辻内崇伸。元巨人ドラ1が語る、女子プロ野球と歩む次なる夢

2016.09.20 森 大樹

辻内崇伸
 
「甲子園で150kmを出した左投手」は、たった3人。菊池雄星投手(花巻東高→2009年ドラフト1位・西武)、小笠原慎之介投手(東海大相模高→2015年ドラフト1位・中日)、そして辻内崇伸氏(大阪桐蔭高→2005年ドラフト1位・元巨人)だ。
  
2013年、辻内氏は8年間におよぶプロ生活に別れを告げた。2016年の現在は、女子プロ野球の育成球団・レイアでコーチを務めている。そんな辻内氏に改めて高校・巨人時代の裏話から、女子プロ野球選手と歩む次なる夢について伺った。
 

実はプロ野球との接点は多くなかった

――野球を始めたきっかけのところから教えてください。
 
幼稚園の年長から親の勧めで野球を始めました。うちは4人兄弟で、僕が長男。あとは弟が3人います。全員野球をやりましたが、最後までやっていたのは自分だけですね。
 
――ドラフトの時に実は巨人ファンだったという話もされていましたが、子供の頃に憧れていた選手はいましたか?
 
やはり触れる機会として、テレビでやっていたりするのは巨人か阪神だったので、自然とファンになっていきました。小学生までは野手だったので、バッターに憧れることの方が多くて、髙橋由伸さんが好きでした。ピッチャーだと工藤(公康)さんでしょうか。
 

名門・大阪桐蔭で過ごした高校3年間の裏側!

――高校は大阪桐蔭高校に進学していますが、ならではの“しきたり”などはあったのでしょうか?
 
大阪でいくとPL学園のような伝統校もあり、そういうところはいろいろな決まりがあることは聞いていました。しかし、まだ当時そんなに大阪桐蔭は知られていなかったので、そういった噂も耳にすることも全くなかったんです。それなら入ろう、と思って行ったらめちゃくちゃ厳しかったです。
 
例えばジュース買えなかったりとか(笑)1年生のうちは自動販売機で飲み物を買うことを許されないんです。
 
――その様子を先輩が監視しているということですか?
 
そうです。ジュースもお茶もダメ。水しか飲めないんです。だからいかに夜中のうちにバレないように買いに行くか、ということです。
 
自販機は寮の敷地内にあるのですが、大抵買いに行こうとすると誰かに会うので、なかなか難しかったですね。ただ、学年毎で部屋のある階は違っていたので、そこは救いでした。
 
――甲子園に出場した時のことで、覚えているエピソードはありますか?
 
出場するとホテル生活になるので、食事がおいしくて、みんな太ります。もう平田(良介・現中日)とかおっさんになってましたよ!
 
寮だと基本的に何でもカレー味にしておけばいい、みたいなところありましたからね(笑)
 
あと甲子園では開会式が終わると走って退場して、バスのある駐車場まで移動しなければならないのですが、結構距離があるんです。その途中にバテて歩いていたら、高野連のおじさんにめっちゃドヤされたのは覚えています。
 
地元の大阪代表なのだから、タラタラやってんじゃないよ、ということだったんでしょうね。 
辻内崇伸
 
――甲子園の土はどうされましたか?
 
負けた後、無意識のうちにスパイクの袋にたくさん詰めて持って帰っていました。そしたら知らない間にほとんどが家の庭に撒かれていました(笑)小さい瓶に少しだけ残してくれてはいましたけど。今もまだ実家にあるかは分かりません。
 
――無意識のうちに、ということはあまりその時の記憶はないのでしょうか?
 
そうですね。知らないうちに泣いていました。「あぁ、終わった…」という開放感とでも言うのでしょうか。平田や中田(翔・現日本ハム)もいたのに、弱小なんて言われて、結構僕らも苦労はしていたので。あとはこのチームでここまでやって来られたことへの感動もあったと思います。
 
でも泣いた後は意外とみんなケロっとしていました。あれだけ泣いていたのにホテルに戻ったら、どれだけはしゃぐねん!というくらい騒いでいました(笑)「明日から何しよう?」なんて話していましたよ。
 
――ちなみに辻内さんは部活を引退してから何を一番初めにしましたか?
 
まずは「あの寮から解放される!」ということでしたね。寮に戻ってからお別れパーティーをして、そこで後輩に伝統のあるユニフォームなどを渡して、その後荷造りをするのですが、それが楽しすぎました。
 
家に帰ってからは王将の餃子をたらふく食べに行きました。外食とかほとんどなかったですから。寮から出られるのは1週間のうち1日だけで、夕方から夜8時まで。ただ、治療がある人はそれが外出の目的になってしまいます。
 
――でもピッチャーだと特にケアが必要ですよね。
 
だから、どこの病院に行くか書き残しをして寮から出て、そこでラーメンやお菓子を食べてから帰ってくる、なんてことをしていました(笑)
 
――最近、高校生に球数制限を設定するという議論もありますが、辻内さんはどのようにお考えですか?
 
将来を考えると投げすぎは良くないことだとは思いますが、“今”を生きている人からすれば投げておかないと後悔することもあるでしょうね。
 
自分は結構球数を投げてきた方だと思いますが、“今”を生きていたように思います。体への負担はだいぶ大きかったですが、投げてきたことに後悔はないです。
 
一方で今女子プロ野球で指導する上ではとにかく球数を投げるのではなく、強い球を考えながら投げることで数を少なく抑えるようにはしています。怪我をすると一番損をするのは本人です。そして、それが本人の納得いく形なのか、そうではないのか、というところは意識してやらせています。
 
辻内崇伸
 

鳴り物入りで巨人に入団。怪我に泣かされるプロ生活の始まり。

――ドラフトで指名されることは事前に分かっていたのでしょうか?
 
自分の評価は新聞の紙面上でしか分かりませんでした。裏金問題が発覚してからは球団スカウトと高校の監督の間でしか交流はなく、情報を教えてもらうことはできなかったです。
 
大学の推薦の話も僕のところには一切なかったので、監督もプロに行くものだと考えていたのでしょう。誰にも言っていませんが、自分の中でも大学に行くという選択肢はなかったです。指名されなかったら、就職して働こうと考えていました。
 
個人的にはもちろん裏金に繋がるような関わり方はよくないですが、プロアマの交流はもっとあってもいいのかな、とは考えています。どうしてもそこに壁はあるので。
 
――巨人に入ってから驚いたことはありましたか?
 
高校とプロの寮の環境の違いには驚きました。プロはリビングがあって、くつろぐスペースがあるんです。
 
でもプロでも決まりはありました。新人は朝早く起きて、寮にある旗を挙げたり、新聞を取ったりする係が当番で回ってきます。
 
寮は4階立てで、階段を上らないといけないので新人は4階です。だから年数を重ねる毎に引っ越しが必ずあります。2階は一軍部屋と呼ばれていて、試合から帰ってくるのが遅くなるので、風呂付きです。特に指名順位で部屋に差はありませんでした。
 
――現役生活を通じてよかったことを教えてください。
 
プロ野球という環境の中でプレーできたのは一番幸せなことでした。入りたいと思っていても入れる世界ではないんですから。そこに入る人間として選んでもらえたことはありがたかったです。
 
――逆に辛かったこと、後悔していることは。
 
入った当時からもっと体のケアなどに関心をもっておけばよかったです。後々怪我に泣かされたわけですが、ある程度防ぎようはあったのかな、と。怪我をしてからいろいろなところにリハビリも行きましたし、コーチになってからも治療家の方の話を聞きに行ったりはしています。
 
――体を知ることの大切さは今選手に指導する上でも伝え、勉強させているところなのでしょうか?
 
自分が使っている部分について、もっと意識や興味を持ってもらえたらという想いのもと、強制的にやらせています。各自でやるように言ったとしてもやりませんから。
 
それが後にトップチームに上がった時に、自らの意識でやれるような状態になっていることがベストです。
 
――辻内さんが選手として限界を感じた瞬間というのはあったのでしょうか?
 
毎年思ってはいました。当初は150km出ていた球速も、現役最後の8年目には130kmに届かないくらいになっていましたから。その時にこれはもうプロ野球選手ではないな、と強く感じました。
 
――戦力外通告を受けて、引退を決意した時の周囲のリアクションはいかがでしたか?
 
普通でしたよ。自分自身もそんなにショックは受けていなかったです。プロ野球にはいたかったですけど、怪我でチームに貢献できていない中で“いさせて頂いた”という気持ちがすごく大きくて。同時に痛みから解放されるという安堵感もあったと思います。
 
辻内崇伸
 

野球への気持ちに一度は区切りをつけていた。

――一方で野球一筋できて、次のキャリアについての不安はあったと思います。
 
それはありました。引退してから3ヶ月ほど休みましたが、その間にいろいろな人から声をかけてもらい、お話させて頂く中で次何をするか考えていきました。
 
――現役中に選手としての姿勢などの部分で、感銘を受けた人はいましたか?
 
斉藤和巳投手ですかね。たまたま同じ場所で自主トレをすることがありました。僕と同じ場所の肘の靭帯を怪我してリハビリをされていたのですが、黙々と取り組む姿がすごく印象的で、一軍で投げている時の姿とのギャップを感じました。長いリハビリ生活に臨む上で、その姿勢には僕も考えさせられました。
 
他にも工藤さんや桑田(真澄)さんとも二軍にいる時にお話させて頂く機会がありましたが、巨人という球団にいたからこそ、そういった偉大な先輩方と関わることができ、それが今の指導に繋がっている部分ももちろんあります。
 
――引退後、当初は不動産関係の仕事に就くことも決まっていましたよね。
 
一度は本当に完全に野球に対する気持ちに区切りをつけていたんです。ただ、嫁がトライアウトを受けろと強く言っていました。おそらく僕が野球に携わっている姿を見ていたかったのでしょうね。
 
――ではなぜそこから女子プロ野球に関わることになったのでしょうか?
 
引退後、10月中旬ごろに大阪桐蔭の西谷監督から電話があって、女子プロ野球の指導者としてのお話を頂きました。ただ、一度それがなしになってしまったんです。
 
その後最終的にもう一度打診があったのが、12月下旬。ハワイに新婚旅行中のことです(笑)娘が生まれる前に行っておこうということで出かけていました。ちょうどTBS・バースデイで取り上げて頂いた後くらいのことです。
 
西谷監督としてはやはり野球に携わってほしいという想いがあったのだと思います。それで女子プロ野球に行くことにしました。
 
辻内崇伸
 

女子プロ野球で指導者としての第一歩を踏み出す。

――実際に女子プロ野球のコーチになって、指導と仕事両方やることになったわけですが、何が一番大変でしたか?
 
あまり自分は話すのが得意な方ではないので、業務の中で営業に行っても初めは飾り状態でしかなく、そこは苦労しました。
 
女子プロ野球の集客のために試合の開催告知を地域でする場面もあるのですが、引退してからすぐの時は街中で冷ややかな目で見られることもありました。当時はこれが社会人なのかな、と感じながらやっていました。でも、そのおかげで心も鍛えられましたし、いい経験をさせてもらっていると思います。
 
――女性を指導するという難しさもありそうです。
 
男子選手と比べると当然劣る部分もありますから、本人は全力でやっていても僕からは怠けているように見えてしまったり、何か変えたいけど変えられないもどかしさを感じる場面もあります。言葉遣いも気を付けるようになりました。男だけの世界であれば多少汚い言葉が飛び交う場面もありますが、今はそこも考えた上で発言できるように心がけています。それが苦痛になってしまうところでもあるんですけど。
 
技術面は日々の練習をやっていれば勝手に伸びていくものだと思いますが、一番は基礎の部分をしっかりさせることだと考えています。
 
――開幕前に埼玉アストライアさんの強化練習の様子を見させて頂きましたが、楽しく練習する工夫がされていましたね。
 
女子野球の中には『楽しく練習しようよ』という雰囲気はありますよね。おそらく女性には“飽きる”という要素が強くあるのだと思います。何時間も同じ練習をずっと続けるくらいなら、楽しくやりたいと。
 
でも男子は少し違っているように思います。楽しくやっている高校なんてほとんどないでしょうから。厳しい練習があったからこそ、人間が強くなるのだと思いますし、試合での自信に繋がってくるのではないか、という想いもあります。だからきつくした方がいいのかな、と考えることもあります。
 
反発が監督やコーチに向いている分にはいいんです。選手間で何か問題が起こってしまうくらいなら、「あいつ、また何か言ってるよ」と言っているくらいがいいです。自分達もそうでしたから。
 
結局指導に正解はないので、まだまだ模索している部分もあります。何が正解かは選手達が結果で示すものです。それも結果が出たとして、さらにレベルアップしていくためには同じ練習をしていていいのか、という問いも出てきますから、奥深いですね。
 
――他の指導者の方の話を参考にしたりすることもありますか?
 
ありますよ。女子プロ野球には松村(豊司・元オリックス、現女子プロ野球統括ヘッドコーチ)さんや川口(友哉・元オリックス、現兵庫ディオーネコーチ)さん、片平(晋作・元南海、西武他 現埼玉アストライア監督)さんなどがいらっしゃって、それぞれの考え方について教えて頂いていました。去年だと朝井(秀樹・前京都フローラコーチ、現巨人打撃投手)さんとよくご飯を食べに行って話しましたね。
 
――朝井さんとは巨人時代の元同僚でもありますが、現役時代から交流はあったのでしょうか?
 
現役時代は一方的に結構いじられていました(笑)年齢は朝井さんの方が4つ上です。でも朝井さんにいじってもらったおかげで他の先輩方との接点もできました。例えば全く話したことがなかった小笠原(道大・現中日二軍監督)さんの前で朝井さんが自分のことをいじってくれて、それで話して頂けるようになりました。
 
今でも朝井さんから電話かかってきますよ。
 
――指導に、業務に忙しいとは思いますが、野球以外でやっている趣味はありますか?
 
もうギャンブルは卒業したので、新しい趣味を探しているところです。ゴルフも考えましたが、お金かかりますからね。最近は庭の芝を綺麗に成長させたりしています(笑)
 
あとは趣味ではないですが、娘をスポーツ万能にしたくて、ジャンプスクワットや手押し車させたり、ボールを投げさせたりしています。小学校までは野球をやらせて運動万能にして、将来はゴルファーにしようと考えています。嫁にそのつもりはないと思うので、見ていないところでやっています(笑)
 
何の種目でも運動能力が高くて損をすることはないと思うので、とにかくスポーツはやらせたいです。
 
辻内崇伸
 
古谷恵菜投手(右)と
 
――それでは最後に、今の辻内さんの目標を教えてください。
 
(※)古谷(恵菜)投手が球速130kmを出せるかどうかはまだ分かりませんが、それに近づけていけるように球速をアップさせていきたいです。どうやったら球速が上がるのか、今応援してくれている鹿屋体育大学の前田先生と共に今取り組んでいます。今年中には120kmを超えたいとは思っています。
 
あとは指導者であり続けたいです。今は女子プロ野球でやらせて頂いているので、とにかくその発展に貢献していくだけですが、もし今後機会があるなら、他の場所で指導してみたい気持ちもあります。自分の成長に繋がるなら、何でも挑戦してみたいです。
 
※古谷恵菜投手:女子プロ野球・レイア、背番号31。福知山成美高校時代の2014年、全国高校女子硬式野球大会で優勝し、同年の女子プロ野球入団テストに合格。身長177cmという恵まれた体格から繰り出すストレートを武器とし、女子プロ野球史上初の球速130kmを目指している。