竹中 玲央奈

【後編】元ハンドボール日本代表主将・東俊介がマネジメントの道を選んだ理由とは。

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前編では東氏の現役時代を中心にお話を伺った。後編では東氏が現役時代に活躍し、今では強豪チームになった大崎電気について、そして今、ハンドボール界が抱える問題とそれを解決するためにどのような想いを持って活動を行っているのか語って頂いた。

 

【前編はこちら】

 

“宮崎大輔ブーム”の裏でのマネジメント不足

 

-現在の大崎電気は当時よりかなり強くなりましたね。

 きっかけは2000年に三陽商会のハンドボール部が休部になり、所属していた日本代表選手3名がプロ契約選手として移籍してきたことです。日本リーグの通算得点記録を持っている岩本真典さんと(※)“中東の笛”が話題になったときのキャプテンの中川善雄さん、日本リーグのベストディフェンダーを二度、獲得した永島英明の移籍により、チームとしてのランクが大幅に上がったんです。

その年、レギュラーシーズンで2位になって、プレーオフに初出場しました。以降、コンスタントにベスト4までは勝てるようになりましたが、準決勝の壁を破れなかったところで、宮崎大輔選手の入団によって初めて優勝することが出来ました。

※中東の笛:2007年、北京五輪・ハンドボールアジア予選において審判の不可解な判定が続き、予選自体がやり直しとなった騒動の総称。明らかに不可解で中東諸国に有利な判定が頻発したことにより、この名がついた。

 

-宮崎大輔選手の存在はハンドボールの話をする際には外せないですし、彼の登場で話題になりました。

“中東の笛”で五輪予選がやり直しになったこともありますし、彼がテレビ番組・スポーツマンNO.1決定戦で優勝したこともあって、メディアの露出が増えたんです。ただ、そこはマネジメント不足だとも思います。

 

-宮崎大輔選手がブームとなった後に"次が続かなかった”という側面ゆえに、でしょうか。

 そうですね。宮崎選手の登場で「ハンドボールが変わるんじゃないか」と思ったんです。あれだけテレビに出て、これから盛り上がっていくんじゃないかと。ただ、変わらなかった。そこで愛想を尽かして離れていった方もいると思うんです。他にも世間に面白いことはたくさんありますから。

試合の演出に関しても、プレーオフになると少しはマシなんですけど、レギュラーシーズンの試合は発表会の域を出ないというか、イベントとしての魅力に欠けているんです。その部分を一生懸命やっているのが琉球コラソンという沖縄のチームなんですけど、そこは素晴らしい演出をしていると思います。スポンサーもつけて、集客をしっかりしています。他のチームはどちらかと言うと集客というよりも動員というイメージが強いんです。学校の先生にお願いして、“人だけ入れる”ような形ですね。そこを変えないといけないと感じています。

 

-工夫をしないとお客さんも続いてこないと。

 そうですね。でないと、"お金を払って行くものではない”と刷り込まれてしまうんです。“行かされた”という風に思われると印象もよくないですし、それは選手にも伝わるんです。“お金を払って見に来てもらった”という感じではないですよね。コンテンツとしては悪く無いと思うんですけど、マネジメント不足だと感じています。

 

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スポーツマネジメントの道を選んだ理由

 

-コンテンツとしてのハンドボールの魅力はどういった部分でしょうか?

例えば、バスケットボールはシュートが外れた時はただのミスになるのですが、ハンドボールの場合はGKがいる分、それが“ナイスセーブ”になる場面があるんですよね。だからシュートを決めても外しても盛り上がるんですよ。フットサルよりもシュートは多く入りますし、手で扱っている分、横に出ないんですよね。ヨーロッパではチャンピオンズリーグもあってお客さんも凄く入っているんです。でも日本においてそうならないのは、やはりマネジメントの側面の問題かなと感じています。

 

-おっしゃったマネジメント不足が競技の発展に影響していると思いますが、現在の東さんの活動を詳しく教えて下さい。

 大崎電気で11年間、選手としてプレーをして、現役時代には9回の日本一を経験してチームと日本代表の両方でキャプテンもやりました。ただ、五輪や世界選手権には出られませんでした。その後、指導者のお誘いも受けたんですけど、今までの経験を活かしてスポーツマネジメントを学びたいと思ったんですよ。それで大学院に社会人修士として1年間通って、野球の桑田真澄さんを始め、色々な方と一緒に勉強をしました。そこから紆余曲折を経て今は日本リーグの運営をやっています。今は2012年に立ち上がったマーケティングチームというところのリーダーを務めています。