menu

Ko-suke(高橋幸佑)。東工大の若きフリースタイラー、世界の舞台へ

2017.03.13 / 田中 紘夢

Ko-suke

サッカーのリフティングやドリブルなどの技術を、魅せるパフォーマンスに昇華させたフリースタイルフットボール。その業界でサッカーのワールドカップのように、世界最高峰の大会と位置付けられているのが「Red Bull Street Style」である。

2008年には横田陽介(Yosuke)が準優勝し、2012年には徳田耕太郎(Tokura)が世界一に輝くなど、同大会で日本人は4年間で2度ファイナルの舞台に立ったことから、国内でもフリースタイルフットボールの注目度は上昇傾向にある。そしてTokuraが世界を制した4年後、再び世界の舞台で爪痕を残した若きフリースタイラーがいた。

2016年にイギリス・ロンドンで行われたRed Bull Street Styleで準優勝し、世界2位を記録したKo-sukeこと高橋幸佑。近年は国内タイトルを数多く獲得し、2015年にはアジア大会で日本人初優勝を果たした24歳だ。

現在、日本で一番勢いのあるフリースタイラーといっても過言ではないKo-sukeだが、普段は東京工業大学の大学院生として、勉学にも励んでいる。そんな2つの顔を持つ彼が世界2位に輝いた要因はどこにあるのか。フリースタイルフットボールの初期時代を歩んできたKo-sukeのルーツと、世界大会前の心境を探りながら検証していくとともに、世界を舞台に戦う上での“真の目的”に迫った。

 

サッカー王国・静岡でフリースタイルフットボールと出会うまで

フリースタイルフットボールは、サッカーのリフティングを活用したスポーツであり、そのプレーヤーはサッカー経験者が大きな割合を占めている。サッカー王国・静岡で生まれたKo-sukeも同様に、中学時代まではサッカーの道を歩んでいた。

 

「小学校の休み時間でいくつか男子の過ごし方があって、スポーツはサッカー組とドッジボール組に分かれていました。その時から僕はサッカー組に入っていて、中学生になってからも周りの仲の良い人たちと一緒にサッカー部に入ったんです」

Ko-suke

 

部活動を始めた中学1年生の終わり頃には、既にリフティングを数百回、できるようになっていたという。そうして部活動に熱中していたKo-sukeがフリースタイルフットボールと出会ったのも、サッカーを本格的に始めた中学時代だった。

 

「リフティングを上手くなるためにいろいろと調べていたら、インターネットで外人が技をやっている動画や、フリースタイルフットボールのバイブルと出会ったんです。それから練習を始めて、中学校のクラスの卒業会で初めて人前で披露しました」

 

その後は地元・浜松市の高校に進学し、勉強の合間にフリースタイルフットボールを継続していたが、SNSを通じて「浜松で練習しているなら、良かったら一緒に練習しない?」と声が掛かり、他のフリースタイラーと接点を持つこととなる。しかし、当時はフリースタイルフットボールが日本で普及されて間もない“初期時代”だったこともあり、フリースタイラーとの接点は限られていたという。

 

「周りに3〜4人くらいしかフリースタイラーがいなかったので、動画を見ながらソロで練習することが多かったです。中学の時は目標もなく、テレビゲームよりはマシでしょ、くらいの感覚で楽しんでいて(笑)。 高校からは一緒に練習する人が増えて、競う相手ができたので幅が広がりましたね」

 

静岡のフリースタイラーと共に練習を重ねているうちに、静岡県を拠点に活動するチームへと誘われる。そして加入後は本格的にパフォーマンス活動を行うようになった。

公の場でパフォーマンスをする機会ができたことで、「それまでは自分の趣味でやっていたことが、周りの人に対してもアプローチできるようになって、社会に活用する意義が出たことは大きかった」と、自身のモチベーションに大きな影響を与えたことを語っている。

Ko-suke

 

だが、フリースタイラーとして大会やパフォーマンスで活躍する場が増えたとはいえ「勉強を捨てる意識は全くなかった」と述べる通り、勉学との両立には抜け目がなかった。

 

「もともと勉強で負けるのが嫌いだったんです。知性で負けた時の劣等感がすごくて、人間で負けたみたいな気分になることもあって。頭の良い人はやっぱりかっこいいから憧れられるじゃないですか。高校受験の時も負けたくないという思いで勉強していたんですが、いざ受験したら全然問題が解けなくて悔しい思いをしましたね」

 

高校受験で痛感した悔しさから、中学卒業を前に予備校の「高校の部」へ通い始めた。そして、大学受験では進学先に東京工業大学を選ぶこととなるが、その背景には両親から受けた恩恵があるという。

 

「元から少し英語と数学ができたんですが、両親がそれぞれ英語と数学が得意で、そういう遺伝的な気質があるんじゃないかと思っていて。だから、自分も勉強を頑張れば子供に影響するかもしれないし、将来子供が楽になるんじゃないかなと」

 

現在は東京工業大学大学院の物理電子システム創造専攻に所属し、科学分野の研究を行いつつ、フリースタイルフットボールの技術も磨いてる。