24歳でバイク事故。トップ選手との出会いを機に車椅子ランナーへ

2015.08.06 森 大樹

洞ノ上浩太

 

今回は車いす陸上競技(マラソン)・洞ノ上(ほきのうえ)浩太選手にお話を伺います。24歳の時の事故で脊髄を損傷、車いす生活を余儀なくされた洞ノ上選手は2002年から車いすでの陸上競技を始め、2008年北京パラリンピックでは5000m・フルマラソンで5位、2012年ロンドンパラリンピックでは6位という成績を収められています。その他にも日本記録の更新や世界陸上で銅メダルを獲得するなど、ご活躍されています。

 

車いすマラソンとはどういった競技なのか

 

-まず初めに、おそらくこれを読んでいる読者の方は車いすマラソンについてあまり知らない人も多いと思うので、簡単に教えてください。

私は車いすの陸上競技をやっています。基本的には健常者の陸上と同じです。10000mだけはありませんが、100m~5000mまで種目はあって、長距離もハーフマラソン、フルマラソンとあり、様々な大会が開催されています。ただ、あくまで車いすを使った「陸上競技」なので、ギアの使用は認められていません。ギアを付けてしまうと自転車と同じになってしまいます。

競技ではレーサーと呼ばれる、自分の足で走れない人のための専用の車いすを用います。それを手だけで漕いで走り、タイムを競うという競技です。

 

-障害の度合いによってクラスが分かれているとお聞きしました。

そうですね。全ての障害者スポーツにクラス分けがあります。大抵の場合、何らかの理由で脊髄を損傷して車いすになる人が多いのですが、その場所によってもかなり違いがあります。例えば頚椎の損傷ですとかなり上の方なので、手にも麻痺が残ってしまうことが多いです。一方で自分のように腰椎の下を損傷している場合は手に全然麻痺が残りません。手に麻痺が残った選手と残っていない選手が同じ条件だと競技としてフェアではなくなるので、そこでクラス分けをするということです。

厳密にはそのクラス分けの中でも、さらに細かく分けられます。例えば自分達ように腕に麻痺がない人の中でも、腹筋がある人とない人でさらにクラスが分けられます。

 

-結構細かく分けられているということですね。競技によっても分けられ方が違うのでしょうか。

そうですね。たぶん一番細かく分けられているのは水泳です。しかし、車いす陸上のような競技は、健常者の競技のように人口が多いわけではありません。そうなると本来はさらに細かくクラス分けをすべきところが分けられなかったりして、本当にこの人達が同じクラスでいいのか、という疑問が生まれることはありますね。

 

-競技として成立させるためには仕方ないということですね。

それでも人口が少なくて、大会によってはエントリーしている選手だけで予選なしの一発決勝ということも結構あります。特に女子や障害が重度の部門はそういうことがよく起きます。重度の障害を持つ人は競技と出会ったとしても、やるためには誰かのサポートがないとできないことがほとんどだと思います。例えば競技用の車いすに乗り移れないといった問題があるので、どうしてもやりにくい部分はあります。

しかしその一方で1つ1つの競技人口自体は少ないのに、競技の多様化ばかりが進んでいるような状況が生まれてしまっています。それで競技間で既に選手取り合いのようなことが起こってしまっているのはよくないことだと感じています。

 

-洞ノ上さんも他の競技をやってみたりすることはあるのでしょうか。

今は他の競技を真剣にやれるほどの余裕はありませんが、ゆくゆくはやっていきたいという思いはあります。中でも車いすテニスは地元・福岡県飯塚市で大きな大会が開催されるというのもあり、いつもよく観に行っていて、すごくやりたいです。

あとはこの前、北九州の大学に自分達の車いすマラソンのチームで行って、ソフトボール体験会をさせてもらいました。そういうことをやっていって横の繋がりを作り、交流を深めていければいいですね。

自分は選手が1つの競技に捉われないで、趣味で別の競技をやってもいいと思うんです。色々な競技をやってみるというのは実はすごく大事なことではないかと考えているからです。それに自分のように競技の第一線でやっている選手がやることにも意味があります。僕が別の競技にもチャレンジしてみることで「洞ノ上さんがやっているあの競技をやってみたい」という気持ちが車いす生活をしている方の中に芽生えてくれたら嬉しいです。ただ、もちろんあくまで本業である陸上に支障がない範囲で、気分転換に体を動かすということです。でももしかしたら選手として陸上に繋がるようなヒントが得られるかもしれません。だから1つの競技に決めきってしまうのは良くないと思います。特に若い人は色々な競技をやってみて、自分にある競技を見つけてほしいです。

 

事故による骨髄損傷。トップ選手との出会い。そして競技の世界へ

-それでは、どういった経緯で車いすの生活を送ることになったのか、その事故について教えて下さい。

私は24歳の時にバイクで自損事故を起こしてしまいました。5人でツーリングに出かけている最中のことでした。仲の良い友達からツーリングに行こうと誘われて行ったわけですが、実は自分、最初は断ったんです。モトクロスが好きで自分のバイクで小さなレースにも出ていたのですが、そのせいでエンジンが焼き付いてしまって修理に出していたからです。でも友達がバイクを2台持っていたため、貸してもらえることになったので行きました。しかし、初めて乗るバイクだったため、なかなか運転に慣れず、自損事故を起こしてしまったということです。

その時に足の動脈を切ってしまい、出血が酷く、事故直後は命に関わる危険な状態でした。近くの病院に運ばれましたが、田舎の病院で血管を繋げられる先生がいないということで、結局車で1時間くらいのところの大学病院に慌てて救急車で転送され、タイムリミットぎりぎりで何とか手術して頂くことができました。その後も感染症の心配や、血流の問題で左足切断の危機がありましたが、何とか乗り越えてきました。

しかし、詳細な検査をした結果、脊髄も損傷していることが発覚して、それが車いすになる原因となりました。40日ほど大学病院のICUに入院した後、たまたま日本に2つしか無い脊髄専門の病院が近所にあったので、そこに転院して手術をしたという流れです。

 

洞ノ上浩太

 

-そこから車いすマラソンに出会った経緯を教えてください。

 

入院ですごくフラストレーションが溜まっていたので、体を動かしたいと思い、最初は車いすテニスをしていました。同じ部屋に入院していた(※)笹原さんが遊びでお昼にテニスの壁打ちをしていたことがきっかけとなって、一緒にやり始めました。当時はまだ本当に遊び感覚で、大会などに出たことがあったわけではないです。

笹原くんは先に退院して地元・大分に戻ったのですが、ちょうど自分も退院した頃にその彼から連絡がきて、今何かスポーツをやっているか聞かれました。

もうあまりやってない、テニスもできていないという旨を伝えたところ、車いす陸上に誘ってくれたんです。それでまずは山口の方まで、彼が出場している大会を観に行きました。彼もまだやり出してから半年くらいだったのですが、圧倒的な強さで優勝していました。目の前をありえないぐらいの速度で駆け抜けていき、優勝してガッツポーズしている、その姿がすごく衝撃的でした。それで自分も始めたというのがきっかけです。

その彼というのが元日本記録保持者の笹原選手で、銀メダルを獲った北京パラリンピック限りで引退しました。自分よりも歳は1つ下なのでまだ頑張れると思いますが、彼なりにいろいろと思うことが引退したのでしょう。僕は彼の背中をずっと追いかけてきていましたが、最終的に勝ち逃げされちゃいましたね。でも今は彼の日本記録も塗り替えられたので、越えられたかなと思っています。

※笹原廣喜選手:大分県豊後高田市出身の車いす陸上選手。北京パラリンピックマラソン銀メダリスト。

 

-レーサーは一般的な車いすとはまるで違う形をしているので、慣れるまでは苦労しそうですね。

あれは本当に特殊だと思います。他の競技の車いすでもなかなかないような、正座状態でかなりの前傾姿勢を取らなくてはなりません。だから、人と会話するために油断して少しでも起き上がったら前輪が浮いてしまって、後ろに転げ落ちてしまいます。もはや車いすではない、別物です。

車いすテニスや車いすバスケットボールは車輪がハの字型に設置されていて、形状も似ていますが、それとも少し異なっています。最初は近くの電柱まで行って帰ってくることすらできず、大変でした。

 

-慣れるまではやはり時間がかかりましたか。

大分時間がかかります。やり出して半年くらいでようやく初めてのレースに出られるほどにまでなりました。

 

-実際に始めたいと思っても環境面などの問題があって、なかなかすぐにやるのは難しいですよね。

そうですね。当然レーサーもないので、私は笹原さんがいる大分まで行って、彼の知り合いから安く譲ってもらい、乗り方を教えてもらったりしました。でも遠いのでそんなに頻繁には通えません。行けてもだいたい月1回くらいです。あとは父親が鉄鋼所をやっているので、室内用のルームランナーを作ってもらい、それを自宅の車庫に置いてずっと練習していました。それを作ってもらってから半年間ほどはルームランナーのみで、ほとんど外ではやっていません。やはり慣れていないまま外で練習するのは少し怖いというのがありました。それ以降は地元の河川敷などで練習していました。

 

洞ノ上浩太

 

-レーサーは購入するといくらくらいかかるのでしょうか。

スタンダードなものであれば車輪もいれて80~100万円ほどします。でも今自分が注文しているものはフルカーボンで200万円ほどします。それが来月に届く予定になっています。少しやってみようという人が購入するにはなかなかハードルが高いと思います。それに実際に乗ってみて自分に適したポジションや幅が分かってくるものです。これからはいかにして気軽に乗れる環境を整備するのか、レーサーの貸出の仕組みを構築していくのか、ということが課題のような気がします。

 

-普及のことを考えるとそこはネックになってくるように思います。

 

瞬発力やパワーより、スタミナで勝負

 

-洞ノ上さんのレース中の得意な戦略やプレースタイルを教えてください。

自分はスタミナ勝負です。外国人は体が大きくて瞬発力やパワーを持っている反面、スタミナに若干隙があります。自分の戦略としては前半から攻めてスタミナを相手に消費させて、最後のゴール前のスプリントの時点で体力を消耗させておく、あるいは前半や中盤の早い段階で引き離しておいて独走で逃げ切るのが自分のスタイルですね。

 

-今まで一番印象的だったのはどのレースですか。

2013年のソウルマラソンです。日本記録を更新して、世界記録までもあと40秒ほどに迫った自分の中でも会心のレースでした。世界記録保持者とギリギリまで競っていて、ほぼ同タイムでしたが結局半車差で負けてしまいました。でもそれは自分の中ですごく成長できたレースだったと思います。

 

-レース前には緊張しますよね。

そうですね。でもそのレース前の緊張とレース後のやりきった感が一番の醍醐味です。特にやるべきことは全てやってきた、いよいよ明日本番という時の緊張感が好きです。スタートラインに立った時の今までやってきたことが全て出せるのか、という緊張感はその人にしか味わえません。でもそれはしっかり準備をやっていないと行き着かないところだと思います。

レースは水物なので分かりませんが、自分より練習やトレーニングをやっている人がいれば負けてしまいます。でもそういう時にもメンタルや気持ちの面だけでは絶対負けないようにと考えています。

 

洞ノ上浩太

 

-レース前の緊張をほぐすためにしていることはありますか。

レースでの緊張は練習でしか拭えないと思います。ありがちな答えかもしれないですが、きつい練習をやって、自分に嘘をつくことなく、建てたプラン通りにやったかどうかというのが1つの基準になります。それをクリアしていればレース前の緊張が少ないです。しかし、練習量が少なかったかもしれないと思えば緊張もしますし、そういう時はやはりあまり結果もよくないものです。だからやはり練習しかないと思います。

僕の場合、ルーティンなどは一切ないです。例えばこれを食べないとダメだとか、何かを履く時にはこちらの足からするとか、全くありません。自分はメンタルトレーニングをずっとやっていたのもあって、なかなかそういうことで脳みそがごまかされなくなってきていると思うんです(笑)

自分はルーティンというのは無駄なことだと思っています。確かにモチベーションを保つために人によっては大切だと思いますが、それなら準備と何が違うのでしょうか。しかし準備はルーティンではない。準備は淡々と必要なことをするだけです。そしてそれは当たり前のことです。一方ここで指すいわゆるルーティンというのは実際レースに影響はないけれども、自分が願掛けとしてやっているおまじないみたいなものだと思うので、自分は特に持っていません。

 

-ルーティンはもし万が一それができなかった時、不安になってしまいます。

それをするだけで勝てるなら楽だなと思いますけどね(笑)でもそんな甘いものではないんです。積み重ねたものがあるからこそ結果が付いてきます。プレッシャーを取り除き、自分を信じるためにはトレーニングするしかないと思っています。

 

【後編】へ続く