることは、そこまでコストがかからないんです。バスケットボールチームは5人、登録選手まで入れても10数名くらいの規模です。野球やサッカーはその何倍にもなりますから、人件費が大きくかかるんです。試合数も野球は100試合以上で、遠征も多くなります。バスケットボールは室内競技なので、天候が関係ないということも大きい。当時、bjリーグが1億〜2億円前後でやっているという話を聞いたんですよ。