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駒大サッカー部から工場、旅館、指導者…転職の末に辿りついた『Hudl』という挑戦の場【PR】

2023.03.01 / AZrena編集部

スポーツ応援アプリ『TeamHub』とHudl社の映像分析ツール利用サポートキャンペーンがスタート。株式会社フィットネスアポロの井指さんに、Hudl社の一員として抱く映像分析への思いに迫ります。

株式会社Link Sportsが運営するスポーツ応援アプリ『TeamHub』は、Hudl社と映像分析ツールの利用料をサポートするキャンペーンを開始しました。
(詳細はこちら)https://linksports.co.jp/archives/2597

今回のキャンペーン開始にあわせお話を伺ったのは、株式会社フィットネスアポロ(Hudl社日本総代理店)営業担当の井指隆範(いさし・たかのり)さん。駒澤大学サッカー部や社会人チームでプレーヤーとして活動した後、育成年代の指導者やさまざまな業種への転職を経て、Hudlへ入社しました。

プロを目指して奮闘した学生時代のエピソードからHudlで入社までの経緯、Hudl社の一員として抱く映像分析への思いに迫ります。

チームメイトは山田大記、松浦拓弥…プロを目指した学生時代

小学1年生のときに兄の影響でサッカーをはじめました。小学4年生からフィールドプレーヤーとゴールキーパーを兼任しはじめて、中学生からは本格的にキーパーをやるようになりました。点を取ることよりも、ゴールを守るほうが楽しかったんです。もともとフォワードだったのですが、点を取られたくないから自分たちのゴール前に戻って守備をしていました(笑)。

小学生のときは浜松JFCという選抜チームでもプレーしていて、チームメイトには山田大記(現 ジュビロ磐田)もいましたね。小学校が隣で、中学が一緒だったんです。当時からボールを扱う技術にすごく長けていて、センスもありましたし、「こいつはプロにいくんだろうな」と思っていました。チームとしては、僕が小学校6年生のときに全国優勝も果たしました。

中学と高校は、Honda FC(JFL)のユースチームに入りました。中学生になるときに当時のHonda FCでキーパーコーチを務めていた方に誘われたのがきっかけで、セレクションを受けました。浜松JFCのチームメイトは、大記も含めジュビロの下部組織に入る人が多かったのですが、「みんなと同じところに行くのが嫌だった」というのもありますね。

小学生のときからHonda FCの存在は知っていて、活躍してプロサッカー選手になるんだとイメージしていました。中学時代のチームメイトには、ジュビロでも活躍した松浦拓弥もいましたね。ただ、高校進学に合わせて他のチームへ移っていく選手も少なくなかったです。彼も浜名高校でプリンスリーグの得点王になりましたよね。やっぱり当時から上手かったですよ。

高校卒業後もお世話になったHonda FCでプレーを続けたいという気持ちもありましたが、自分の実力不足でその願いを実現することはできませんでした。そんな中、テレビで駒澤大学が全国大会で三連覇しているのを見たんです。

サッカーを続けるならレベルの高い環境でやりたいなと思っていたなかで、たまたま兄の大学時代の同期の弟が駒澤のサッカー部にいるということで、練習に参加させてもらうことができました。そこですごく良いプレーができて、入部に繋がりました。

駒大へ進学も「ヤバいところに入っちゃったな」

大学時代はプロになることはあまり考えておらず、Honda FCに戻りたいと思っていました。というのも、周りの選手のレベルがすごく高くて、練習についていくだけで必死だったんです。

プロでも活躍した金正也(キムジョンヤ)や、国見高校で10番を背負っていた田中信也(現 流通経済大学サッカー部コーチ)、ほかにも高校選抜の選手が何人もいて、テレビや雑誌で見るような人たちといっしょにプレーしていましたね。「ヤバいところに入っちゃったな」と思いましたよ(笑)。ただ、入部するのにいろいろな人の助けがあったので、簡単には辞められないなと。

とくに2年生までは、先輩との上下関係や走りが多い練習メニューなど、クラブチームと部活のギャップもあって苦しかったですね。キーパーでも関係なく、陸上部かっていうくらい走るんです…(笑)。高校時代も走ってはいましたが、量が全然違いましたね。

結局リーグ戦には出場できずに終わりました。正ゴールキーパーだった岡大生(元ヴァンフォーレ甲府)の壁は高かったです。当時のユニバーシアード代表にも選ばれていましたからね。それでも切磋琢磨しながら、岡がいたから頑張れたところもあります。

ちなみに同じ関東1部リーグでは明治大学に大記もいました。一試合でも対戦したかったなという思いもありますが、実際は試合の前後に少し話すくらいで、「遠い存在になったな」という感じでした(笑)。

転職を繰り返し「スポーツに携わりたい思いが強くなった」

大学卒業後は関西1部(当時)に所属していたアイン食品のサッカー部でプレーすることになりました。大阪という知らない土地でしたが、働きながらサッカーをできる環境でチャレンジしてみようと思ったんです。

正社員として9時から18時まで工場で働いていて、その後に21時くらいまで練習がありました。週4回の練習と土日のどちらかに試合という流れです。「JFLに昇格してHonda FCと対戦したい」、あとは「活躍してプロになる」というのがモチベーションでしたね。

仕事内容は、うどんのつゆや焼肉のタレなど液体食品の製造です。数十キロある調味料の袋を運んだり、かなりの重労働でした。そんな生活を5年続けたところで、一回サッカーから離れてみようと考えるようになりました。楽しくサッカーができる環境に満足してしまって「上を目指すのはもう辞めよう」と。

その後は、東京の旅館でオープニングスタッフとして働きながら、埼玉の社会人サッカーチームに入りました。ただ土日に休みを取ることが難しい業種だったこともあり、ほとんどプレーはできなかったです。

転職して1年が経ったころに、静岡の高校からサッカー部のスタッフにならないかという誘いを受けました。とても迷ったのですが、以前から指導者をやってみたいという気持ちもあったので挑戦することに決めました。

個人的にはずっとそこで活動しようと思っていたのですが、家庭の事情で東京に戻らなければならず……結局1年で辞めざるをえない状況になってしまいました。それでも1年間にわたって育成年代の選手たちを指導した経験は今に繋がっています。

東京に戻ってからは、広告代理店の営業として働きました。営業の仕事は初めてだったので、新卒のような気持ちでしたね(笑)。ただ良くも悪くもいろいろな経験をするなかで、やっぱりサッカー、スポーツに携わりたいという思いが強くなっていったんです。

Hudlでの新たな挑戦「指導者時代の経験を活かせる」

そんなとき、SNSを見ていたら高校時代の後輩がHudlの日本法人で働いていることを知りました。卒業以来ほとんど連絡は取っていなかったのですが、「最近どう?」とメッセージを送ったんです。そこで自分の現状や思いを伝えたところ、相手も営業担当を探しているタイミングだということで社長や部長と面談をすることになりました。

そこで育成年代の話題になり、「これは自分の経験が活かせるのではないか」と。面談を経て、Hudlで働くことが決まりました。入社するまでHudlの存在は知らなかったです。ただ、指導していた高校で別の分析ソフトを使っていたので、こういったツールがあることは知っていました。

Hudlは分析ツールの中でも世界的に有名で、導入しているプロチームも多くあります。入社してすぐに、これを育成年代に広げていけば、日本サッカー界が変わるきっかけになると思いました。

現在は主に育成年代を中心とした新規営業を担当しています。とはいえ、チームとのコミュニケーションは契約を締結するときだけではありません。契約を結んだ後もできるだけ現場に足を運んで、チームの声を聞くようにしていますね。

上手く使ってもらえなければチームのプラスにはなりませんから、契約をして終わりではダメなんです。利用状況を確認したり、活用事例をお伝えしたりしています。実際、クライアントの方からはポジティブな感想をいただいていますし、少しでも力になれているのかなと実感しています。めちゃくちゃ楽しいですし、充実しています。

あとは継続してコミュニケーションを取ることによって、自分たちがHudlについて学ぶことができるんです。ユーザーの方がどういった悩みを抱えていて、どう解決していくのかをいっしょに考えることで、こちらから提案できることの引き出しが増えていく感覚ですね。

 

ユーザーとなっているチームへ毎週のように訪問している

Hudlを通じて「分析の重要性」を伝えていく

Hudlの良いところは「自分たちで作業する必要がない」こと。高校生や学生は、タグ付けなどの分析作業を自分たちで手動で行なわなければいけなかったのですが、それがすごく気になっていたんです。サッカーだけでなく、学校の勉強もしなければいけないなかで「時間を効果的に使ってもらえるな」と。

Hudlであれば動画をアップロードをして、hudlアシストというタグ付けを代行するサービスへ送っていただくだけで、詳細なデータを見ることができるので、時間を合理的に使うことができます。選手や指導者に余裕が生まれることで、チーム、個人のレベルアップに繋がりますからね。サッカーだけでなく、さまざまな競技の底上げをしていきたいです。

今後はもっと日本全体に「分析の重要性」が浸透してほしいですね。海外に比べるとアナリストの数も少なく、まだまだ課題は多いと感じます。育成年代を担当している立場としても、Hudlの認知を広げることで「選手だけじゃないスポーツとの関わり方もあるんだよ」と伝えていきたいです。