× 森 大樹

レスラーとして、経営者として。丸藤正道はプロレスに人生を捧ぐ。

丸藤正道1

幼少期からプロレス好きで、プロレスラーになるために高校からレスリングを始め、卒業後には全日本プロレスに入門。そしてその後は舞台をプロレスリング・ノアに移し、数々のタイトルを獲得するなどの活躍を続けている丸藤正道。12月23日(水・祝)にはノアの消滅を目論む鈴木みのる(鈴木軍・※GHCヘビー級王者)と団体の存続を賭けたタイトルマッチに挑む。

※GHC:プロレスリング・ノアに創設されたGHCタイトル管理委員会が管理するタイトルのこと

高校の卒業式の2日後に全日本プロレスの門を叩く

-丸藤さんがプロレスを始めるに至るまでの経緯について教えてください。

僕は子供の頃からプロレスが好きで、進路について真剣に考えた時には自分もその世界に入りたいと思うようになっていました。それが中学2年の時で、卒業した後、プロレスの世界に入るためにはどこの高校に進むべきか考えていました。

意味もなく高校に行ってもしょうがないですし、勉強も好きじゃなかったですからね(笑)お金を出してくれるのは親なわけですし、しっかり目的を持って高校に進むべきだと思っていました。自分なりにプロレスラーになるためにはどんな選択をすべきか考え、レスリングができる高校に進学した方がいいだろうと判断して、それを中心に学校選びをすることになります。

 

-早い段階で将来何になりたいかしっかり自分で考えられていたんですね。

ただ、全く大学に行くつもりはなかったにもかかわらず、高校は進学クラスに入ったんです(笑)だからみんなが受験のために模試を受けている中でも僕だけは受けませんでした。

 

-元々丸藤さんは中学生まで体が細かったんですよね。

高校に入るまではもやしっ子でしたよ。だから高校でこの世界に入るための基礎体力を付けることができたのは大きかったです。

 

-そうなるとレスリングを始めるにあたって、体力面で周囲との差を埋めるのも大変だったのではないでしょうか。

一緒に入った部員の中にはちびっこレスリングからずっと続けている経験者もいたので、そことの差は感じました。構えなど一からレスリングについて教わっている自分がいる一方で経験者は既にスパーリングをやっているわけですからね。それでも彼らとの差をとにかく埋めていかないといけないという気持ちでやっていました。

 

-特にレスリング部の練習はきつかったそうですね。

プロレスラーになりたい、という考えを少し頭の片隅に移動させておかないと続けられないくらい厳しかったです。そのくらいでないとレスリングに対応しきれないと思いましたね。

年間でも部活が休みの日は数日しかありません。練習で覚えているのは1周200mの体育館をずっとダッシュで5~6周走らされるメニューです。タイムが測られていて、決められた時間内に戻って来られないと追加で罰が待っています。このトレーニングもあくまでただのアップ代わりでしかなく、その後にしっかり練習が待っていました。

監督は今の自分より背も高く、ごつい体をしていましたね(笑)スパーリングでもボコボコにやられていました。練習があまりにきついので、中には辞めていってしまう人もいたくらいです。

丸藤正道2

 

-レスリング部で3年間部活動をして、卒業後に全日本プロレスに入団しています。

 

高校3年の時に全日本プロレスに仮入門する機会を頂き、そこで雑用や練習も含めた生活を1週間耐えられれば、入れてもらえることになっていました。無事に1週間を耐え抜くことができたので、高校の卒業式の2日後に全日本プロレスの門を叩くことになります。その1週間を耐えられたのは高校3年間のレスリング部のおかげですね。

反面今まで経験したことのなかった社会の上下関係に馴れるまでが大変でした。高校までも上下関係はありましたが、それとはまた違います。部活のように1つや2つ歳が違うのではなく、いくつも年齢が離れた、しかも選手として実績のある三沢(光晴)さんや小橋(建太)さんなどの先輩方がいて、次元の異なる上下関係がありました。

 

-丸藤さんは三沢光晴さんの付き人をされていました。気を遣う場面も多くあったのではないでしょうか。

三沢さんは自分のことは自分でやるタイプだったので、仕事は多くなかったです。もちろん荷物持ちやシューズ、コスチュームなどの片付けはしますが、そこまで大変だと思ったことはありませんでした。

むしろ1ヶ月間、シリーズなどで三沢さんが試合に出ていると僕の財布の中身がどんどん増えていくんですよ(笑)洗濯代や弁当代として渡されたお金のおつりを全部くれるんです。例えば弁当屋におつかいを頼まれるじゃないですか。だいたい頼まれるのはチキン南蛮弁当か幕の内弁当なので、本来なら1000円にも満たないはずなのに1万円を渡されて、残りは全部頂けていました。