チーム消滅を乗り越えて。ノジマ相模原ライズ・井本圭宣がアメフトと共に歩んだ人生

2015.11.24 AZrena編集部

井本圭宣

井本圭宣は大学からアメリカンフットボールを始め、卒業後はオンワードに加入し、日本一を経験。2008年のオンワードの撤退によるチーム消滅の危機を乗り越え、40歳となる現在もノジマ相模原ライズの選手として活躍中だ。

※ワイドレシーバー(WR):コートの両サイドに広く位置を取り、主にパスプレイの際に投げられたボールをキャッチするポジション。足の速さと捕球能力に加え、相手に競り勝つ背の高さや腕の長さが必要。

 

長年プレーした野球から、アメリカンフットボールの世界へ

-井本選手のスポーツの経歴を教えてください。

小学校から高校までずっと野球をやっていました。親父が少年野球のコーチをやっていたのもあって、週末は練習、平日も週1回はバッティングセンターに通っていました。

ポジションはサードとピッチャーで、他の道を考えることもなく、自分はプロ野球選手になるものだと思っていました。

 

-花形なポジションですね!

でも結局高校で甲子園に行けなかったので、大学でも野球をやって、プロになることで見返そうと思っていました。そんな矢先にクラスメイトから北陽高校に通っていたなら運動ができるだろうから、アメリカンフットボールをやってみないかと誘われました。

僕が通っていた大阪の北陽高校はスポーツの名門です。野球部も1学年で100人くらい入ってくるところで、上下関係も厳しいところでした。先輩には「はい」「いいえ」「失礼しました」しか言えません。服装も下着まで決められているんです。うちの高校は全国でも3本の指に入るくらいの厳しい上下関係を目指していたと思います(笑)

練習もとにかく厳しくて、高校時代となるともう20年近くも前のことになるにもかかわらず、今もきつかったその時の夢を見るほどです。

 

-そんなにきつい練習だったんですね。

ただ、もうあんなにきついことは二度とないと思えるほどの経験をしたので、それが色々なところで生きていますし、モチベーションになってきた部分はありますね。

 

-アメリカンフットボールを始める決め手は何だったのでしょうか。

ちょうど僕の弟がその年からアメリカンフットボールを始めていたというのもあったので、誘ってくれた友人からいろいろ聞きました。理由としては不純かもしれませんが、立命館大学でアメリカンフットボールをやって、活躍すればテレビにも出られるし、人気者にもなってすごくモテると言われたからです(笑)思わず「マジで?」と食い付いてしまいましたよ!でもそれが自分のターニングポイントになりました。長いことやってきた野球から離れるわけですからね。でもそれだけやってきたからこそ、プロ野球選手になることが難しいとも薄々感じていました。だからこのタイミングで他の競技を始めてみるのもいいだろう、と判断しました。ただ、自分で決めた道とはいえ、ずっと一緒に野球をやってきた親父は寂しかったでしょうね。

井本圭宣

 

-進学した立命館大学はアメリカンフットボールの強豪ですね。

今でこそ立命館大学は全国でも有数の強豪チームですが、当時は強くなり始めの頃で、アメリカンフットボール経験者を1学年10人以上はスポーツ推薦で取っていました。そういう学生に囲まれて、正直ヤバい…と思いました(笑)今までやってきた野球だと運動神経のいい選手がメンバーに選ばれるという感覚でした。しかし、アメリカンフットボールにおいては自分よりも背が低くて、足が遅く、運動神経に欠けるような体のごつい選手がメンバーに選ばれるわけです。僕らはユニフォームを着られず、スタンドから応援しなくてはならない状況で歯痒かったです。だから1年生の頃は練習も行かずに遊んでいましたね(笑)

 

-なるほど。そこからどう気持ちを切り替えたんですか。

せっかく大学でアメリカンフットボールを始めると決めたのに、このままではやっぱりまずいと思って。2年生からは真面目にやるようになりました。練習もそれまでは通いで行っていたのですが、競技を真剣にやるために親にお願いして、そのタイミングで京都に一人暮らしさせてもらいました。

当然1、2年生では背番号はもらえません。ようやく3年生になってもらえるようになりましたが、親は当時、応援してくれてはいたものの、大学生のうちにワンプレーでも試合に出られればいい方だろうと思っていたようです。

 

-それでは3年生になってから試合に出られるようになったということですか。

いつも試合前にはどのメンバーが出場するのか決まっていました。3年時の大事な一戦である、関西学院大学戦の時も同じです。立命館対関西学院の試合は何万人も入る人気カードです。自分はその試合の前までは大差が付いていた時にだけ出してもらえるくらいの立場でした。

しかし、その試合だけはキックオフ直前に監督に呼ばれて、「お前、今日出るから!」と言われ、何の心の準備もないまま出場することになりました(笑)でもその時たまたまロングパスを捕って、タッチダウンを決めたんです!それがアメリカンフットボールをやる上でのターニングポイントでした。今だに同級生にはここまで大成するとは思わなかったと言われるくらいのただの控え選手でしたから。その関学戦でのタッチダウンがなかったら今の自分はいなかったかもしれません。

 

-そこから選手としてどんどんステップアップしていくんですね。

でも、なぜか4年生になっていきなり監督から前年度の主力選手として扱われていましたし、自分の気持ちの方が付いていかなかったというのが本音です。3年の時からずっと試合に出ていたと雑誌にも書かれていました(笑)だから戸惑いの方が大きかったです。

 

-自分が選手として他の人よりできるという感覚はなかったのでしょうか。

背は元々大きかったですし、何より高校時代のきつい練習に耐えてきていたので、足の速さや体力には自信がありました。でもフットボール選手としての自信は全然なかったです。

 

-野球出身となると、投げる方に自信を持って、そういったポジションを任されそうです。

僕もそう思ったので、基本的に投げる、もしくは捕るポジションだろうとは考えていました。その中で自分の足の速さに自信がありましたし、捕ることが好きだったので、レシーバーにしようと決めました。

井本圭宣

チーム消滅の危機を乗り越え、日本一を目指す

-社会人でも続けたいと思った理由はどのようなところにあったのでしょうか。

ようやくアメリカンフットボールが面白くなってきた頃に引退の時期を迎えたので、純粋にもっと続けたいと思ったからです。その時に前の所属先であるオンワードオークスから声がかかりました。

 

-自分が続けたいと思ったタイミングよく声がかかるというのはさすがですね!

声がかかったというところだけは聞こえがいいのですが、人としてチームから指名されたわけじゃないんです。基本的にはどこの大学の誰が欲しいという指名がスカウトから来るものです。しかし、身長180cm以上で、ワイドレシーバーで足の速い選手がチームに欲しい、ということで選んでもらっただけで、僕のプレーを見て、欲しいと言ってくれたわけではなかったんですよ。技術面に関してはうちのチームに来てくれれば、いくらでも教えられるから問題ないという話でした。

-井本さんのこれからのポテンシャルに期待していたということですね。

いやいや、オンワードに入った時は同じポジションの選手が20人ほどいましたが、本当に僕が一番下手でしたよ。

 

-そこからまた練習を続けて這い上がっていくんですね。

試合にも出たいですし、せっかく東京まで出てきてプレーする機会をもらえたのだから、この中の誰よりもうまくなりたいと思って練習していました。チームの練習が終わった後も暗くなってボールが見えなくなるまで、現役時代にクオーターバックだった現在のライズのヘッドコーチである須永さんとパスコースを合わせる練習をしていました。それが22歳の時のことです。

 

-その後はNFLヨーロッパへも挑戦されています。

社会人1年目のシーズンはそのように練習を続けて、2年目になった時に先輩から身体能力の高さを褒められ、NFLヨーロッパのトライアウト(NFLのプロテスト)を勧められたんです。オンワードで試合に出られるようになったら、挑戦してみることをその先輩と約束しました。

そして2年目から試合に出るようになったため、実際にそのトライアウトを受けに行きました。ここは選手として、大きな1つの分岐点になったと思っています。

 

-実際にトライアウトを受けてみていかがでしたか。

周りは有名選手ばかりなので最初は緊張しましたが、思ったより感触は良かったです。もし受からなかったら来年も挑戦しに来いと声をかけられたりもしました。自分も受かるまで受けます!といった感じでした。

 

-テストはどのように行われましたか。

テストは同じポジションだけでも40人くらいいるですが、初めの短距離走のタイムで一気に数人にまで絞られます。身体能力で一気に切られます。

 

-初めの段階からすごくハードルが高いですね!

コーチもそんなにたくさんいたら、全員は見ていられないですからね。背が高くて、足の速い選手しか目に留まらないんです。結局テストには落ちてしまいましたが、人に言われて受けた1年目から感触がよかったので、本気でNFLに行きたいと思うようになっていきました。まずはオンワードで試合に出る、そのためにはどんなことでもやる覚悟で努力しました。

海外を生で見て感じたことは、体を外国人にも負けないものにする必要があるということです。本当はトレーナーをつけたり、フットボールに活かせるようなトレーニングをしたりしてもよかったのかもしれませんが、僕はとにかくガムシャラにやることにしました。どんなに仕事が辛くても夜中の1時までジムでトレーニングに励みました。

 

-当時はどういった生活リズムだったのですか。

朝7時に起きて仕事に行き、当時はまだ社会人2、3年目だったので、20時頃までは勤務していました。チームの練習は水曜日の遅い時間で、あとは週末にプレーするという流れです。トレーニングは平日の夜遅くまでやっていたということです。

そうやって筋力アップしていくことが自信にも繋がっていきましたし、結果としてテスト受験3年目にはNFLヨーロッパのテストに合格することができました。

 

-実際に日本と海外の違いを肌で感じたと思います。

フィジカルの強さの違いももちろんありましたが、一番は気持ちの面での差だったように思います。

その年NFLのプレシーズンマッチが日本で行われることになっていたので、NFLヨーロッパからも選手が出されることになり、僕はニューヨーク・ジェッツの選手として行くことになりました。非常に良い経験をさせてもらい、今の自分に大きくプラスになっています。

井本圭宣

-少し話が変わりますが、所属していたオンワードがチームスポンサーから撤退することになり、廃部を経験されています。

メンバーはいるにもかかわらず、スポンサーがいないという状況になりました。聞いた時はどん底でしたね。ただ、今のチームの代表である石井さんが手を挙げてくださいました。「みんな本気でフットボールをやりたいか?俺はこのチームを残したい。お金は何とかしてやる」と言ってくれたんです。それでもう一度1部で復帰するためにライスボウルの時にビラを配ったり、署名運動を行ったりしました。

しかし、既にオンワードが協会に廃部の書類を提出しており、それが受理されていたため、署名活動などを行っても1部から復帰することは認められず、3部からやり直すことになってしまいました。その時は選手だけでなく、コーチやチアも含めたみんながショックで、これからどうしていけばいいのかと思いました。でもチームを残したいという気持ちと石井代表の熱い想いがあったからこそ、今もこうしてライズが存続してくることができました。だから僕は特にライズはチームワークがいいと思っています。

 

-3部からやり直すというのはそう簡単なことではないと思います。

環境も変わって、3部の時はグラウンドもなく、近所の公園で練習したこともありましたし、辛かったですよ。特に僕はNFLヨーロッパに行かせてもらったりして、いい環境を知っていたが故に、ギャップに戸惑った時もありました。ただ、今振り返るとスポーツ選手として何事にも代え難い、いい経験になりました。本当のトップでやっているとその環境に甘んじてしまって、そういう辛いことを経験しなくなるものです。でも環境の悪い中だからこそ、フットボールをやれる楽しみや、助けてくれる周囲の選手への感謝の気持ちを強く感じました。

 

-プレーする喜びを感じることができたということですね。

そして何より応援してくれている地域やファンの方々がいたから気持ちを切らさずにやって来ることができました。ファンの人が1部に戻ることを応援する横断幕や激励のメッセージをくださったりもしました。だから僕らもグリーンバード活動(ゴミ拾い活動)など行って、地域密着のクラブを作ることを目指してきたんです。正直オンワードの時は強いから応援してくれているのだと思っていましたが、3部になっても応援してくれる人がいたのは本当にありがたかったです。

僕らも3部からどうやってこれから1部を目指すのか、毎週ミーティングをしていました。その中でチームを離れていく選手もいましたし、当時を知る選手も今は少なくなりましたが、そういう歴史に基づく精神がライズにはあるということを伝承していきたいです。そして日本一になりたいです!

井本5

井本圭宣

若い選手や外国人選手とも積極的にコミュニケーションを取る井本選手

 

 

 

努力をして辛い思いをしたからこそ、その先の価値に喜びがある

-井本さんの今後の目標を教えてください。

40歳になるので、選手として例えば日本代表になりたい、というよりも、ただただとにかくチームに貢献したい。日本一になりたい。それだけです。今年はコーチも任されているので、日本一になるためにも嫌われ役になろうとは思っています。みんな仲が良くて、上下関係もなく、年下の選手でも意見を言えるいいチームですが、反面ただの仲良し集団になってしまう可能性もあります。だから練習後は和気あいあいと食事に行ったりしますが、練習中はミスをすれば厳しく指摘します。仲良し集団ではなく強い集団、勝てる集団になって、もう一度日本一になるということがチームの考えなので、そのためなら僕が嫌われ役になることも何ら問題ないです。

 

 

-ご自身の魅力はどのようなところにあると思いますか。

 

どんな調子が悪い時も最低限の仕事をこなす安定感とメンタルだと思っています。今年は空回りしていますが(笑)

 

井本圭宣

 

-最後に読者の方にメッセージをお願いします。

僕がモットーにしているのは「努力は絶対に嘘をつかない」ということです。3年間努力したとして、それが報われるのはもっと先かもしれないですが、いつかきっとその時は来ます。そのために諦めずにやり続けることです。そして楽しんでやることです。うちは他のXリーグのチームの選手が認めるほど、トレーニングがきついのですが、それもみんなで楽しみながら競い合ってやれてるということがライズの一番の強みだと思います。そして努力をして辛い思いをしたからこそ、その先の勝ちに喜びがあるのだと、僕は思っています。