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普通の大学生が、世界最大のスポーツマーケティング会社に入るまで

2016.06.23 / 竹中 玲央奈

荒木哲郎

東北楽天ゴールデンイーグルスの創設メンバーの1人である南壮一郎さんは、スポーツ界に入りたくてMLBの全チームに履歴書を送ったりアポなしで訪問したりしていたと聞いたんです。それぐらいはしなければダメなんだなと。ああいう人達でも採られないわけですから、本気でやらないとやばいなと、と思いました。

(荒木哲郎 レピュコムジャパン コンサルティング部門:写真・左)

 

熱狂と興奮を生み出すスポーツを愛する人は世の中に多くいる中、その世界に身を置いて働きたいと思う方もたくさんいるはず。では、どうすればこの業界に入れるのか?間違いなく世に多くあふれているこの疑問に答えを出すための本特集の第2弾は、世界最大級のスポーツマーケティング会社・(※)レピュコムに務める荒木哲郎さん。世の中のありふれた大学生と同じ生活をしていた中、このような道に彼が進めた理由とは…?

※2016年6月21日に世界最大のリサーチ会社・ニールセンがレピュコムを買収したと発表。

本格的に動き出したのは大学生3年の夏から

 

 高校生のとき、大学を決める際に将来のことも考えました。そこで、スポーツビジネスについて学びたいなと思ったんです。その軸で大学を調べ、神奈川大学の人間科学部人間科学科健康スポーツコースに進もうと思いました。ただ、ここでいきなり壁にぶつかります(笑)指定校推薦で行くつもりだったのですが、その枠から落ちてしまったんです。高校3年間は本気でサッカーをやっていて、朝、全体練習後の自主練も1日も休まなかったですし、生活スタイルや食事にもかなり気をかけて取り組みました。ですが、結果として公式戦に1試合も出られなかったんです。そして引退が決まった1週間後に確実視されていた指定校推薦に落ちました。生活の全てをサッカーにかけ、試験勉強でも頑張って良い成績を取ったのに両方うまく行かなく、さらに家庭内でもあまり上手くいっておらず最悪なことが連続して重なりました。今思うと、サッカーや勉強に関しては、それまでどちらも中途半端だったので当たり前の結果なのですが、その時はどん底にまで落ち込みました。とはいえ、やるしかなかったので、落ち込みながらも10月下旬くらいから勉強を始め、希望の大学に入ることができました。

そんな思いをして進んだ大学でしたが、そこでスポーツ界へ入るために精力的に取り組んだわけではありませんでした。サークルへ行って飲み会をして、バイトをして…。ゼミはそれなりに真面目にやっていたのですが、普通の大学生でしたね。

転機は大学3年生。嫌でも就活のことを意識しなければいけなくなり、人生のことをまじめに考え始めたときです。そこで、改めて本気でスポーツ界に入りたいなと思ったんです。私はたまたまサッカーに取り組んできましたが、やはりこのスポーツを通じて繋がる人間関係や影響力というのは大きいと常々感じていました。だからスポーツの価値を高めたいと思ったんです。スポーツを通じて日本を良くしたい、日本を変えたいという思いがありました。

とはいえ、業界は狭いし、どう入ればよいかが分からない。それにそれまでの自分は大学時代に特別何かをやっていた訳ではありません。

レピュコム・ジャパン

オフィスにはアスリートのサインが書かれたユニフォームが掲げられている

入口はmixiだったと思います。スポーツビジネス業界の人達が集まるコミュニティから半田裕さんというアディダスやナイキで働いていた方のセミナーを知って、通いつめました。社会人の方がほとんどでしたので、そこで知り合った方に色々な業界の方が集まるイベントに誘って頂き、人との繋がりを広げました。

ただ、半田さんのセミナーに行って、「座学だけではだめだ」と思い、現場レベルの経験も必要だと感じて、インターネットで色々と調べました。その中でスポーツマネジメントを行う会社であるアンビションアクトを見つけ、東京ヴェルディでのインターンを経験しました。大学4年の1年間だったのですが、時期的にもそれをやるというのは難しい決断でした。普通の人はまず選ばない道ですよね。ただ、ここで逃したらチャンスはないと思ったんです。そして、インターンを続けているときにアンビションアクトの社長から『スポーツビジネスを学べる留学プログラムを作ったのだけど、行かないか』と提案されました。即決しましたよ。卒業してすぐに、というか卒業式の次の日に飛び立ちました(笑)

 生活費も含めると400万くらいは必要だったのですが、そこは親に貸してもらいました。もともと留学への思いはあったのですが、裕福ではなかったですし、割と固いというか厳しい家でしたので、相談もしていませんでした。なので思い切って想いを伝えたときに即答で“いいよ”と言ってくれた時には驚きましたし、そのことに関しては親には感謝しています。留学先はシアトルでした。最初の9ヶ月は学校に通って英語の勉強をして、残りの3ヶ月はインターンですね。ただ、その残りの3ヶ月も“決められていたものをやる”のではなくて、『自分でインターン先を探してこい!』というようなものだったんです。レジュメを書いてメールを送って、電話をして…と。そうやってインターン先を見つけて、活動を終えた後に帰国しました。

そして、そこからまた海外へ行ったんです。シアトルから帰国する数カ月前から次のステップを考えていた中で、日本に戻ったらスポーツ系の就活をしようとも思ったのですが、やはり1年の経験ではまだまだ足りないなと感じました。ビジネス英語のスキルをもっと伸ばさなければいけないとも思いました。

それで帰国後、大学の先生に相談したところ、『知り合いのスポーツ系の会社がメルボルンにある』と教えてもらったので、半年間ほどアルバイトをしてお金を貯め、オーストラリアへワーキングホリデーに参加するために飛びました。

2015年アジアカップの日本語版twitterを運営

 

 オーストラリアにいる際、アジアサッカー協会(AFC)がインターンを募集していたのを発見したんです。そこにダメ元で応募をしたのですが、次の日に国際電話がかかってきて、電話面接をした後、採用されたんです。業務はその年に出来たAFCの日本語版twitterアカウントを中心に、SNSを使ってAFCの活動を日本向けにプロモーションを行うというものでした。主にACL、アジアカップの全試合を、スクリーンキャプチャを使いながらtwitterで実況中継するもので、それは新しい試みということもあり、日本のファンの間でも話題になったと思います。あのツイートをやっていたのが、自分です(笑)。他にも数名インターンがいたのですが、日本人は唯一でした。

アジアサッカー協会インターン

アジアカップにおけるメディアチームと

 アジアカップでのtwitterはかなり拡散されましたね。いろいろなメディアにも取り上げられました。その中で最もネット上で話題になったのはvineで日本代表の試合を解説している際の松木安太郎さんのリアクションを撮ったものだと思うのですが、撮影したのはSNS運用チームのリーダーです。

松木さんは試合中から日本代表がシュートを打つと「ワー!」という感じで立ち上がっていてすごくテンションが高かったので、話題にはなっていたんです(笑)それをこっそり撮ったら、vineでものすごく再生回数が伸びました。これはSNSを上手く使えたなと思います。今もそのアカウントは運営されているのですが、後輩に引き継いでいます。

日本に帰国した後はすぐに現在の職場であるレピュコムジャパンで働くことになりました。弊社の社長である秦さんの名前は昔からよく耳にしており一方的に知っていたのですが、とあるイベントでお会いした際に、直接話しかけたんです。話している中で、『うちにインターンに来ないか』と誘って頂きました。オーストラリアでのワーキングホリデーから帰ってきた2014年の11月から、翌2015年の2月末までインターンとして働いた後、3月から正社員として働くことになりました。最初は誘ってもらったものの、元々会社がリサーチ系ということもあって、自分としては強く“やりたい!”という業種ではなかったのですが、ちょうどインターンが終わるタイミングで、会社が新しい部門を作ることを聞きました。それと自分のやりたいことがマッチしたので、入社に至った、という形ですね。

スポンサーの“意味”と“価値”を明確にする仕事

 

 今、メインで行っている仕事はオリンピックスポンサーのコンサルティングです。オリンピックのスポンサーとなる企業は多いのですが、“なってから何をしていいかわからない”という悩みを持っています。スポンサーになったからには2020年までの4年間で様々な戦略を作って、「オリンピックを通して企業の価値を高めるためにこういうことをやっていきましょう」と提案します。その中で行う様々な活動をリサーチしてまとめて、何が良くて何が悪かったかというのを打ち出し、ブラッシュアップした結果、4年後に“最終的にスポンサーシップの活動を通じてこれくらいリターンが得られました”というのを報告する、長期的なプロジェクトにもなります。

スポンサーになることに対して“東京(日本)でやるから”“日本を代表する企業だから”“競合にとられるわけにはいかない”というような曖昧な名目でなったら終わりでは、投じるお金がもったいないですよね。

 ただの寄付ではなく、スポーツに対してのスポンサーとなることで、“これだけ投じたらこういうリターンが企業にはある”というのを証明し、その価値を最大化しなければいけない時代になっています。

仕事は大変です。これまで、スポンサーということに対してのメリットを考えるという習慣が日本のスポーツ文化の中で無かったこともあり、明確に答えがないものを自分たちで考えなければいけないんです。かなり頭を使いますね。

“やってみる”ことで道は開ける

 

この業界で働くには、強い覚悟と思いが必要です。それが無ければ、入れない世界でもあると思います。そして、スポーツ界うんぬんではなく、働いていくためには自分で考えて、自分で答えを出せる人材でないといけないなと感じます。特にこの世界はまだ答えがないところもありますから。そこの思考力は問われますね。自分は決して良い大学に行ったわけではないですけど、思いは強かった。また、そういった思考力が身に付いたのも、過去のスポーツを通じた失敗からなのです。

 スポーツ系の学部にいたにも関わらず、周りがみんな、普通の就職をしているのが寂しかったのも1つ、ありました。『この世界で働くのは無理だな』と思って諦める人が多かったんです。だけど、実際に自分はこの世界に入れた。やらなきゃわからないし、動いてみたからわかったものがあります。だからこそ、リミットを外して動くことが重要ですし、そうすれば道は開けるんじゃないかなと思います。まずは、自分自身で自問自答し続け、自分の中の大切なものを理解する、そしてブレない軸を作ることだと思います。

荒木哲郎

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