南隼人はどのようにベイスターズのスタジアムDJになったのか?必要なのは”確固たる知識”

2015.09.03 森 大樹

南隼人

今回は横浜DeNAベイスターズスタジアムDJの南隼人さんにお話を伺います。

幼少期から野球をしてきた南さんは学生時代に留学先でスタジアムDJと出会って影響を受け、ご自身も目指すようになりました。2012年から念願だった横浜DeNAベイスターズのスタジアムDJを務められています。

 

野球少年だった幼少期からDJの道を歩み始めるまで

 

-まず初めに南さんご自身がどのようなスポーツをされてきたか、教えてください。

一番初めにやったのは柔道で、小学校2年生から3年生の頃です。地元のスポーツ少年団の野球チームは3年生からしか入れなかったので、まずは柔道をすることになりました。父から2年は続けるように言われたので、結局野球を始めたのは小学校4年生からです。それからはずっと野球を続けました。

 

-岐阜出身でいらっしゃいますが、ずっと地元のチームでやっていたのでしょうか。

そうですね。地元の少年野球チームに入り、そのまま中学、高校も近くの学校に通って部活動で続けていました。

 

-当時はどのプロ野球チームが好きだったのでしょうか。

岐阜ですから、やはり(中日)ドラゴンズが好きでした。初めて会ったプロ野球選手も先日お亡くなりになった(※)大豊さんで、小学校4年生くらいの時に握手してもらって、すごく体が大きいなと思ったことを覚えています。当時、ホームランをたくさん打っていた中日の主力選手ですね。

 

故・大豊泰昭氏:中日、阪神で活躍した台湾出身の元プロ野球選手。中日時代は一本足打法を特徴とし、1994年には打点王、本塁打王などを獲得。急性骨髄性白血病のため51歳で亡くなった。通算277本塁打、722打点、打率.266。

 

-南さんもその頃は1人の野球少年だったと思いますが、憧れの選手の真似をしたりして遊んだりしましたか。

大豊選手の真似はしなかったですが、(※)今中投手の投球フォームを真似したり、代名詞でもあるスローカーブを投げる練習をしたりしていました。当時中日の4番だった(※)落合さんの独特な構えをやったりもしましたね。

 

今中慎二氏:中日で活躍した元プロ野球選手。150km/hに迫る直球と70~80km/hのスローカーブなどを武器に1993年から4年連続開幕投手・2桁勝利を挙げた90年代を代表する左腕の1人。通算91勝69敗、防御率3.15。

 

落合博満氏:ロッテ、中日、巨人などで活躍した元プロ野球選手で中日ドラゴンズ現GM。史上唯一の3度の三冠王を獲得。独特の神主打法(お祓いの姿に似ていることから付いた)で巧みなバットコントロールから安打・本塁打を量産した。通算2371安打、510本塁打、1564打点、打率.311。

 

-そして大学時代には海外に留学を経験されていますが、どのような目的で行ったのでしょうか。

DJを志して、大学2年生だった2003年にオーストラリアに留学しました。本当はアメリカに行きたかったのですが、2001年に同時多発テロが起きたこともあって、断念しました。

 

-元々海外に行きたいという考えは持っていたのでしょうか。

はい。中学生の時にメジャーリーグで野茂英雄投手が活躍しているのを観て、すごく憧れていました。なかなか当時は中継を観るのは難しかったですが、ビデオを買ってもらい、よく観ていたくらい好きでした。それで高校も英語科のある学校を受けました。ただ自分が選手として行くというのは難しいと感じていたので、初めはメジャーリーグの審判になるつもりで、入試の面接でもその話をしました。

そして大学に進学してからも英語を話したい、海外のスポーツをたくさん観たいということで、留学しました。

 

-DJになりたいと思うようになったきっかけは何だったのでしょうか。

大学の先輩にクラブに連れていってもらって、そこで初めてDJを見て、格好いいなと思っていました。

その先輩は車を持っていて、よくドライブにも連れて行ってもらったのですが、車中でラジオを聴いていた時に先輩から「お前はよく話すし、ラジオDJなんて向いているんじゃないか?」と言われたのがきっかけです。

 

-そういったちょっとしたことが大きなきっかけになることもあるんですね!

それまではラジオのDJなんて考えたこともありませんでした。あとは当時、ケツメイシさんやLIP SLYMEさんがまだ出始めの頃で、カラオケでもよく歌っていましたね。

 

-野球とDJという、一見関連が無さそうな2つのことに関心を持ったということですね。

まだ当時はスタジアムDJというと当時(※)神戸でやられていた木村さんくらいしかいませんでしたから、そこを結びつけることは考えていませんでした。大学卒業後は教員になり、どこかの学校の野球部の監督ができたらいいな、くらいにしか考えていなかったと思います。その時点で野球の審判は少し違う気がしていました。

 

DJ KIMURA(木村芳生)氏:1991~2000年にオリックス・ブルーウェーブ(現バファローズ)の本拠地、グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)でスタジアムDJを務めた。日本で初めてのスタジアムDJ。

 

オーストラリアで日の丸を背負った後、スタジアムDJへ

 

世界親善野球大会の日本代表

 

-留学時にはニューカレドニアで行われた世界親善野球大会に日本代表兼親善大使として出場されています。

オーストラリア留学中も日本人リーグの野球チームでプレーをしていました。

当時ニューカレドニアはシドニーの領事館が統治していて、世界親善野球大会が開催されるにあたり、日本政府に代表派遣の打診があったのですが、ちょうど春の時期で、高校も大学の試合がありますし、社会人ではレベルが違い過ぎるということで招集するのは難しいということになってしまいました。そこで、領事館の方からリーグ関係者に声をかけて頂き、現地にいた日本人18人が選ばれ、僕もその中に入ったという形です。選手の中には元プロ野球選手もいましたね。

 

-なかなか日本代表になれる機会はないですよね。貴重なご経験をされたと思います。

日の丸を付けるにはやはり国の許可が必要なのですが、そこは領事さんがすべて政府に通してくれました。大会前のフェアエルパーティー(壮行会)も行われるということで、菊の紋が付いた招待状が届きました。そこでは一人ひとりにファーストレディーがつき、領事館の門の前で領事さんから任命書を渡されるんです。さすが日本代表ですよね!野球のプレーヤーとしてはそれが自分のピークだなと感じました(笑)

 

世界親善野球大会の日本代表

 

-実際に出場した大会はいかがでしたか。

優勝することはできなかったのですが、その大会の試合が行われるスタジアムで初めてスタジアムDJと出会うことになります。ニューカレドニアはフランス語圏なので、言葉の意味は分かりませんでしたが、ターンテーブルとマイクの前で、ファールボールが飛んだ時の(※)SEからバッターコールまで、全て1人でやっているスタジアムDJがいました。試合前にもスタジアムにクラブ系の音楽を流し、子供達に掛け声を促したりして、会場を盛り上げていました。野球とDJが繋がる瞬間を初めて間近で見て、僕は衝撃を受けたんです。しかも自分も選手としてその人にバッターコールをしてもらうわけですからね。それでスタジアムDJになりたいと強く思うようになりました。

 

SE:ここではサウンドエフェクト(効果音)のことを指す。ファールボールなどがスタンドへ飛んでいった際、観客に注意を促すために球場で流されることがある。

 

-運命的な出会いの後、帰国してからスタジアムDJになるためにどのように活動を始めたのですか。

大学に復学すると同時に、アナウンススクールにも通い始めました。卒業後は東京に出てきて、オーディションをたくさん受けました。

一番初めに合格したのは岐阜県にあるスキー場で、ガラス張りのDJブースがあるところでした。そこでワンマンでDJをして曲をかけながら、レストランや温泉の情報を話すという内容のものです。キャリアとしてはそこからがスタートになります。

 

-そして様々なキャリアを重ねていく中で現在はDeNAベイスターズのスタジアムDJを務められていますが、それにはどのような経緯があったのでしょうか。

僕は当時、FMヨコハマのリポーターをやっていて、スタジオでそれを受けていた方が前任としてスタジアムDJをされていました。

それでDeNAベイスターズになるタイミングで一緒にやろうとお声がけ頂いたことがきっかけです。

リポーターの他にも関西独立リーグやBCリーグのスタジアムDJをしていたりもしました。そういった活動をしているということを話してアピールしたところ、誘って頂くことができました。

 

-ご自身で行動し、発信する力を持っていたんですね。

野球で話したいのであればまず、確固たる知識が必要で、かつ野球場にいることが重要だと考えていました。なので、東京に出てきてから一番初めにやったアルバイトも神宮球場のグラウンド整備です。

 

南隼人

 

-DeNAベイスターズのスタジアムDJを務める上で前任の方と違いを出していきたいと意識したところはありますか。

正直1年目は分からないことだらけで苦労ばかりでした。

自分の色を出せるようになったのは2年目からです。球団全体でスタジアムの演出やエンターテインメントに力を入れ始め、体制や考え方もガラリと変わりました。

おそらくファンの方々も僕をスタジアムDJとして認知してくれるようになったのは2年目からだと思います。1年目は試合前とイニング間、ヒーローインタビューだけでしたが、2年目からはバッターコールもやるようになったからです。2年目の2013年は開幕直後からブランコ選手(現・オリックス)がホームランを量産していたので、バッターコールも少し変化を付けて言うようにしたところから、ファンの方にも少しずつ浸透していったのではないかと感じています。

 

-確かにネット上で話題にもなっていました。

子供達もブランコ言っている人だ!と覚えてくれたり、ネット上でも「トォニィ、ブゥゥラァンコォォォ」みたいな形で皆さん書き込んでくださったりしたので、定着していきました(笑)

 

-南さんが初めにDJを目指すと言った時の周囲のリアクションはいかがでしたか。

父が反対したことはなかったです。

実は以前、僕の祖父がなくなった時に仕事でお通夜に間に合わなかったことがありました。DeNAベイスターズのスタジアムDJは僕しかいないので、試合があれば、たとえ葬式などの大切な行事があったとしても出られないわけです。そのことを伝えた時に親父は「そんな心配はしなくていいから、お前はもっと売れるように頑張ってこい」と言ってくれました。その言葉から理解してくれているし、応援もしてくれていると感じることができました。現在も毎年、試合を観に来てくれています。

地元の友達は正直なところ何の仕事をしているのだろうと半信半疑だったと思います(笑)でもこうして野球のスタジアムDJをするようになり、DeNAベイスターズも注目度が上がってくる中で、たまに岐阜で試合の中継があると連絡してきてくれます。

 

スタジアムDJを担当する上での喜びと苦悩

 

-試合では様々なイベントが行われたりすることがあると思いますが、その場合には入念に打ち合わせをするのでしょうか。

しますね。あとはDeNAベイスターズの場合、場外にもステージがあって、そこで始球式で投げるゲストの方のトークショーがあったりもしますから、そこはしっかりやります。

 

-毎試合前に行っているルーティーンワークがあれば教えてください。

一回僕は喉を壊しているので、そのケアは常にしています。吸入器があるので、それを試合前にしています。

 

-喉のケアの部分で他に日常生活から気を付けていることはありますか。

冷たい飲み物は飲まないようにしています。冷蔵庫に入っているものでも出して、常温にしてから飲んでいます。お酒もあまり飲みません。寝る時はマスクをしますし、エアコンは極力付けないようにしています。

 

-お仕事の場面で声が出なかった経験はありますか。

一度だけあります。これは野球ではなく、バスケットボールの試合でしたが、話さないわけにはいかないので、喉だけを使って普段話す声と同じような低いトーンでやりました。

 

南隼人

 

-あれだけ大勢のお客様の前でお話するとなると緊張することもあると思います。

緊張で嗚咽(おえつ)が止まらなくなることはあります。一番初めに嗚咽が止まらなくなる経験をしたのは2013年の最終戦です。その日は小池選手(現・外野守備走塁コーチ)の引退試合ということに加えて、DeNAベイスターズの横浜スタジアム主催試合で初めてウェーブを作る日だったんです。スタンドの皆さんにはそれぞれウェーブで使用するボードを配っていました。ウェーブを作る予定の5回にはエキサイティングシートの前まで出ていって、お客さんに呼びかけ、盛り上げていいとまで言われていました。その日は試合前の練習の時から嗚咽が止まりませんでしたね。当然ウェーブなんてできるのか、という不安もありましたし、成功させるための事前の説明も自分がするということで本当に緊張しました。

 

-緊張を鎮めるための対策は特にしていないのでしょうか。

そうですね。そのまま流れで入っていきます。話し始めれば和らいでいきますから。

 

-うまく話すためのアドバイスがあればお願いします。

まず、腹式呼吸で話すことです。

あとは分かりやすい言葉で端的に話すことが大切です。特に横浜スタジアムなどは屋外なので、言葉を区切って話すようにしています。「さぁ、スタンドの皆さん、今日も勝利に向かって…」といった、語りかけるような形をイメージしています。

他には皆さんに何かを呼びかける際に、絶対「◯◯してください」とは言いません。必ず「一緒に◯◯“しましょう”」という言い方をします。僕は基本的に選手側ではなく、スタンドの皆さんと同じ立場の代表として話しているというスタンスです。なので「一緒に」「みんなで」という言葉はよく使うと思います。

 

-細かい部分かもしれませんが、意識としてすごく大切なことばかりですね。スタジアムの雰囲気を作るために他の役割の方とも連携されているのでしょうか。

2013年から試合前には演出の運営ミーティングというものを行って、スタジアムの雰囲気をどのように作っていくかを話し合うことにしています。負けが込んでいる時にはどのようなことを話すのか、特に大事な試合で前段階からスタンドを盛り上げるためにどうしたらいいのか、などを音響担当やビジョン担当も含め、演出に関わるメンバー全員で共有してやるようにしています。

 

-今まで一番大きな失敗をしてしまった試合を教えてください。

試合前に一人ひとりポジションに付く際に8人しか呼んでいなかったことがあります。2013年のその試合はドラフト1位の白崎選手がショートで初スタメンだった日で、それをすごく言いたかったのでしょう。サードの中村紀洋選手を完全に忘れてしまい、ショート→キャッチャー→ピッチャーと1つ飛ばして言ってしまいました。ベンチからも指摘されたのですが、結局タイミングを逃して呼び出せず、試合後に謝りに行きました。その試合でノリさんはホームラン1本を含む猛打賞で、「ええよ、今日は打ったから」と笑って許してもらいましたが、本当に血の気が引くほどの大失敗でしたね。

 

-逆に一番印象に残っている、感動した試合を教えてください。

それも2013年で、(※)スターナイトの時です。初めてユニフォームが配布され、(※)「勇者の遺伝子」を作曲した布袋寅泰さんがスタジアムにいらした日です。「全員で立って、タオルを掲げ、勇者の遺伝子を歌いましょう!」と僕が言うと本当にスタジアムのお客さんが全員立って、花が開くかのように皆さんがタオルを掲げるんです。あれは鳥肌が立ちましたし、グラウンドにいても震えました。3塁側までDeNAベイスターズファンで埋まったあの試合は忘れられません。

今では、たくさんのお客様にご来場頂けるようになり、立ったりタオルを広げてくれたりするようになりましたが、まだその頃はお客さんも全然入っていませんでした。スターナイトでようやく満員になったんです。

 

YOKOHAMA STAR☆NIGHT:DeNAベイスターズ夏の一大イベント試合。2013年からは選手がイベント限定ユニフォームを着用してプレーし、同じデザインのものが来場者に配布されている。今年の行われたイベントに関する情報はこちら

勇者の遺伝子:横浜DeNAベイスターズ応援歌。作詞:森 雪之丞 作曲:布袋 寅泰。

 

南隼人

タオルを掲げ、勇者の遺伝子を歌うことも今では自然な光景になった

 

-一方で今シーズンは通常の試合からたくさんのお客さんがスタジアムに足を運んでいます。

そうですね。今年はどのチームが相手でも3塁側までDeNAベイスターズファンの方が多くいらっしゃるので、今シーズンからはそちらもホーム側だと意識して話しています。特に(※) リビングBOXシートや(※)スカイバーカウンターにはDeNAベイスターズファンの方が入りますから、見るようにしています。

 

リビングBOXシート:リビングでくつろぎながらプロ野球のライブ観戦を楽しめるというコンセプトの座席。床はクッションになっている。

スカイバーカウンター:プロ野球のライブ観戦と、スポーツバーのカウンターに座って、ビールや食事を楽しみながらの観戦、という2つの醍醐味を両立させる座席。

 

-特に南さんがスタジアムDJをする上で皆さんに感じてほしいアピールポイントがあれば教えてください。

DeNAベイスターズはセ・リーグの中では唯一、スタジアムDJがバッターコールまでしているので、そこは注目してほしいです。例えば同じ筒香選手でも、試合の序盤でランナーなし、先頭バッターの場合と、ラッキー7で1点ビハインドの2アウト満塁の場合では全くバッターコールの仕方が違います。僕はお客さんと盛り上がりの温度を一緒に保っていたいと思っています。

アピールポイントなのかは分かりませんが、選手もおそらく気付いているでしょうし、お客さんにも感じてほしいところです。

 

-その日の試合で話す内容については事前に決めておくのでしょうか。

試合によって言わなくてはいけない内容はありますが、僕は基本的に箇条書きでしかメモをしていません。あとは話す直前にスタンドを見渡して、どの辺りが盛り上がっているか、今日はどのような雰囲気かを感じ取っては話すようにはしています。予め話す内容は意図的に決めないようにしていますね。スタジアムはライブ感が大切だと思いますし、そこで感じたことを話した方が皆さんにも伝わると考えているからです。

 

-南さんが選手とコミュニケーションを取る機会はどの程度あるのでしょうか。

まず、試合前などにグラウンドで会えば当然挨拶はします。前日にヒーローインタビューをした選手であれば、感謝を伝えた上で話しにくい質問はなかったか聞いたり、良かったコメントについて話したりして、コミュニケーションを取るようにしています。時々答えにくい質問があったと指摘されることもあるので、改善していくように伝えています。

あとは試合前のノックの時に必ず監督に挨拶に行きます。ちょうどそのタイミングで監督・コーチ陣が全員集まるからです。その時に監督から激励されることもあれば、ヒーローインタビューが長かったり伝わりにくかったりするとお叱りを受けることもあります(笑)特に以前はそれでよく指摘を受けていましたね。でも監督は常にファン目線なので、その言葉がすごくありがたかったです。

 

-ヒーローインタビューの時間が長くなるとそれだけ選手に負担になるという配慮なのでしょうか。

ヒーローインタビューをベンチ内でチーム全員が聞いているというのは珍しいんです。大抵チームメイトはベンチ奥に下がってしまうのですが、うちの場合はインタビューが終わってからボールの投げ込みなどを行っています。

 

ヒーローインタビューを行う南隼人

ヒーローインタビューについて選手とコミュニケーションを取ることも

 

-それは選手間で決められたことなのでしょうか。

中畑監督が一番初めにヒーローインタビューを全員で聞こうと言ったんです。そしてその後にサインボールを投げ込むことになりました。今でも監督は3塁側までボールを投げに行っています。

 

-ファンサービスを重視する姿勢を監督から発信していったんですね。

ヒーローインタビューを受けている選手を他の選手が笑わせようとしたりもするので、仲が良いチームのいい雰囲気が見られると思います。

 

-ヒーローインタビューで聞く内容は事前に決めているのでしょうか。

試合中にポイントをメモし、9回表くらいに決めています。あとは試合前に選手の対戦成績や前回登板などのデータを自分でまとめているので、そこから引っ張ってきて質問することもありますし、スタンドを観てその場で決める質問もあります。

 

-データをまとめる作業をされているというお話ですが、どのくらい時間をかけて行っているのでしょうか。

1時間から1時間半ほどかけていると思います。

 

チームの勝利をスタンドの皆さんと一緒に分かち合っていきたい

 

-今後の目標を教えてください。

まずはチームの勝利をスタンドの皆さんと一緒に分かち合っていきたいです。その中での個人的な目標は日本一のスタジアムDJになることです。例えば野球日本代表選手が選出されるなら、日本がホームの国際試合でバッターコールをするスタジアムDJも12球団の中から選ばれてもいいと思うんです。そして他の球団のファンの方からもあの人の声はいい、と言ってもらえるようになりたいです。

MLBのニューヨーク・ヤンキースには91歳までスタジアムアナウンサーを務めた(※)ボブ・シェパードさんという、「ボイス・オブ・ヤンキースタジアム」と呼ばれる称号を得たほどの方がいます。あのジーターはその方のバッターコールで打席に入りたいという希望があって、シェパードさんが辞める前にはわざわざ声を録音して引退までその声を使い続けたそうです。そういった偉大な先人のように選手からも信頼感を得られるようになっていきたいです。

 

ボブ・シェパード:1951〜2007年にヤンキースタジアムで場内アナウンスを務めた。22回のワールドシリーズを含む、4500試合を担当。2010年7月に99歳で死去。

 

-具体的にこの舞台でスタジアムDJをしたいというのはありますか?

もちろん日本シリーズです。日本一をかけた試合で話すと考えるだけでワクワクしますし、もし実現したらそれこそドキドキが止まらないでしょうね(笑)

 

-野球以外のスポーツに携わることはありますか。

冬はスキー・スノーボードで、今でも大会MCをしに行っています。自分でもスノーボードはしますし、インストラクターの資格も持っています。

野球のシーズン中もチームがビジターの試合でこちらにいない時は自転車やマラソンの大会のMCをしています。

 

-他にも(※)アスリートフードマイスターの資格をお持ちですね。

今はプロ野球選手の奥様など、多くの方が持っている資格だと思いますが、その前からスノーボードのインストラクターをする上で食事の面でアドバイスできたらと考えて、取得しました。

アスリートフードマイスター:アスリートが食事で失敗しないための、必要なスキルを身につける資格。「スポーツのための食事学」で、目的別・年齢別・タイミング別に食事を設計するノウハウを身につけることができる。

 

 

 

南隼人

 

-少々恥ずかしいかもしれませんが…ご自身で思う自分の魅力を教えてください!

…難しいですね。人懐っこいのと、良くも悪くも自分の主張をしっかりするところですかね。初対面の人にもどんどん自分の話をするタイプです。

 

-日頃の積み重ねが大切ということですね。

選手の誕生日、出身地、出身学校・チームなどは覚えるようにしています。例えば学生時代にチームメイトであったとか、その年の甲子園出場校と照らし合わせて話したりします。今年だとオコエ選手で話題になった関東一高は山下(幸輝)選手の出身校で、東京都予選の準決勝で山﨑康晃投手の出身校である帝京高校と対戦しています。

出身地と出身校が必ずしも同じとは限らないので、その辺りの細かい部分については質問できる時に直接選手に聞いて、メモを残すこともあります。もしかしたら何かに役立つかもしれませんから。

 

-もしスタジアムDJをしていなかったら、何をしていたと思いますか。

メディア関係か、学校の先生になって野球の指導者の道に進んでいたと思います。

柔道を始めた時に読んでいた漫画・YAWARA!の中に、記者の松田耕作という登場人物が出てきます。主人公をずっと追いかけ続ける記者なのですが、その人に憧れていたというのもありました。

あとは監督・コーチという形で指導するために教員もいいな、と考えていました。でもいずれにしても野球に携わっていたと思います。

 

-審判になりたかったという話もありましたが、それはなかったですか。

口が軽いので審判にはなれなかったかもしれません(笑)でももしなっていたらいろいろなポーズをやっていたでしょうね!厳格な審判はできなかったでしょう。

 

-大切にしている言葉や座右の銘はありますか。

自分の中で決めている大切な言葉は「MIX UP」です。互いをどんどん高め合っていくことで限界をなくし、上昇していくスパイラルを生み出すということです。誰かが頑張っていたら負けないように自分も頑張って、またその人がそれを感じ取ってさらに頑張る、というイメージです。

人から言われて意識しているのは「感謝する」ことです。これは一番初めのスキー場のお仕事の時のプロデューサーがずっと言っていたことです。

 

南隼人

 

-それでは最後に読者の方にメッセージをお願いします。

まずDeNAベイスターズファンの方には、シーズン最後まで諦めずに一緒に応援していきましょう!と強く思います。それでチームを強くし、みんなで日本一を目指していきたいです。

これからMCやスタジアムDJを目指す人はまず、そのスポーツを好きになって、やってみることが大切です。僕は野球だけに限らず、スキーやスノーボードに関しても、ある程度自分がプレーする側としてクリアできないと話せないと考えていました。自分の経験談に基づいて話す方がより伝わると思いますし、お客さんと選手の間に立つ仕事なので、選手寄りの知識もないと話せません。だからこそそのスポーツを好きになって、まずは自分でプレーをしてみることが一番です。

読者の方にはスポーツイベントや試合の中で選手とお客さんを繋ぐ人がいるということを感じて頂ければと思います。そのスポーツのルールが分からなったとしても、ぜひスタンドに足を運んで雰囲気を感じてほしいです。そこで楽しませるのが僕達スタジアムDJの役割でもあると思うので、これをきっかけにスポーツを観てもらえたら嬉しいです。