menu

自慢の足が動かなくなっても…車いす大学生が抱く、中大サッカー部で成し遂げたい夢

2022.08.05 / AZrena編集部

2022年4月、中央大学サッカー部は株式会社リツアンSTCとのスポンサー契約を発表しました。中大サッカー部のユニフォームにスポンサーがつくのは、創部史上初のこと。この契約を主導になって進めたのは、中央大学サッカー部 営業部で活動する車いすの大学生・持田温紀さんです。


創部95年を超える名門・中央大学サッカー部に、大きな変化が訪れています。

2022年4月、中央大学サッカー部は、株式会社リツアンSTCとのスポンサー契約を発表しました。契約内容にはユニフォームへの企業ロゴ掲載も含まれており、中大サッカー部のユニフォームにスポンサーがつくのは、創部史上初のこと。この契約を主導になって進めたのは、中央大学サッカー部 営業部で活動する持田温紀(もちだ・はるき)さんです。

中学時代までは自身もプレーヤーとして活動していた持田さんですが、高校生のときに事故に遭い、脊髄を損傷。下半身に障がいを抱え、以降は車いすを使って生活しています。その後、持田さんは中央大学法学部に進学。とある授業がきっかけとなり、サッカー部に加入することを決断しました。

その後、中央大学サッカー部はリツアンSTCのほか、株式会社タイカとのパートナーシップ締結や、デロイト トーマツ グループとの共同研究を開始するなど、取り組みの幅を広げています。営業部の一員としてピッチ外で奮闘し、サッカー部を支える持田さんに、これまでの人生や営業部での活動、将来のビジョンについてお聞きしました。

小さいころは、頭脳派サッカー少年

サッカーとの出会いは、幼稚園の頃。親に勧められて園内のサッカーチームに入ったことがきっかけです。小学生になると、かつて小林悠選手(川崎フロンターレ)なども所属していた町田JFCに入り、進学後は中学のサッカー部でプレーしました。

プレースタイルは、スピードで仕掛けるタイプでした。ポジションはサイドハーフです。中学時代は、プレイヤー以外の経験も積むことができました。というのも、チームの方針が少し特殊で、練習メニューや試合の戦術を選手が考えていたんです。僕は“選手監督”として、戦術や選手交代を考えていました。当時から、頭を使って考えることが好きでしたね。

そして、高校1年の夏に事故に遭いました。登校中の自転車事故で、脊髄を損傷してしまったんです。その後は、調子が良くなったり悪くなったりを繰り返しています。まったく歩けないわけではありませんが、数年前から車いすを使って生活しています。

絶望も、希望もサッカーがあったから

当時は“絶望”していましたね。自慢の足が使えなくなり、大好きなサッカーができなくなってしまったので落ち込みました。

ただ、前を向くきっかけになったのもサッカーでした。チームメイトが千羽鶴を持ってお見舞いにきてくれたり、1年半と長い入院生活の間もずっとサッカーを見て楽しんでいました。

あれほど深く落ち込んだのも、逆にそこから前を向くことができたのも、サッカーがあったからです。

週末はリハビリがないので、スタジアムに行くことができます。現地で試合を見ると気持ちがスッキリして、「やっぱりサッカーっていいな」と。

よく見に行っていたのは、地元のFC町田ゼルビアです。試合だけでなく、練習場にも行きました。印象に残っているのは2019年。当時所属していたロメロ・フランク選手と一緒に写真を撮ってもらい、SNSに投稿しました。すると、本人から「僕も頑張るから、あなたもリハビリを頑張ってください」と返信がきたんです。

この話には続きがあります。残留争いに巻き込まれていたその年の最終節、自力での残留を決めるには勝利しなければならない中、相手にリードを許した状況で迎えた終盤に、ロメロ選手が途中出場しました。それからチームは同点に追いつき、なんとロメロ選手の決勝点で勝利したんです。負けているなか途中から出てきて、めちゃくちゃ走って、最後にはゴールも決める。その姿を見て、勇気をもらいました。

<2019 明治安田生命 J2リーグ第42節 モンテディオ山形VS町田ゼルビア>

ロメロ・フランク選手は後半31分に途中出場し、決勝点をあげた。

クラスメイト、先輩…前を向くきっかけをくれた存在

高校2年生までは一般の受験クラスだったのですが、3年生で復学すると教室がエレベーターから遠いという理由で一部の授業をスポーツクラスで受けることになりました。クラスメイトは、全員スポーツのエリートでした。今は早稲田大学のラグビー部でプレーしていて、将来の日本代表入りも期待されている伊藤大祐くんや、横浜DeNAにドラフト1位指名された森敬斗くんも同じ授業を受けていました。みんな明るすぎるくらい、授業中もにぎやかでした(笑)。

一方の僕は車いすで、休学していたので年齢もみんなより一つ上。入りづらいなと思っていましたが、みんなは気にすることなく接してくれました。校内で階段しかないところでは、ラグビー部のみんなが車いすを持ち上げて運んでくれたり、いま桐蔭横浜大学のサッカー部でプレーしている白輪地敬大くんがユニフォームをくれて、それを着て最後の選手権を応援しにいったり。スポーツによって学生生活が充実し、卒業まで明るく過ごすことができました。

高校卒業後については、塾で出会った先輩の誘いで、中央大学に進学しようと決めました。入院生活が長く、志望校すら決めていなかったのですが、高校3年生の5月に復学して、自己推薦入試に特化した塾に入ったんです。その塾に中央大学に通う先輩がいて、「中大においでよ!」と。すごく明るくて、車いす生活になって精神的に不安定だった時期に支えられました。

ですが、高校に通っていなかった時期が長かったこともあり、学校の勉強は全然していなくて……。ただ、以前から社会公民の科目には興味があって、入院中の合間を縫った勉強でニュース検定1級を取ることができました。たしか、僕がその年の最年少合格者だったんです。このエピソードは、入試の面接で鉄板のネタでした(笑)。

先輩の姿を見て、自分も「とりあえず明るく過ごそう」と考えるようになりました。どんな人にも、良いことも悪いことも平等にやってくる。マイナスな気持ちでいると、悪いことばかりを気にして、良いことに気がつけないんじゃないかと思ったんです。

商学部の授業をきっかけにサッカー部へ

大学では法学部の政治分野で、街づくりを勉強しています。地域密着という意味では、今の活動とも通じている部分はあると思います。

そんな中、商学部の渡辺岳夫教授の『Jリーグビジネス論』を、他学部履修制度で受講しました。毎週Jリーグクラブのフロントスタッフの方が来て、講演をしてくださいます。クラブの方だけでなく、Jリーグチェアマンも毎年来てくださったり。いちばん楽しい授業です。

渡辺先生と話しているなかで、「サッカー部が、グラウンド外で活躍する学生を探している」と教えていただきました。そのころの中大サッカー部は、コーチや選手の声をきっかけに、競技以外の活動にも力を入れようと、組織が変わりはじめていたようです。

大学サッカー全体にスポンサーブームの流れがあったなかで、「どうにかしなければ」と危機感があったそうです。その流れのなかで学生を取り込むために、選手・マネージャー以外の入部も許可するようになった、と。

入部するまでは、大学サッカーを見ることはほとんどなかったです。Jリーグや高校サッカーと比べて、スポットライトが当たらない印象がありました。それでも、大学について知っていくなかで、伝統校のプライドのぶつかり合いが面白いと思うようになりました。プロを目指している選手ばかりなので、試合以外でも意識が高いと感じます。

僕は入部するにあたって、『古豪復活』を掲げていました。チームの歴史を調べて、天皇杯で優勝するくらい強かったと知りました。今は2部リーグにいますが、いるべき場所に戻りたいと思ったんです。

個人的な目標としては、またボールを蹴れるようになりたいと思っていました。サッカー部の方に初めて会ったときにその話をしたら、「持田くんの目標は、チームの目標。いっしょに目指していこう」と言ってくださいました。「サッカー部に入ったからには、試合ができるくらいにならないと」と、明るく接してくださったことを覚えています。

営業部でありながら、地域貢献にも注力

僕はサッカー部の中にある営業部に所属しています。事業本部という部をコーディネートする組織に、営業のほか広報や企画の活動部隊があり、その中には主力選手も。スポンサー獲得のほかに、企業や外部の組織を巻き込んだ地域貢献活動にも取り組んでいます。この前は、近くの学校に選手が訪問し、給食を食べながら子どもたちと交流しました。選手たちも楽しみながら活動に協力してくれています。

僕が入る前は何百通とメールを送って営業していたと聞きました。ただ、返信がくるのは数件だけ。まずは中大サッカー部として、価値を高める必要があると考えました。

もちろん資金を集めることも大切です。でも、それ以上に僕はサッカーの面白さや、感動を伝えたい。サッカーに救われた経験が活動の原動力になっているからです。小学生から、おじいちゃんおばあちゃんまで、地域を愛して、地域に愛されるチームにしていきたいと思っています。

大学サッカーの立ち位置を考えると、自分たちの価値はこちらから伝えなければいけない。そのうえで説得力を持たせるためには、具体的な活動実績が必要でした。そこで取り組んだのが、日野市と共同で実施したサッカー教室です。子どもを対象に開催したのですが、想像以上に人が集まって、大好評でした。子どもたちは純粋にサッカーを楽しんでくれたと思います。

そのサッカー教室から、スポンサー獲得にも繋がりました。教室の最後に、子どもたちにお菓子をプレゼントしたのですが、そのお菓子を提供してくれたのが、静岡県掛川にある駄菓子屋「横さんち」でした。たまたま1年生のときのゼミ合宿が掛川で、横さんちの店主が車いすだと聞き、ゼミが終わってから個人的に会いに行ったんです。サッカー教室の話や中大サッカー部の話をして、タイアップが決まりました。自分がイチから企画をプロデュースしたのは、それが初めてでした。

それだけでは終わりません。横さんちの店主の方が、リツアンSTCという企業を紹介してくださいました。社長さんに部の歴史や目標、私の部への思いやサッカーで目指したいことなどを伝えたところ、賛同していただき、初めてのユニフォームスポンサーになってくれることが決まったんです。

初めてスポンサーロゴの入ったユニフォームを見たときは、感動しました。車いすで生活するようになって、自分の無力さを感じる日々を送っていたのですが、いろんな人が僕に可能性を与えてくれました。いろんなことに挑戦しながら、楽しく過ごせているのは、たくさんの繋がりのおかげです。


<写真提供:中央大学学友会サッカー部>

中大の誇りを胸に。「支えてくれた人へ、頑張っている姿を見せたい」

今後は、大学生ならではの柔軟な発想を生かして、中大サッカー部をより地域に密着したチームにしていきたいです。中大OBで今年から指導スタッフにも加わった、中村憲剛さんが川崎フロンターレで築いたような「街から愛されて、街を愛するチーム」が目指すところです。

僕が入部したときに比べたら、資金面はだいぶ改善されました。次のステップとして、地域を盛り上げながら、サッカーの楽しさを広めていきたいです。リツアンSTCさんとの契約の中にも、部を活用した地域活性が盛り込まれています。金銭的なやり取りや、名前を貸し借りするだけの関係ではなく、パートナーとして施策を展開していきたいです。

もう一つ大事にしたいのが、大学の名前です。ユニフォームにスポンサーロゴを掲示する大学は増えていますが、大学名を載せているチームって意外と少ないんです。僕は中央大学を誇りに思っています。チームの歴史やアイデンティティを大切にしながら、価値を高めていきたいです。


<写真提供:中央大学学友会サッカー部>

小さいころは、プロサッカー選手になって日本代表になりたいと思っていました。しかし、足が使えなくなり、その夢は諦めざるをえなくなってしまった。それでもたくさんの人と繋がるなかで、グラウンドの外でさまざまな挑戦ができています。

車椅子の自分になってもサッカーの世界に飛び込むことができたことは、未来を向いて何にでも挑戦していこうという自分の生き方に自信をもたらしてくれました。次はサッカーで新しい夢を創りたい。これまで支えてくれた人に頑張っている姿を見せたいです。

卒業後どうするかは、まだ具体的には決めていませんが、いろいろな経験をしてからサッカーに携わりたいと考えています。夢を無限大に話していいとしたら、将来はサッカークラブを率いることや、Jリーグチェアマンになることもいいなと思います。