森 大樹

団員の私生活から“あの選手”の応援歌誕生まで。東京音頭と傘で応援、ヤクルト・ツバメ軍団の裏側。

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野球観戦に行けば必ず耳に入ってくるトランペットの音色とそれに合わせて歌われる応援歌。それは愛するチームの勝利を願い、鼓舞するために行われる。

しかし、自分の学校の生徒達が応援をする高校野球はともかく、プロ野球は一体誰が応援を仕切っているだろうか?そんな野球ファンの疑問を解決するためにプロ野球の応援団の裏側に迫っていきたいと思う。

ご協力頂いたのは傘を用いた特徴的な応援でおなじみ、東京ヤクルトスワローズの応援をリードする私設応援団・ツバメ軍団。

毎試合スタジアムに足を運ぶ彼らは一体何者なのか?どうやって生計を立てているのか?…そして、昨シーズントリプルスリーを達成した山田哲人選手の応援歌の誕生秘話まで。ヤクルトファンだけでなく、プロ野球好きなら誰もが気になる部分に今回は迫っていこうと思う。

 

あの傘の応援はいつ、誰がやり始めたのか?

元々あの傘の応援は2002年に亡くなったツバメ軍団の団長、故・岡田正泰氏(愛称:オヤジ)が発案したもの。これは1980年代中頃、Bクラスに低迷していたスワローズを応援している人を多く見せたいというところから傘を振ることを思い付いたと言われている。

毎試合フライパンを持参し、応援でそれを用いて鳴り物の元祖を作ったのも岡田氏だ。応援にお金をかけないことをモットーとしており、傘もフライパンも家から持って来られるものとして考えられた。

傘の応援と、どことなくアットホームでゆったりとした神宮のライトスタンドの雰囲気はファンに楽しんでもらうことを第一に考え、応援を強制することもなかったという、“オヤジ”からの遺言なのかもしれない。

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応援団員の私生活は?

「家庭や仕事の事情もありますからね。僕は遠征にはあまり行けないです」

そう語る浅山さんは応援団歴12年目のベテラン。入団後に結婚し、お子さんも生まれた。

浅山さんの仕事は鉄道員。シフト制で土日休みではないため、時間に融通が利き、平日の早い時間帯から球場入りすることもある程度可能だという。

その一方で「たぶん家族には僕は野球がある間は家にいないものなんだと呆れられていると思いますよ(笑)」と家庭を持つ父親としてはなかなか厳しい立ち位置であることも事実のようだ。

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普段は鉄道員として働く浅山さん

 

応援活動のために仕事を選んだという人もいる。今年から社会人になった応援団歴10年目の本間さん。いつも熱い言葉でスタンドを盛り上げている姿が印象的だ。

「野球に行ける仕事、という軸で就職活動をしていました」と語るように、彼の生活の中心は応援団の活動なのだ。大学2年時の2013年には遠征を含めた全144試合皆勤も達成している。

一体どうしたら仕事をしながら応援団の活動を続けていくことができるのか。

そんな就活の悩みを抱えている中迎えた、2014年の西武プリンスドームでのオールスターゲーム。その時に思い切って相談したのは毎試合早くに球場入りしている姿を以前から見ていた他球団の応援団長の方。具体的にどういう仕事をしているのか、直接聞いてみたのだという。

それで教えてもらった職業が魚の卸売の仕事だった。

「夜中から明け方がメインの仕事になるので、野球のない時間帯に働けるんです。だから野球に行きやすくなる、ということを教えて頂きました」

そして本間さんは現在、築地市場で実際に魚の卸売の会社で働きながら、応援活動を続けている。

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応援活動のために仕事を選んだという本間さん

 

もちろん、男性だけではない。応援団歴8年目の三瓶さんは関東のツバメ軍団では唯一の女性団員。紅一点でありながら、リードからトランペットまで全てをこなす。

ツバメ軍団は地方にも支部があり、名古屋には3人、関西には2人(うち1人は代表)、広島に1人、それぞれ女性団員がいる。

「私は関西出身で、よく行く球場といえば甲子園。当然周りにヤクルトファンなんてほとんどいません。でも少ないながらも応援している姿を見て、何か楽しそうでしたし、女性団員もいたので、応援団に入ることに抵抗はなかったです」

男性ばかりの応援団に飛び込むには勇気がいりそうだが、女性団員がいてくれることで三瓶さんのように後に続く人ももっとこれから出てくるだろう。

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関東では唯一の女性団員である三瓶さん

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