【前編】ボクシング世界王者・藤岡奈穂子。見据えるは前人未到の3階級制覇。

2015.02.16 森 大樹

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今回は女子プロボクサー・藤岡奈穂子選手にお話を伺いました。藤岡選手は竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネスジム所属で、アマチュア時代は23戦20勝3敗(12KO)(国内無敗)という圧倒的な強さを誇り、プロ転向後も日本人女性として初の世界タイトル2階級制覇(ミニフライ級・スーパーフライ級)を達成されています。現在は3階級制覇を目指し、挑戦を続けられています。選手として長く活躍するために大切なこと、女子ボクシングの魅力に迫ります。

 

長年プレーしたソフトボールからボクシングへ転向

 

-まず初めに藤岡さんのスポーツ経歴を教えてください。

中学、高校、実業団とずっとソフトボールをやっていました。学生時代はインターハイや国体にも出た経験があります。小さい頃からずっと父親とキャッチボールをしていて、物心付いた時にはボールに触れていました。まだその頃女子で少年野球をやっている人はいなかったのでソフトボールをすることになりました。ポジションは主にショートを守っていました。中高時代はよかったのですが、実業団のチームは小さく、自分もオリンピックに行くような実力ではなくて中途半端な感じでした。そこのチームではキャプテンで選手と会社を繋げるパイプ役のようなことをやっていたのですが、揉めることも多く、ある日社長の方からお前の代わりなんていくらでもいる、と言われて自分はコマの一つでしかないと気づいたんです。

それがきっかけで個人競技をやりたいと考えました。何もしないで終わるのは嫌だったので、やるからには一番になって自分が納得できる競技を探しました。空手や柔道は小さい頃からやっている人がいるので、大人になってからやっても勝てないと考えていたのですが、ボクシングならいけるかもしれないと考えました。

 

-それだけ長くソフトボールをされていていたにもかかわらず、全く別の競技を始めるとなるとかなりの決断が必要だったと思います。

社長からそれを言われた時は頭の中が真っ白になりました。ソフトボールしか考えられなかったので、正直悔しかったです。すぐにボクシングに行き着いたわけではなくて、しばらくの間はダラダラと運動もせず、過ごしていました。それに伴って痩せていってしまいました。自分からスポーツを取ると本当に普通の人だなと感じましたね(笑)

ボクシングはテレビでやっていれば観るくらいで、まさか自分でやるとは考えていませんでした。格闘技自体も他の種目は全然知りませんでした。触れる機会がなかなかなかったんです。

 

-個人競技というと陸上やラケット競技を思い浮かべますが、女性で格闘技となると痛いなど、抵抗を感じる部分も多いと思います。なぜあえて格闘技だったのでしょうか。

初めは腕っぷしが強いからいけるんじゃないか、くらいで深く考えていなかったように思います(笑)結局バドミントンやテニスは個人競技といってもチームに所属する必要があります。格闘技なら一人でもできるというイメージで選びました。

 

-競技はどのような形で始められたのでしょうか。

地元は宮城なのですが、東京のようにプロ選手を輩出しているようなジムはなかったので、たまたま近所にあったアマチュアのボクシングジムに行くことにしたんです。10年間はそのジムでやっていました。ジムと言ってもしっかりとした設備があるわけではなく、公民館の一角を週3回、2時間だけ借りて活動していました。道具もサンドバック1つと姿見があるくらいです。リングもなかったので、どこまででも逃げられてしまいます(笑)

実は空手教室などにも電話をかけてみたのですが、年齢を伝えると予想通り難しいと言われてしまったので、ボクシングジムに試合に出たいと電話したんです。もちろんすぐには出られないと言われました。ジムの会長も女子の試合があるのかも分からなかったくらいで、本当にゼロからのスタートでした。練習を始めてちょうど1年した頃にスパーリング大会があったのですが、人がいないので、いきなり全国大会だったんです(笑)新人の部門で出て、1戦目にもかかわらずKOで相手を倒せたので、手応えを感じました。

 

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-やはり初めてのKO勝ちは気持ち良かったですか。

実はあまり覚えていないんです。リングに上がったら頭が真っ白でしたから。

 

-それだけ女子の選手が少ないとなると練習相手もいなくて難しそうですね。

練習の時はジムの会長がミットを持ってくれたりしました。スパーリングの相手は普通のおじさんや国体選手など、基本的に男性でした。女性とスパーリングするとなると出稽古する必要があり、仙台のジムに年に数回行く程度でした。

 

-その練習環境にもかかわらず、国内でのアマチュアキャリアを無敗で終えたというのは本当にすごいですね。

本当にたまたまです。後輩ができてくるとそのことを言われるようにもなったので、今更負けられないと意識はするようになりました。年に1度しか大会がなかったので、その1回にコンディションを合わせるのは難しかったです。負けたら1年間に何をしてきたのか分からなくなってしまいますから重要です。

アマチュアからプロへの転向を決断

 

-女子のプロボクシングが解禁になってからもアマチュアを続けられていた期間があるのはなぜですか。

プロになる気がなかったからです。年齢もある程度重ねていましたし、仕事も安定したところに勤められていたので、何の保証もない東京に出ていってゼロから選手としてやることに不安がありました。

 

-それまでは働きながら競技をされていたということですか。

佐川急便で働いていました。ドライバーコンテストに出場したこともあるんです(笑)運転と車両点検、交通規則の学科試験で争われて、優勝すると出世コースに乗れるらしいです。

 

-そこからプロに転向することを決断したきっかけを教えてください。

一番は※竹原さんに声をかけて頂いたからです。アマチュアの大会が東京であった時に今の専属トレーナーが選手を探すために観に来ていたんです。そこで興味を持って頂きました。たまたま今のジムの会長(竹原慎二氏)とアマチュア時代のジムの会長が知り合いだったというのもあります。かなり悩みましたが、もし行ってダメだったらまた戻ってきて働けばいいと思ったので、プロ転向を決めました。

 

※竹原さん:竹原慎二氏。元プロボクサー。第20代WBA世界ミドル級チャンピオンであり、日本人で初めてこの階級に挑戦、タイトルを獲得した。2002年に元WBA世界スーパーフェザー級、ライト級王者の畑山隆則氏と竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムを設立した。

 

-今は別のお仕事をされているのですか。

少し前まではやっていましたが、今はしていません。2本ベルトを獲得しているのにそれでも別の仕事をやらないといけないとなると夢がないと思ったので、厳しい部分もありますが、辞めました。今からスポンサーを集めて生活できるようにして、これからチャンピオンを目指す人達のモチベーションになればと思っています。

 

-競技での収入のみだとやはりまだ厳しいですか。

収入はファイトマネーしかありませんし、試合も年に2回程度しかなく、1回の額も少ないので厳しいです。世界タイトルマッチを開催するとなると相手だけでなく、協会の役員なども呼ばないといけないので、それなりにお金がかかってしまいます。海外に行ってやる方がハイリスクではありますが、金銭的にはいいのかもしれません。

 

-階級を変えてタイトルに挑戦されていますが、それはなぜなのでしょうか。

元々防衛回数よりも、複数の階級でのベルトに興味がありました。ただミニフライ級からスーパーフライ級まで3階級も上げることは考えていませんでした。対戦はタイミングや相手の都合があるので、なかなか決まらないことが多いのですが、スーパーフライ級ならできるということで挑戦することになったんです。でもアマチュアでもその階級ではやったことがなかったですから、正直初めは戸惑いました。減量がきつい人はいいと思うかもしれませんが、体重を増やすこともかなりしんどいです。元々そこまで食が太い方ではないので、無理して食べていました。

 

【後編】へ続く