【前編】キング・カズに導かれた市原誉昭。フットサル日本代表キャプテンも経験した男の現在地。

2014.12.04 森 大樹

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今回はフットサル元日本代表選手の市原誉昭さんにお話を伺います。市原さんは小学校卒業後、単身ブラジルに渡り、キンゼ・デ・ジャウーなどの名門クラブに所属。帰国後は横河電気サッカー部(現・JFL横河武蔵野FC)に加入。1998年からはフットサルに転向し、日本代表に選出されキャプテンを務められる他、Fリーグ・バルドラール浦安、ペスカドーラ町田、湘南ベルマーレでご活躍されました。市原さんの人生を大きく変えることになる、1人のある選手とのエピソードに注目です。

 

カズに影響を受けブラジルへ

 

-まずはスポーツの経歴を教えてください。

小学校1年生の時にサッカーを始めて、小学校5年の時にチームでブラジルに短期留学に行ったんです。僕がいた時にはまだ弱小だったんですけど、今は埼玉では名門の新座片山FCというチームに所属していました。全国大会でも3回ぐらい優勝していて、一昨年もたしか優勝していたと思います。そこで初めてカズさん(横浜FC所属・三浦知良選手)と出会いました。カズさんは18歳、僕は10歳でした。当時カズさんの存在は知っていましたが、顔も見たことなかったですし、ブラジルに住んでいる日本人のお兄さんくらいにしか思っていませんでした。ブラジルで滞在していた僕らのホテルに来てくれて、外で一緒にボールを蹴ったんです。デニムにローファー、Tシャツという出で立ちで、リフティングがすごくうまくて、ブラジルにいるとこんなにボールタッチがうまくなるんだなと感じました。サインをもらったりとか写真を撮ったりしている中で、ふと僕にカズさんが「サッカー好き?」と話しかけてきてくれたんです。好きですと答えると「小学校卒業したら、ブラジルに来ればいいじゃん。」と言われました。僕はその言葉が忘れられなくて、日本に帰って両親に伝えたのですが、当然何言ってるのかという感じでした。短期留学に行くだけでもかなりのお金がかかっていましたからね。でも小学6年になる時に父親に呼び出されて、全寮制の学校に行くかブラジルに行くか選べと言われたんです。

 

-すごい選択肢ですね(笑)

もう即決ですよ。ブラジルに行きたいと。随分と早い人生の選択を迫られたわけです。ただブラジルに行く上で、いくつかの約束事がありました。それを当時はブラジル約束と呼んでいました。1年間守ることができたら行かせてやるというものですね。自分で起きて、自分で食事する、つまり自分のことは自分でしなさいということですね。その他にも嘘を付かない、泣かない、など小学生によくある内容が4つです。3ヶ月くらいで全然できなかったんですけどね(笑)できないと1つずつ「ブラジル」の文字が消されていくので、頑張るわけです。たまにブ。だけになったりとか。ブラジルに行きたいのにブだけじゃ行けない!と頑張りました。それを続けていくうちに本気でブラジルに行きたいという想いが伝わったようでした。地球の裏側で言葉も通じないわけですから、自分で生きていけるかと親父は見ていたのでしょうね。

 

-そうしてブラジルへ行くわけですね。向こうでの生活はいかがでしたか。

ブラジル1年目はサンパウロ市内にいる日本人の寮で過ごしました。カズさん含め、日本人がみんな住んでいるところです。当時そこは地方のチームに所属している選手が週末サンパウロに帰ってきて過ごす場所で、ほとんど誰も住んでいなかったのでそこに住むことになりました。午前中は学校に行き、午後は練習という日々を送りました。ただ行ってみるとカズさんはお前、本当に来たのかよというリアクションでした。でも僕にとっては人生を変えた一言だったんです。プロになりたいとかというわけではなく、カズさんに言われて行ったというだけでしたから(笑)1年目はいろいろとお世話になりました。カズさんにも週末帰ってきた時には食事に連れていってもらったり。やっぱり12歳で来たというのもありましたから。2年目は地方のプロ育成所のようなところで午前午後練習して、夜学校に行くという形です。それが20歳まで続きます。ちなみに、ブラジル人は13歳からそれで給料をもらっていますから。

 

-市原さんもそれでお給料をもらっていたのですか。

僕はもらっていなかったです。日本人なので、初めは留学という形で行くんです。そこで認められれば登録してもらえて、試合に出場できる。ただそれだけですね。試合に勝てばお菓子とかはもらえましたけど、お金をもらえていたのは現地のブラジル人だけだと思います。

 

-試合にはいつ頃から出られるようになったのですか。

14歳からだったと思います。地方のチームに入ってすぐです。そのぐらいの年齢までは日本人の方が上手なんですよ。でも15、16歳くらいからはガラッと変わって試合に出るのは大変でした。

 

-ずっと同じチームに所属されていたのですか。

いろいろ変わりました。最初はサンパウロにあるナショナルで、次はカズさんも所属していたキンゼ・デ・ジャウーでした。

 

-日本人ということで差別的なことをされたりはしたのでしょうか。

ありましたよ。でも初めはみんなそうなので。日本人はみんな下手だと思われていますから。カズさんというブラジルに行ってプロになった選手がいたおかげで、期待のハードルも高くなっていた部分もあります。認められれば仲間になれますし、初めて名前で呼んでもらえます。日本人であることによって良くも悪くもあります。チームが勝てば日本人が活躍した、負ければ日本人がダメだったとすべて日本人のせいにされてしまいます。そんな中でやり遂げたカズさんはすごいなと思います。

 

-言葉の壁をどう乗り越えたのですか。

行った1年目は向こうの日系ブラジル人の女性に週2〜3回教えてもらっていました。あとはコミュニケーションを取りながらです。

 

-ポルトガル語が分かればスペイン語なども分かりますね。

(バルドラール)浦安にはスペイン人監督が歴代3人がいて、Fリーグになる前身のチームにもバルセロナから1人来ていました。なのでスペイン語は覚えやすかったです。ただ僕はスペイン語を聞き取ることはできますが、ポルトガル語からするとコテコテの関西弁のようなものなので、僕は話せなかったです。

 

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