東京音頭と傘でチームを応援。ヤクルト・ツバメ軍団の裏側

2016.08.18 森 大樹

ツバメ軍団

野球観戦に行けば必ず耳に入ってくるトランペットの音色とそれに合わせて歌われる応援歌。それは愛するチームの勝利を願い、鼓舞するために行われる。

しかし、自分の学校の生徒達が応援をする高校野球はともかく、プロ野球は一体誰が応援を仕切っているだろうか?そんな野球ファンの疑問を解決するためにプロ野球の応援団の裏側に迫っていきたいと思う。

ご協力頂いたのは傘を用いた特徴的な応援でおなじみ、東京ヤクルトスワローズの応援をリードする私設応援団・ツバメ軍団。

毎試合スタジアムに足を運ぶ彼らは一体何者なのか?どうやって生計を立てているのか?…そして、昨シーズントリプルスリーを達成した山田哲人選手の応援歌の誕生秘話まで。ヤクルトファンだけでなく、プロ野球好きなら誰もが気になる部分に今回は迫っていこうと思う。

 

あの傘の応援はいつ、誰がやり始めたのか?

元々あの傘の応援は2002年に亡くなったツバメ軍団の団長、故・岡田正泰氏(愛称:オヤジ)が発案したもの。これは1980年代中頃、Bクラスに低迷していたスワローズを応援している人を多く見せたいというところから傘を振ることを思い付いたと言われている。

毎試合フライパンを持参し、応援でそれを用いて鳴り物の元祖を作ったのも岡田氏だ。応援にお金をかけないことをモットーとしており、傘もフライパンも家から持って来られるものとして考えられた。

傘の応援と、どことなくアットホームでゆったりとした神宮のライトスタンドの雰囲気はファンに楽しんでもらうことを第一に考え、応援を強制することもなかったという、“オヤジ”からの遺言なのかもしれない。

東京ヤクルトスワローズのファン 東京ヤクルトスワローズ

応援団員の私生活は?

「家庭や仕事の事情もありますからね。僕は遠征にはあまり行けないです」

そう語る浅山さんは応援団歴12年目のベテラン。入団後に結婚し、お子さんも生まれた。

浅山さんの仕事は鉄道員。シフト制で土日休みではないため、時間に融通が利き、平日の早い時間帯から球場入りすることもある程度可能だという。

その一方で「たぶん家族には僕は野球がある間は家にいないものなんだと呆れられていると思いますよ(笑)」と家庭を持つ父親としてはなかなか厳しい立ち位置であることも事実のようだ。

ツバメ軍団の浅山さん

普段は鉄道員として働く浅山さん

 

応援活動のために仕事を選んだという人もいる。今年から社会人になった応援団歴10年目の本間さん。いつも熱い言葉でスタンドを盛り上げている姿が印象的だ。

「野球に行ける仕事、という軸で就職活動をしていました」と語るように、彼の生活の中心は応援団の活動なのだ。大学2年時の2013年には遠征を含めた全144試合皆勤も達成している。

一体どうしたら仕事をしながら応援団の活動を続けていくことができるのか。

そんな就活の悩みを抱えている中迎えた、2014年の西武プリンスドームでのオールスターゲーム。その時に思い切って相談したのは毎試合早くに球場入りしている姿を以前から見ていた他球団の応援団長の方。具体的にどういう仕事をしているのか、直接聞いてみたのだという。

それで教えてもらった職業が魚の卸売の仕事だった。

「夜中から明け方がメインの仕事になるので、野球のない時間帯に働けるんです。だから野球に行きやすくなる、ということを教えて頂きました」

そして本間さんは現在、築地市場で実際に魚の卸売の会社で働きながら、応援活動を続けている。

ツバメ軍団の本間さん

応援活動のために仕事を選んだという本間さん

 

もちろん、男性だけではない。応援団歴8年目の三瓶さんは関東のツバメ軍団では唯一の女性団員。紅一点でありながら、リードからトランペットまで全てをこなす。

ツバメ軍団は地方にも支部があり、名古屋には3人、関西には2人(うち1人は代表)、広島に1人、それぞれ女性団員がいる。

「私は関西出身で、よく行く球場といえば甲子園。当然周りにヤクルトファンなんてほとんどいません。でも少ないながらも応援している姿を見て、何か楽しそうでしたし、女性団員もいたので、応援団に入ることに抵抗はなかったです」

男性ばかりの応援団に飛び込むには勇気がいりそうだが、女性団員がいてくれることで三瓶さんのように後に続く人ももっとこれから出てくるだろう。

ツバメ軍団の三瓶さん

関東では唯一の女性団員である三瓶さん

長距離移動の苦労!お金と時間と体力の戦い

小学4年生の時から応援団に入って活動を続けている、現在21歳大学生の小原さん。連戦の移動スケジュールで一番きつかったのは2011年のオールスターゲームだという。この年のオールスターは3試合が3連戦で行われ、開催地は第1戦がナゴヤドーム、第2戦がQVCマリンフィールド(千葉)、第3戦が日本製紙クリネックススタジアム宮城(当時)だった。

「まず初戦前日の夜に東京から車で第1戦が行われる名古屋に移動。第1戦が終わった後はそのまま千葉に行き、第2戦をこなしてその日の試合後の夜行バスで第3戦の舞台、仙台へ。そして第3戦が終わったら、またその日の夜行バスで東京に戻ってきました」

0泊5日の強行移動スケジュール。プレーをする選手も大変だが、夏場の一番暑い時期に応援活動をして、これだけの長距離移動もこなすというのはなかなかきついはずだ。

ツバメ軍団の小原さん

小学4年から応援団に所属している小原さん

応援には最低でもリードが1人、太鼓が1人必要となる。加えてトランペットも球場全体に響かせる、かつ休むポイントを作るという点で何人も必要になる。

そのため、応援団は常に人数不足に悩まされており、予め試合前にスタンドのファンの中から応援団員候補を見つけておき、試合中も熱心に応援しているかをチェックしているとか。よければ直接声をかけることもある。

とはいえ、ツバメ軍団員になるには学業や仕事をしっかりやっているというのが最低条件。かつて、それができていない人が応援団だけに注力し過ぎた結果、無理が生じて長く続かったという前例があるからだ。ちなみに現在は高校生以上という年齢制限も設けられている。

 

選手の応援歌ができるまで

どの選手に応援歌を付けるかは、オフシーズンにツバメ軍団員のみが入れるSNS上で意見募集を行った上で関東の団員でミーティングを行い、決定する。以前所属していた選手の応援歌を流用する場合の意見もここで募る形だ。

応援歌作成の流れは、まず初めに曲を全国のツバメ軍団に募集し、投票を行って1選手につき3曲ほどに候補を絞る。そこからさらに決戦投票を行って、採用されたものに歌詞を関東の方で付けていく。

しかし、採用された曲でもキーが高かったり、楽譜に起こすと音符の数が多くてトランペットを吹くのが難しかったり、と障壁があるのも事実。その場合には作曲者の同意を得た上で楽譜に手を加えることもあるそうだ。

ちなみに完成して実際に使用されている応援歌の中で一番吹くのがキツいのは荒木選手の応援歌だという意見が多かった。

 

そうしてできあがった新しい応援歌を大きな声でファンの人に歌ってもらうためには当然、それを覚えてもらう必要がある。声が出ていないと盛り上がりに欠けてしまうことは言うまでもない。特に新曲ができた時にはその事実を発信し、覚えてもらうことが何よりも大切である。

「12球団の中で最もネット上で応援歌の予習ができる応援団を目指している」と本間さんが語るように、ツバメ軍団は全応援歌の実録音源をホームページ(リンク)に掲載している。

また、球場でも積極的に応援歌の歌詞カードを配布している。興味を持ったら団員に一声かけて、誰でももらうことができる。

ツバメ軍団

 

トリプルスリーを後押しした、あの選手の応援歌の誕生

昨年トリプルスリーを達成した山田哲人選手の応援歌を考案したのは三瓶さん。

山田哲人選手の応援歌の歌詞部分は2012年から使われており、2014年の途中から前奏から付いた。本来は2014年の開幕から前奏を付ける予定だったが、なかなかいいメロディが思いつかなかったそうだ。しかし、開幕後のふとした瞬間にメロディを考えつく。

ただ、前奏の最後の部分「夢へと続く道」というフレーズだけは決まらなかった。そこで名古屋遠征の際に居酒屋で団員に意見を求めたところ、本間さんから先述のフレーズのアイディアが出て、完成した。

「山田選手がこれだけ活躍してくれたことで応援歌も皆さんに注目してもらえるようになったので、嬉しいです。」

今では他球団のファンにもおなじみになりつつある、山田選手の応援歌の前奏。球場に足を運んだ時にはぜひチェックしてみてほしい。

 

ツバメ軍団

若くて真面目な彼らが神宮をより熱くする

試合後には毎回ミーティングが開かれ、その日の反省点について振り返りを行う。取材した当日は応援リードの際に観客から視界を遮らないでほしいと指摘があったことについて共有があった。もっと全体を見渡し、お客さんへの配慮を徹底していくことを、20代の比較的若い団員が学生メンバーに伝えているシーンが非常に印象的だった。

神宮球場でのヤクルト戦では8月25日までの夏休み期間中、花火の打ち上げも行われる。

また、ツバメ軍団はチャンス時の応援テーマの1つに「夏祭り」を採用。そして、得点時には盆踊りでもおなじみの東京音頭に合わせて傘を振るのだ。これほどまでに夏の要素が詰まった場所は都心にはなかなかないだろう。

選手のプレーに熱い視線を注ぎ、ツバメ軍団の応援に耳を傾けながら、夏の神宮球場をぜひ楽しんでみてほしい。