menu

野口勝成。ビーチフラッグスで、世界へ突き抜けるために選んだ道。

2015.11.16 / AZrena編集部

野口勝成大学2年からビーチフラッグスを始め、今年の10月に行われた全日本ライフセービング選手権では3位に入る。そして、現在は3度目となる世界最高峰の戦い、全豪選手権に向けて練習に取り組んでいる途中だ。そんな野口勝成は現地での活動資金調達をアレ!ジャパンにて行っている。
 

水泳を引退したものの、ライフセービングで再び泳ぐことに

 
――野口さんのスポーツ経歴を教えてください。
 
4歳から水泳を始めて、それを続けながら小学生の時は遊びで野球やサッカーをしていました。特に両親や祖父母が野球が好きだったので、うちは野球一家でしたね。中学からは仲が良かった友達に誘われて、近くの道場で柔道をやりつつ、水泳を部活で続けていました。
 
そして高校は一般受験をして、私立高校に入学し、水泳部で3年間活動しました。
 
――水泳ではどの種目を泳いでいたのですか。
 
ずっと平泳ぎです。ただ、地元の江戸川区の大会で勝てるくらいの実力のまま、千葉の方の高校に進学してしまったので、周囲のレベルの高さに付いていけず、これではやっていけないと感じました。それで他の種目も試してはみましたが、結局どれも合わず、水泳の道は諦めていくことになります。
 
水泳の場合、本当に強い選手とは今まで積み上げてきたものが明らかに違うと感じました。そういう選手とは費やしてきた時間も圧倒的に違うので、彼らを超えるのは難しいと判断し、高校で引退することにしました。
 
――その後は大学に進学しています。
 
高校が東海大学の附属校だったので、そのまま大学にも進学しました。元々体育学を勉強したくて、無事に志望通りの体育学部に入ることができたのですが、進学したのは競技スポーツ学科というところで、大きくアスリートか指導者・トレーナーのコースに分けられていました。
 
当然アスリートのコースの方は本当に競技で実績のある人しか入れず、僕は指導者やトレーナーのコースにしか入れませんでした。しかし、正直まだ自分はプレーヤーとしてやりたいという気持ちが強かったんです。
 
――まだプレーヤーとしてやりたいという気持ちが強かったんですね。
 
今思うと水泳も燃え尽きるほどやっていなかったのかもしれません。練習に行かない時期もあったりしたので、大学に入ってからは本気で取り組めるもの見つけたいとは思っていました。
 
それで大学1年の時は野球サークルに入りました。親父がずっと野球をやっていたので、自分がプレーする姿を少しでも見せられたら喜ぶんじゃないかと思って、強いチームに行ったのですが、やはりここでも壁を感じることになります。硬式野球出身者も多く、本当にみんなうまくてとても4年間でレギュラーを取って活躍するのは無理だと思いました。唯一先輩に褒められたのは足が速かったことくらいです。

 

――昔から足は速かったんですか?

小学生の時からクラスでもずっとリレーの選手ではありました。それでサークルの先輩からもスペシャリストになれ、と言われていたのですが、どうしても僕は目立ちたかったんです。それから考えると僕が野球をやっていても輝けるのはほんの一瞬ということになってしまいます。周りは少年野球からずっとやってきて体に野球の動きが刷り込まれていますから、他の部分ではなかなか勝てません。

 

――それからどのようにしてライフセービング競技に出会うことになるのでしょうか。

大学1年で野球を始めたものの、周囲のうまさに今後どうしていくか悩んでいる時に高校時代の部活の同期で東海大学のライフセービングクラブに所属している友達に会いました。夏の間は監視活動があるので、なかなか会えずにいたのですが、落ち着いた秋頃に久しぶりに会って、今の自分の現状を伝えたところ、ライフセービングに誘われました。でも正直僕は自分が通用しないと判断して水泳を止めていたので、もう泳ぎたくはなかったんです。

野口勝成

 

――そもそもライフセービングが競技としてあることを知らない人も多いと思います。

いわゆる「人命救助」というイメージを持っている人がほとんどでしょうね。僕も当時は全く知らなかったので、誤解をしていました。監視活動をして、海の安全を守る、というのは素晴らしいことですが、自分はそれがやりたいわけじゃない!というのがその時の本音です。あくまで僕は競技スポーツがしたい、そう友人に伝えると競技もあると教えてくれて、種目の中にビーチフラッグスが入っていることを初めて知りました。早速ビーチフラッグスの動画を観た時に「これはヤバい!すごい!」と感じて、その場で絶対やる、日本チャンピオンになる!と決めました。次の日には野球サークルを退部し、翌々日にはその友達のライフセービングクラブに入りました(笑)

 

――そんなにすぐですか!

とにかく時間がないと思っていました。ライフセービングはカレッジスポーツでほとんどの人が大学から始めるので、大学1年の秋からスタートする僕は遅いわけです。まず初めにビーチフラッグスの動画をひたすら観て、クラブで速かった先輩に教えてほしいとお願いしに行きました。しかし、秋は監視活動やビーチフラッグスの大会も終わって、プールでの練習に入っていくので教えてもらえず、もどかしい思いをした時期を過ごすことになります。

 

――しかし、その行動力と積極性は素晴らしいですね。

自分のスポーツキャリアにおいて誇れるものが欲しかったんですよね。水泳を止めた時点でプライドもなかったですし、競技に対してこだわりはありませんでした。一番になれれば何でもいいと当時は思っていました。

野口勝成

 

――タイミングよくビーチフラッグスに出会ったことも何かの巡り合わせですね。

 

その時に部活で一緒だった彼に会っていなかったら、今何をしているか分かりませんし、大学卒業後も何かにのめり込んでやっていたことはないでしょう。大げさかもしれませんが、僕の人生の転機だったように思います。

 

走り出しにくい体勢からのスタートを一番早くしたい

――ビーチフラッグスの魅力を教えてください。

競技そのものの時間は短いですが、たくさんのドラマがあります。マラソンの駆け引きや100m走の爽快感を兼ね合わせた競技です。旗まで20m、時間にして4秒ほどで1回の競技は終わってしまいます。一瞬で勝負が決まってしまうので、目が離せません。特に僕は競技者よりも少ない本数の旗のどれを取りに行くのか、という駆け引きがすごく好きです。強い選手が行くルートによって、他の選手が取りにいく旗の位置も変わってきます。

 

――同じチームに日本チャンピオンの(※)和田選手もいます。

でも僕はこの前の日本選手権でも優勝したかったので、どこかで絶対勝負する必要があることが分かっていました。和田さんはチームメイトですが、向こうもいつ仕掛けてくるか分かりませんからね。僕も和田さんのように他の選手を圧倒して勝てるようになりたいです。
 
※和田賢一選手:今年の全豪選手権で2位、全日本選手権2連覇など日本のビーチフラッグスを代表する選手。
 
野口勝成、和田賢一
 
全日本選手権2連覇中の和田選手(右)と野口選手
 
和田賢一インタビュー
 
――ルールが分かりやすいのもビーチフラッグスのいいところですね。
 
シンプルなのでルールはすぐに分かってもらえますね。でもシンプルなものの方が掘り下げていくと複雑なんです。いろいろな駆け引きがあることを知った上で観て頂けるとまた違った見方ができて楽しいと思います。
 
――野口さんがビーチフラッグスをする上で自分のストロングポイントとしているところはどこですか。
 
スタートです。ビーチフラッグスのスタートの体勢は走る競技の中でも一番起きて走り出しにくい姿勢です。ビーチフラッグスは自分が一番救助しにくい体勢から要救助者のところまでどれだけ早く行けるのか、というライフセービングの考えから生まれたものだそうです。だからあの走り出しにくい体勢からのスタートを一番早くしたいですし、それが僕の強みだとも思っています。
 
――今回、来年4月に開催される全豪選手権に向けたトレーニング、そして活動資金調達を行っていますが、今までの挑戦を振り返ってください。
 
昨年の全豪選手権では旗を一本も取ることができませんでした。日本の大会では決勝戦に残ったりしていたので、それなりにできると思って臨んだ全豪選手権でそんな結果に終わり、自分はまだまだ世界では通用しないことを痛感させられました。
 
そして1年後、今年の全豪選手権ではあと一本で決勝に行けるところまで来ました。
 
――なぜオーストラリアなのでしょうか。
 
オーストラリアはライフセービング先進国で、他の世界大会などよりも全豪選手権は一番レベルが高く、世界一を決める大会だと言われているからです。
 
全豪選手権で一定の成績を残して迎えた今年6月の全日本種目別選手権では4位でした。向こうに行って強くなって帰ってきたと思っていましたが、まだ弱い自分がいて、気負いすぎていたと今振り返って思います。成績を残していくことで気付かないうちに周囲からの見られ方も変わって、自然と感じていたプレッシャーもあったでしょうね。
 
野口勝成
 

今後は海外選手とさらにレベルの高い戦いをしていくことになる

 
――先日行われた全日本選手権では3位という成績を残しています。
 
だから今回の全日本選手権は開き直って臨みました。余計なことは考えずに、目の前の1本に対して悔いなく終わることを意識してやったところ、メダルを獲ることができました。結果的に負けはしたものの、すごく楽しかったです。
 
旗が取れなければその試合は終わってしまいますが、自分が速くなればなるほど勝ち残って楽しめる時間も長くなります。
 
特に自分は気持ちの振れ幅の大きい選手だと感じています。その中で今回は気持ちをよりフラットにして、いつも通りにやろうと心がけたところ、試合が終わってほしくないくらい楽しいと思えたんです。6月の種目別の時は1本毎が本当にきつくて、早く終わってほしいと思っていましたから、そこは大きく変わった部分ですね。
 
――試合前はコンディションを整えるためにいろいろと細かい部分にまで気を遣っているようですね。
 
試合前はすごく神経質になって、考え方もネガティブになりがちなので、ソワソワしている自分に安心感を持たせたくなります。
 
例えば家族が風邪を引いているといつも以上に手洗いうがいをしたり、食事の時間をずらしたりと普段全く考えないようなところにまで気を遣うようになるんです。そうやって自分が安心できる状態をキープすることで、これだけやったから大丈夫という気持ちで試合に臨むことができます。試合前日になって、やるべきことをやっていないと不安になってしまいますからね。
 
――レース直前に精神状態を保つためにやっていることはありますか。
 
まずコースに入る時に手を叩きます。サッカー選手が気持ちを上げるためにやったりもしていますよね。
 
試技の体勢に入る時には皆、砂を整えるのですが、他の選手が手でやる中で自分は足でやっています。ビーチフラッグス選手は繊細な方が多くて、中には砂で傾斜まで付ける人までいます。でも僕は何も考えずに、前のレースで乱れた部分だけを直してすぐ寝ます。そこで頭のスイッチを入れて、一切何も考えないようにしています。そこは選手によって様々で、安心してから寝るのか、寝てから安心するのか、の違いですね。
 
野口勝成 

お金持ちよりも、人に影響を与えられる選手に

――野口さんはこれからより競技に専念していく予定だとお聞きしました。
 
そうですね。最近は特に競技に費やす時間が大切だと感じています。日中8時間僕が仕事をしている間も海の向こうでは練習をしている選手がいます。もちろん仕事をしながら競技で活躍するというのは素晴らしいことではありますが、世界ではもっと競技を徹底してやっている選手がいます。僕は日本チャンピオンになってから本格的に世界に出ていきたいと考えているのですが、過去2回のオーストラリアでの挑戦を通して、海外に出るためにはもっと競技に時間を使わないといけないと思いました。
 
だから僕の人生をビーチフラッグスに徹底していくことに決めました。年明けから3ヶ月間はオーストラリアで活動して帰国し、6月の種目別に臨むというステップを今は描いています。それぐらいやらないといけないと強く思っています。
 
――仕事をしながら競技を続けるということが一般的なうちは日本の競技力は世界において、厳しい立場のままかもしれませんね。
 
世界で戦うためには突き抜けないといけないですからね。だからもっと自分もビーチフラッグスに向き合う必要があると判断して、今回仕事も辞めて競技に専念するという決断に至りました。
 
――ぜひ活躍して、これからビーチフラッグスを始める人々に勇気を与えてほしいです。
 
僕は競技をしてお金持ちになりたいとか、そういうことではなく、人に影響を与えられる選手になりたいんです。自分も高校まではヘタレでしたから(笑)でも何歳からでも日本で一番になれるということを証明していきたいです。そして他のプロスポーツと肩を並べるくらいにライフセービングを高めていければ、競技人口も増え、それが海の安全を守ることにも繋がってきます。最近は台風などの影響で水辺の事故というのも増えていますからね。
 
まずは自分が日本チャンピオンになって、野口勝成みたいになりたいと思ってビーチフラッグスを始めてくれる人が1人でも出てくることが夢です。
 
――収入源を断つという大きな決断はなかなかできないと思います。
 
もちろん無職になるということに対して不安はありますよ(笑)実家が自営業をやっていて、本当は僕が長男なので継ぐところではあったのですが、わがままを聞いてもらって、今は弟が関係する勉強を大学でしてくれています。家族に迷惑をかけている部分もあるので、僕は結果を残すことで恩返ししていきたいという気持ちもあります。
 
――目標としている人はいますか。
 
やはり和田賢一さんです。選手としての実力はもちろんのこと、競技以外の普及の面など、ライフセーバーとしての新しい道を探してくださっていると感じています。日本で一番になる方というのは実力以外の面でもすごく優れている人だと思うんです。
 
チームメイトとして関わる中で、和田さんの人間性にも多くを学ばせてもらっています。ただ、憧れとしてしまうと手の届かない存在のように感じてしまうので、僕の中では和田さんは超えなければならない人としています。
 
――和田さんもそのように自分を追いかける選手がいるというのは嬉しいかもしれませんね。
 
だから何か和田さんに返せるものがあるとすれば、僕が倒すことだと思っています。倒せる人がいなければ、和田さんは日本にモチベーションを感じなくなってしまうかもしれません。でもまだまだ僕は和田さんの足元に及びませんけどね(笑)
 
――今後の目標を教えてください。
 
来年頭からオーストラリアに行き、最後には全豪選手権に出場します。そこでのメダル獲得が直近の目標です。
 
――競技を続けてきて、辛かったことを教えてください。
 
実は僕は大学4年になる時に大学のライフセービングクラブを辞めています。プール競技に力を入れていくチームの方針とビーチフラッグスをより追求したい僕と方向性に食い違いが生じてきたことが原因です。
 
このままチーム方針に従い、自分の気持ちを押し殺して続けるのか、辞めてビーチフラッグスに特化していくのか悩みました。その年は成績も良くなかったので、焦りもあった中で不安でしたが、決心して今所属している式根島ライフセービングクラブに移ることにしました。
 
野口勝成 
 
――ここからはプライベート面を含めた質問をしていきます。オフの日にしていることや趣味を教えてください。
 
音楽が好きで、Fear, and Loathing in Las VegasやSiMなどのハードコアなロックをよく聴きます。あとはよく新しい音楽を発掘しています。CDレンタルコーナーにあるピックアップアーティストを見て聴いてみたり、好きなアーティストの関連から開拓していったりします。
 
でも気がつくとビーチフラッグスの動画を観ていることが多いかもしれません(笑)年中ビーチフラッグスのことを考えているからでしょう。それで他の選手の動きを参考にしたりすることもあります。家ではマルチーズを飼っているので、犬の散歩をすることも趣味です。
 
――ビーチフラッグスをしていなかったら何をしていましたか。
 
スポーツ選手にはなりたかったですね。周りの人が僕と繋がっていることを自慢できる人になりたいと思っていました。水泳からどの競技に移るか考えていた時にたまたま出会ったのがビーチフラッグスだっただけで、もしかしたら違うスポーツをやっていたかもしれません。
 
――ご自身の魅力はどのようなところにあると思いますか。
 
周りの人からも言われるのですが、すごく真っ直ぐな人間なんだと思います。不器用でもあるということですが、それもいいところだと言って頂けています。好きになったものに対して真っ直ぐ向き合えるということが長所なのかもしれませんね。自分でも「真っ直ぐ、マイペースに」という言葉を大切にしています。
 
――最後に読者の方にメッセージをお願いします。
 
皆さんにはスポーツに限らず、どんなジャンルでもいいので何か自分のモチベーションになるものを見つけてほしいです。そして現在僕は日本で3位ですが、今のうちから見てもらって、チャンピオンになるまでのその過程を見てもらい、成長を感じて頂けたら嬉しいです。