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長友佑都が成功した秘訣とは?サッカー海外組に求められる、語学力より大事なこと

2017.01.11 / 竹中 玲央奈

鈴木國弘氏

サッカー日本代表の元監督であり、世界的な名プレーヤーであったジーコ氏の通訳を長年に渡って務めてきたのが、鈴木國弘さんです。前回の記事では鈴木さんがブラジルへ渡った経緯やジーコ氏からの教えについて話していただきました。

今回も引き続き、ポルトガル語の通訳をしている中でぶつかったトラブルやブラジルでの出来事について語ってもらいます。そして、サッカー日本代表・長友佑都選手の移籍にまつわる裏話、そして彼が海外で成功した理由についても言及されています。

 

同じ言語でも地域で全く音が違う

かつて鹿島に所属したレオナルドから言われたのは、『お前はジーコと同じしゃべり方をしているな』と。1日何時間も一緒にいると、自然にジーコの言葉をコピーする形になっていくんですよね。彼によってプロのサッカーの言葉を習得していったみたいな。そうすると、ボキャブラリーが増えていくという流れができていきました。

ポルトガル語でも地区によって発音が少し違うところがあるんですよね。僕が聞いていたのはリオの言葉で、ジーコはきれいな発音をする。ですから、ものすごく聞き取りやすい。ですがサンパウロの田舎から出てきた選手だと『英語をしゃべっているんじゃないか!?』というような感覚でしか聞こえない。ポルトガル本国の言葉も全然違います。

 

昔、フラメンゴとポルトとアントラーズで試合をした時があって、全部ポルトガル語が通じるので「全部俺が(通訳を)やりますよ」と言ったんです。キリンカップの出だしの頃ですね。ポルトとフラメンゴの会長と監督がいて、ジーコが鹿島の代表として出ていました。最初、ポルトの会長から話が始まったのですが、本当に言葉が入ってこない。聞きにくい音でそれまで聞いたことなかったから、これはまずいと思いました。

そこで、ジーコのところにいって「本国のポルトガル語を俺にブラジルでの発音に訳してくれ」と言いました。本人は『ええっ』と驚いた顔をして、記者は大笑いしているわけです。『こいつ、何やってんだ』みたいな。日本の青森弁と、沖縄の言葉くらい違う感じです。とにかく言葉が入ってこなかったですね。

ブラジル人は頭の回転が早い

自分がブラジルに行った当時、ジーコはもう大スターでしたから。その人と十数年後に仕事するなんて考えられなかったですよ。ジーコと一緒にブラジルへ仕事にいくと、公園に連れて行かれて、『こいつは俺の大ファンでフラメンゴのシャツ着て俺のこと応援していたんだ』と周りの人に話すんです。どこが面白いか分からないんですけど、ブラジル人にはツボみたいで、彼らは大笑いするんです。

ブラジル人からすると通訳ってよくわからない存在みたいなんです。『なんかジーコの横に日本人がいて、ジーコと同じような格好しながら日本語で話しているやつがいる』ということでブラジルで一度、話題になったんですよ。向こうのバラエティ番組か何かで私の真似をする企画みたいなのをやっていて、ジーコの奥さんがそれを見て面白いと思って、録画して送ってくれたことがありました。ブラジルに行ったらインタビューもされちゃって。向こうでは結構よくしてもらえましたね(笑)

 

よくジーコがなんでこれだけ日本にいて日本語ができないのか、と茶化されるんですけど、彼は『俺が日本語喋ったらあいつ(鈴木氏のこと)の仕事がなくなっちゃうじゃん』とよく言っていました。実は、ヒアリングはほとんどできるんですよ。 昔の話をすると、ヒデ(中田英寿)とジーコはイタリア語で話すんです。ジーコもイタリア語ペラペラだから。

でもミーティングの場とか公のところになると、ヒデもジーコも絶対にイタリア語を使わない。すべて通訳を介して、会話します。日本人のスタッフとバーへ言って日本語で話すこともあったのですが、公の場では一切日本語は使わない。

ジーコは英語は上手くないですが、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、イタリア語と、頭を切り替えてその場でインタビューできるくらいのレベルまで話せるんです。 ブラジルって雑多な国だから違う民族同士が隣だったりするので、コミュニケーション能力はすごく高いんですよ。陽気なだけに見えるのですが、頭の回転がすごく速い人が多いし、その場の雰囲気を作るのがうまかった。そういう面白い国民です。

長友佑都のインテル移籍の裏側で…

海外でプレーして成功できる選手は、溶け込むのが早い。言葉がわかるとなおそうです。でも、基本的には人間性です。特に長友(佑都)。彼がFC東京からインテル・ミラノへいく前に、夜中に新聞社から電話がかかってきて、『インテルが長友を獲るんですか?』と聞かれたことがあって。私は「そんなわけないじゃん」と伝えました。ただ、その10分後くらいにレオナルドから電話が来たんです。当時、彼はインテルの監督でした。

『ごめん、寝てた?』と。「寝ているに決まってるじゃん、こんな時間!」という会話から始まりました。深夜の1時、2時でしたから。 要件を聞いたら、実はインテルが長友を取ると言っているから、協力してくれと。

 

当時はまだFC東京が長友の保有権を20〜30%持っていたんですよ。だから、FC東京の社長のサインがないといけない。インテルとチェゼーナ間だけでは成り立たないと。あと数時間しか(移籍市場の)期限がないから、FC東京の社長に電話してOKとってくれないかと言われたんですよ。夜中2時に。

「それなら長友本人に電話すれば、イタリア語ができるし良いじゃないか」と言ったのですが、長友はまだ全然喋れないと。それで自分が頼まれたのですが、長友とは代表で被っていないから面識がない。でもとにかくやってくれと言われたからまずは彼に何度も電話したんです。そしたらなんとか電話に出てくれた。「鈴木と申しますけど…」と経緯を伝えて、今の状況を聞いたら、『チェゼーナで練習をしていたら、いきなり役員がきて、練習中に車で連れて行かれました』と。

 

そこで「インテルがあなたを獲りたがっているからミラノに行くみたいだけど、行きたい?」と聞いたら『行きたいです!』と。なら、今からFC東京の社長に電話する必要があるという旨を伝えました。そしてその流れでマネージャーがいるかどうかを聞きました。するとどうやら岡崎(慎司)と同じマネージャーだったのですが、ちょうど同じ時間に岡崎の入団会見に行っていて不在でした。

『すぐに呼び戻しますから』と長友は言っていたのだけど、数時間しかないから間に合わないと思いました。でもマネージャーがすべてのサイン権を持っているから、間に合えば成立すると。そしてなんとか移籍市場が閉まる3分前くらいに間に合いました。

その後、新聞を見たら『長友、インテル!』みたいに紙面が盛り上がっているわけです。普通は代理人業務って20%くらい入るものだと思うのですが、私は『ありがとう、ミラノに来たらまた会おう』とレオナルドに言われて終わりでした(笑)

 

長友はイタリア語が話せないけど、明るさや人間性が大きかったのだと思います。要するに言葉は二の次で、人間性ですよ。これはよく言うんですけど、まず通訳をするには、通訳をする対象の人との人間関係が重要だと。ジーコが私をクビにしなかったのも、相性が良かったからだと思うんです。それがないと絶対にビジネスは成り立たない。言葉が出来る人はどうしても語学のスキルに頼りがちになってしまう。ペラペラになったらそれでOK、みたいな。でも、そうじゃないんです。よくサッカーチームでそういう光景を見てきましたから。

海外で成功するために必要なのは「必死の覚悟と明るさ」

通訳は、言ってしまえば本当にわけのわからないときにだけ出ていけばいいんじゃないかと。私はそういう考えを持っていました。アントラーズは誰も通訳を頼らないんですよね。自分でコミュニケーションを取ろうとする。だから余計ブラジル人と日本人の関係が上手くいくんですよ。

例えば本田泰人とジョルジーニョは当時最高のダブルボランチだったと思います。でも彼らは全然言葉が通じません。本田はポルトガル語できないし、ジョルジも日本語ができない。でも、動きやカバーリングのタイミングとかはベストなんです。

 

また、印象的だったのは代表へ行ったとき。(中村)俊輔とか高原(直泰)とかそうそうたるメンバーがいた中で、彼らはまじめだから監督の言うルールのもとにきっちりと練習したいんです。ただ、私なんかは流れで育ってきた通訳だから、いちいち『こういうときだったらどうなんですか』と聞いてくる彼らに対して最初は説明したのですが、途中から自分で考えろ、というようなことを言いました。そしたら小野伸二に『あなたは何のためにいるんですか!』と言われて。「普通はそのための通訳なんだ」と思いましたね。

あくまでも選手が主役というのがジーコの考え方で、こっちは裏方。だから選手が困ってから初めて現れるべきで、あとは彼らがやりたいようにやればいいんだと。そういった自由な雰囲気の中で自分も育ってきたんです。普通のチームは通訳が監督の言葉を100%訳して、それを選手が聞いていますけど、当時の鹿島はみんな通訳のことなんか無視していましたよ。『だいたいわかるよ』みたいな。

でもそういうところがアントラーズの異常な強さというか、度胸の強さというか、そういうものに繋がっているんじゃないですかね。『監督のために勝つサッカーをやっているんじゃない』みたいな雰囲気はジーコが全て作りましたから。難しい形かもしれないですけどね。

 

プレーをしていて、『こいつは良い奴だな』と思うと情が湧くじゃないですか。日本人でもすごく良い人はそういうオーラを出している。どうしてもなんとかしてやりたいみたいな。そういう人はすごく上手くいきますよね。ですから、長友が逆にイタリア語がペラペラだったらあそこまでいってなかったかもしれない。

言葉がわからない中でもとにかくやっていかないといけないという必死の覚悟と、持ち前の明るさが功を奏したのだと思います。インテルの強者の中で日本人選手が人気者になるなんて考えられないですよね。レオナルドも『最初はどうかな、と思っていたけど、長友の明るさには脱帽だよ』、そんなことを言っていました。

 

<前編はこちら>