【後編】27歳で現役を退いた樽野恵が次に挑む、バドミントン界“日本人初”の試み。

2016.03.08 竹中 玲央奈

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母の強い影響を受け、バドミントンに打ち込んでいった樽野氏。長年競技を続ける中でお互いをライバルと認め合える存在・藤井瑞希選手と出会うことになる。

後編では藤井選手との激闘についてやNTT東日本での選手活動、そして27歳という若さで引退を決意した理由と今後の進路についてお話を伺う。

 

【前編はこちら】

 

順調に成績を残していった現役時代

 

-高校時代も藤井選手と戦っていたのでしょうか。

何回戦ったか分からないです(笑)高校3年時、最後のインターハイ決勝も瑞希が勝って彼女はシングルス、ダブルス、団体すべてを制し3冠で終わりました。ただ、私も瑞希も県代表に選ばれたので、高校年代最後の試合はインターハイではなく、(※)国体でした。私は最後こそ、瑞希がいる青森県代表(※藤井選手は青森山田高等学校出身)に勝ちたいと思ってその後も練習を積み重ねていました。

そうしたら、最後の国体で青森県代表との対戦になり、フジカキペアに勝つことができたんです。結局その後、うちのシングルスの子も勝って、2ゲームを先取して青森県代表に勝つことができました。仮にダブルスとシングルスで1勝1敗だった場合、最後は私と瑞希の戦いだったのですが、結局シングルスでは戦わないまま終わりました。

バドミントンマガジンには『樽野と藤井の再戦は社会人になって持ち越しか』と言われたのですが、社会人になってから対戦したのはシングルスで1度だけです。そこでは私が勝ったので、瑞希との戦いは終わったのかなと。私はシングルスを続けたのですが、瑞希はダブルスに専念したのもありますし。でも、その最後の試合は1時間半くらいの激戦でした。かなり疲れてきていて、お互いに決め球もなく、最後はスライディングをしながらシャトルを拾い合うみたいな感じだったんですよ。

※国体(国民体育大会)のバドミントン競技は県の代表同士がダブルス、シングルス、シングルスの順番で戦い、先に2勝した方が勝ちとなる。

 

-バドミントンはかなりハードなスポーツですもんね。

1時間から1時間半続くことも普通にありますから、かなり体力がいりますね。とはいえ狭いコートなので、瞬発系の力も必要です。自分の子供がしたいと言ったらさせても良いなと思うんですけど、過酷ですからね。楽しいですけど、頭も使いますし。

あとは、バドミントンは優しい人は最後に勝てないと多くの人はいいますね。陰険な人が強いです(笑)最後は性格が出ます。特にシングルスだといじわるな部分がないと勝てないです。

 

-高校を経て、NTT東日本に来た経緯を教えて下さい。

高校1年生の時は早稲田(大学)に行きたいと思っていて、高校の先生にもそう話していました。高校1年生でインターハイで2位になったことでナショナルのBチームに選んでもらうこともできました。そこには社会人や大学生の方もいて、一緒に遠征や合宿をしました。しかし、そこで社会人と大学生の差を感じたんです。その時点で大学に行くのは辞めて、社会人チームに行こうと思いました。競技として上にいくには大学に行くと遠回りになってしまうかな、と。

実はNTTの女子は自分が入る時はそんなに強くなかったんです。日本リーグのAクラスに入るか入らないかという感じでした。男子は昔から強くて、今は桃田(桃田賢斗選手)がいて田児(田児賢一選手)がいますし、その前には佐藤翔治という日本で一番シングルスが強いスペシャリストの人がいたんです。その佐藤翔治さんが自分の勧誘に来てくれたんですよ。まさか彼が来てくれると思わなくて、熱心さが伝わったというのがあります。

男子チームがあるというのも大きかったですね。当時、男女の両方のチームを持っているのはNTTくらいしかいなかった。男子の球も受けられるし、男女ミックスで練習できるという部分も魅力的に映りました。親としてもNTTに入るということで安心感もあるので、ここに入ろうと決めました。

 

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-実際に入ってよかったと感じたことはありますか?

当時は強い選手がいなかったので、私は内定をもらった段階から第1ダブルス(団体戦で一番手の役割)で出ていたんです。今となればその時点から試合に出られたのは本当に良かったなと思います。バドミントンに限らずどのスポーツもそうだと思いますけど、試合を経験しないといけないものなので。なので、早いうちから使ってもらえたのは良かったなと思います。

成績で言うと昨年の日本リーグを男女で優勝したのが最高で、シングルスでは社会人大会で1回優勝しました。ダブルスは全日本総合2位まで行きました。代表でもシングルス、ダブルスでナショナルAチームにいたことがあり、世界選手権にも出させてもらいましたね。

 

 

引退後、指導者としての海外挑戦へ

 

-そこまでの成績を残して27歳で引退をするのは早い気がするのですが。

まだできますし、自分でもいけるとは思っています。でも、去年1年間ナショナルからも落ちてしまって、国内だけの大会になったときに、目標がなくなったというか…。自分たちのようなアマチュアスポーツって五輪が目安なんです。五輪に出るためにナショナルチームに入って、練習して、というのが自分としてのスパンだったんです。ナショナルチームに入れなかったら五輪に出られる可能性はなくなるわけです。今年のリオデジャネイロ五輪には出られないとなった時に、“もう1度東京五輪まで!”となると、私は頑張れ無いなと。ナショナルに落ちた時点で引退は考えていましたし、残りの1年で何が出来るか悩んではいました。これだけチームにいさせてもらって、試合にも出させてもらったので。うちはスタッフも少ないこともあり、指導も積極的にやっていましたね。

 

-引退後はどういった道を進むのでしょうか。

NTTを退社して、4月からアメリカに行ってバドミントンのクラブチームのコーチをするんです。実は日本人では今まで海外でコーチをした人は誰もいません。選手は引退したのですが、国内大会や小さな大会にも出るという話をしています。バドミントンを教える側としてもプレーはしなければいけないし、選手を続けたほうが体を動かすきっかけにもなりますから。

正直辞めてからどうしようとは思いました。ナショナルに落ちて、バドミントンで五輪に出られないとわかったら、その後に自分は何がしたいんだろう?と。でもバドミントンはもっとメジャーになっても良いスポーツだと思ったんです。老若男女問わずできますし、100円ショップでもラケットを買えば外ですぐに出来ますよね。そういうことを考えたらやっぱりバドミントンに携わっていたいと思ったんです。

それと、毎回海外遠征に行って帰国すると、日本の小ささを感じたんです。日本語を話すのはもちろん日本人しか居ませんし、英語圏と比べると世界が狭い。そこで日本を出てみようかな、と考え、アメリカに行きたいと思ったんです。

 

-アメリカにした理由を教えて下さい。

あの自由な国風が自分に合っているかなと思いました(笑)実際、アメリカってバドミントンは強くないんです。五輪は大陸枠があるから出られるんですけど、ナショナルチームもない。なので「アメリカに行きます」とバドミントン界の人に言ったら驚かれます。

 

-実際に行くと決めるまではどういう形で動いたのでしょうか。

「行きたい」という意思を周りに伝えたら、色々と周囲の人が動いてくれたんです。それで、パイプがある人に紹介してもらえることになって、去年の8月に実際に向こうに行ってきました。そこで知ったのが、アメリカには高校年代くらいまではバドミントンのクラブチームがたくさんあるということ。中国系アメリカ人の方が多いというのが理由ですね。ただ、そこから先の大学や実業団、ナショナルチームの体制が整っていないので、みんな辞めてしまうんです。お金にもならないですし。でも、環境がないだけでやっている人はものすごく多くて、びっくりしました。こんなにクラブチームがあるのか、と。しかも本当にみんなが楽しそうにバドミントンをしていました。

その後、アメリカにいる知り合いのマネージャーの方に『場所はどこが良い?』と聞かれたんです。正直どこかの田舎町でコーチをするしか無いと思っていたので、「選べるの!?」と驚きました。私は寒いのが苦手なので「ロス(ロサンゼルス)あたりが良いかな」と伝えたら、承諾してくれて。『ロスとサンフランシスコのクラブチームを回ろう』という話になり、何チームかコーチができるところをピックアップしてくれて、無事にチームも決まりました。

 

-2月14日の日本リーグが現役として最後の試合となりました。改めて、引退試合はいかがでしたか?

1年間あまり練習をしていなかったので、万全とまではいかなかったのですが、最後に出してくれるというのは聞いていて。友達も60人くらい見に来てくれました。最後は全部出しきれたら良いなと思っていました。コーチからのアドバイスも、『樽野はラストだから、ちょっとでも長くコートにいよう』というのをインターバルの時から言われていたし、それが2セット目を取れた理由でもあったと思います。私としても“楽しめたら良いな”というのが正直でしたね。チームには申し訳ないんですけど…。もちろん勝ちたかったし勝とうという意識は持っていましたけど、それ以上にとにかく最後は全部出しきれたら良いかなと思っていました。振り返れば選手としての22年間、辛いこともたくさんありましたね。

 

-最後になりますが、今後の目標を教えて下さい。ここから新しい世界が始まっていくとは思います。

本当にどうなるか分からないというのが正直な気持ちですけど、バドミントンがすごく楽しいというのは引退試合で思いました。それをたくさんの人に知ってもらって、多くの人にバドミントンを楽しんでもらえるように、自分も何か携わっていきたいと思っています。4年後に東京五輪がありますよね。現状だと『アメリカの選手に当たったらラッキー』という風潮があるんです。でも、それを自分が向こうでコーチをすることによってちょっとでも変えられれば良いなと思います。例えばアメリカのナショナルチームに日本人のコーチとして出たり、とか。今後はそういうところで役に立てたらなと思っています。

 

【前編はこちら】