無名選手がJリーガーになれた理由…C大阪・渡邉りょう「“挑戦しないこと”が一番の失敗」
学生時代は無名だった渡邉りょう選手が、プロサッカー選手になれた理由とは?産業能率大学からアスルクラロ沼津、藤枝MYFCでのプレーを経て、J1・セレッソ大阪へ。キャリアを支えた5つの哲学に迫ります。
「Philosophies -5つの哲学-」では、プレーヤーやマネージャー、経営者などスポーツ界で活躍している人々に焦点を当て、大事にしていることを5つお話しいただきます。
今回は、2023年にJ2リーグの藤枝MYFCから、J1のセレッソ大阪へ移籍した渡邉りょう選手に、編集長の竹中玲央奈がインタビューしました。高校まで全国大会には全く縁がなく、大学卒業後はJ3のアスルクラロ沼津でアマチュアからスタートしたという、いわゆる“無名”からJ1に上り詰めた渡邉選手が「無名時代からJ2まで這い上があるまでに意識してきた5つのこと」に迫ります。
※本取材は渡邉選手がセレッソ大阪に移籍する直前の2023年7月末に行なわれたものです。
1. 挑戦すること
竹中 これまでのご自分の人生を改めて振り返っていただき、「無名時代からJ2まで這い上があるまでに意識してきた5つのこと」をお話しいただきます。まずは、1つ目からお願いいたします。
渡邉 小さなことをいろいろやってそれがひとつの結果になっているので、5つに絞るのは難しかったですが、整理してみました。まずは、「挑戦すること」です。
人それぞれ考え方はありますが、自分が挑戦したいと思ってやってきたことが今に繋がっていると思うので、僕にとってはすごく大事なことのひとつです。
高校までは、自分のやりたいことができる環境を選んできたので真逆のマインドでしたが、大学進学のタイミングで今後は広い世界に挑戦してみようと思ったのが始まりです。
竹中 とはいえ未知なる部分への挑戦って、少し怖いですよね。成功体験が次のチャレンジにつながるかと思いますが、大学時代はそんな感じでしたか?
渡邉 挑戦したけれど失敗も多かったです。でも僕は、「チャレンジしないことが一番の失敗」と思っています。ですから、ダメだったとしてもまたトライして成功すれば成長したことになるので、挑戦したということが結果に繋がっていると考えますね。
2. 全力でやること
渡邉 1の「挑戦すること」にニュアンス的に似ていますが、僕は技術が突出していたわけでもなく、スピードが速かったわけでもない。それでもここまでやってこられたのは、何でも全力で取り組んできたからだと思っています。
能力が高い選手であれば、70%の力でもやれてしまうことが、正直なところ僕にはできませんでした。全力を出さないと、その次がなかったんですね。
ただ、それが栄養となり、体力面、技術面のどちらも、本当に少しずつですが自分の幅やベースを上げていけたのだと思います。また、沼津は練習が結構ハードだったことも自分にとっては良かったですね。
竹中 プレーに特化して言うと、FWでめちゃくちゃボールを追いかけ回して、常に走っていても最後のところでパワーを出せない選手もいる。そこのバランス感覚というのはどうですか?
渡邉 全力でやるからこそ、そのバランスが効いてくると思いますね。僕は試合ではいきなりできないので、一連の動きを全力で練習します。
前線からプレスをかける、プレスバックして戻して、ボールが転がってそこから攻撃してシュートする、という流れですね。そこから、まず前提の部分で守備を体に覚えさせないと、そのあとにどうパワーを出すかというところに繋がってこないです。
全力は全力だけどそのバランスをどう見極めるかが難しいので、その感覚を掴むために、まずは全力を出すと。
竹中 今、それを掴めているような気がします。そのバランス感覚は、いつぐらいで掴めるのでしょうか。
渡邉 試合に出始めてからですね。今年はそれが結果として繋がっていて、少しずつですが掴めてきていると思います。まだまだもっと、という思いは常にありますが、全力でやっているからこそ、要らない部分を削ぎ落としていけばいいだけだと思っています。
逆にマイナスから始めると、どんどん足していかなければいけないので、難しいんですよね。同じ工程でも負荷を削ぎ落としていった方が、メンタル的にもプレーにもいい影響、循環が生まれると思います。
3. トレーニング、栄養、睡眠
渡邉 この3つを全てしっかりやっていないと、自分に何も返ってこないと感じています。トレーニングを一生懸命やっても栄養が偏っていたり、栄養を摂れていても睡眠不足だったりすると、パフォーマンスに影響が出てしまう。どれか1つが欠けていてもダメだと、特にプロになってから痛感しました。
活躍している選手を見ると、この3つにすごく気をつけているんですよね。最近、三笘薫選手のトレーニングの様子をテレビで見ました。あのレベルの人があれくらいストイックにやっているのなら、僕らはそれ以上にやらなければいけないと思ったところです。
栄養面ですと、極力、揚げ物と砂糖を摂らないようにしています。砂糖を摂取すると、疲れやすいという情報を聞いてから一切やめています。
睡眠は毎日決まった時間に寝起きすることをルーティン化することがポイントだと思っています。疲れにくい体にしたうえでトレーニングを行い、しっかり寝ることを心がけていますね。
竹中 それは昔から大事にしていたことですか?
渡邉 高校、大学時代はできていなかったです。大学のサッカー部は5時50分起床で、練習が7時スタートと朝が早かったのですが、早寝は習慣化できませんでした。ただ学年が上がるにつれて調整できるようになったので、それが今にも繋がっていると思います。
4. 逃げないこと
渡邉 逃げないことが正しいわけではなくて、困難な状況になった時に「どう自分を奮い立たせて挑戦していくか」が肝だと僕は思うんです。そうでなければ、僕は今、こんな立ち位置まで来られていないと思いますから。
僕はこれまで決していい時ばかりではなく、むしろ割合で言ったら、9割が辛くてきついことの方が多かったと感じています。それこそ大学では周りを見れば、恐れ多いメンバーばかりだったこともあり、逃げ出すシーンはいくらでもありました。
竹中 プロになる最後のチャンスを掴もうと「死ぬ気で4年間を頑張る」みたいな、そういうスタンスの選手が多かったのではないですか?
渡邉 めちゃくちゃそうでした。でもやっぱり逃げたら終わってしまうので、そこで逃げずに正攻法で戦うか、違うルートか、自分はどうするべきかをすごく考えて取り組みました。「逃げないこと」は、今の人生に大きく影響していると思います。
竹中 ちなみに、最も逃げたかった瞬間はいつでしたか?
渡邉 全試合出場した2年目の時の試合です。0-1で負けている状況から後半1-1に追いついて、その後に決定機が訪れました。ドリブルでペナルティエリアに進入した選手が、キーパーを引きつけたまま僕にパスを出してくれたんです。僕は後ろから走り込んでシュートを決めれば良かったのですが、力が入りすぎて右に外してしまった。さらに最後は逆転されて負けてしまい…自分の実力不足の一言です。
その時はマジで逃げ出したいと思いました。ですが、ここで逃げたらサッカー選手とは言えないなと思い直し、次の試合でリベンジすると決めて練習に取り組んだんです。本当に悔しかったし、やめたくなりましたが、グッと堪えてその後も続けたことが自分にとっては大きなことかなと思います。
5. 応援してくれている人に会う
渡邉 大学の時から意識し始めて、沼津時代に、より一層大切にしていくべきだと実感したことです。というのも、僕は大学4年生の1年間をプロ1年目に置き換えて、スポンサー企業を大学、その企業の方々を先生と捉えて行動をしてみました。
そうしたところ、基本的な挨拶はもちろん、いろいろな人に話しかけるというコミュニケーションがすごく大事だなと気づきました。
また、卒業後に加入した沼津では、サッカーだけでは生活できなかったので、スポンサー企業さんのところで働かせてもらっていたんですね。そこで、仕事をしながらサッカーができるありがたみを切に感じたんです。
そこから、応援してくれる人たちに自分から会いにいくことは、すごく大事なことだと学びました。沼津でお世話になった企業の方々とは、今でも連絡を取らせていただいています。
そういう方々に会ってエネルギーをもらうことこそ、実は僕が一番大事にしていることかもしれません。それに、サッカーは団体競技だけれど、選手は個人事業主とも言えますから、自分に対するサポーターという存在が必要だと僕は考えています。
そういった意味でも、みなさんに会うことによって、さらに僕のことを応援してくれるかもしれない。その可能性を少しずつ広げていければ、自分の価値を高めることにも繋がっていくと思います。
ただ、自分がピッチで活躍する姿を見せなければ、応援してくれている方々に会う意味もなくなってしまうので、僕はピッチで結果を出し続けることを一番に考えて、これからも頑張っていきます。
竹中 素晴らしいお話でした。今、そこまで強くない中高でサッカーをしている人たちも、この5つを意識すれば、道が拓けるかもしれないですね。本日はありがとうございました!