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元ヤクルト投手・上野啓輔が「起業家」を選択した理由

2016.11.10 / 森 大樹

上野啓輔。元ヤクルトスワローズの投手であり、現在は幼児向け野球スクールや野球用品の販売・製造を行なう(株)FROM BASEの代表取締役。「野球しかやってこなかった」彼が、突然社会に放り込まれた感じた苦悩とは?

上野啓輔氏

台湾リーグ挑戦は怪我で断念。引退へ。

社会の厳しさを痛感。選手のセカンドキャリアの考え方。

引退後はその親友の影響もあり、スポーツを伝える仕事に興味があったという上野氏。ちょうどその頃、飲み会で野球関係者を探していたスポーツ専門のテレビチャンネルの関係者と知り合い、オフィスに呼ばれることになった。

「僕は何も分からないまま、履歴書すら持たずにただ小洒落たスーツだけを着て、その会社のオフィスに行ったんです。

そこでお酒の席とは全く違うテンションで、質問攻めに遭いました。何がしたいのか、それをどうやってやるのか、英語力はどの程度なのか…いろいろ聞かれる中で、社会人として無知で、自分がしたいことの方向性が定まっていないことに気づき、本当に恥ずかしくなりました。落ち込んで帰ったことを今でも覚えています」

野球選手という肩書きが取れ、一人の人間として社会に放り出されることの厳しさを目の当たりにした瞬間だった。

現役時代に社会勉強をしておくことの大切さを説かれたとして、耳を傾けたかという問いに対して上野氏は「無理でしょう」と答える。

「僕は変なプライドも持っていたでしょうし、自分から話を聞きに行くということはしなかったと思います。一応新人研修も1日かけてやりますが、『これからプロ野球の世界でのし上がってやるんだ!』という気持ちの選手達が聞くわけがないです。もっと前のタイミングから社会勉強をする機会を作る必要があるのかもしれませんね。反面、現役選手の大半はアンケートでセカンドキャリアに不安を抱えていると回答しているのですから。」

その上でオフの前にある程度強制力を持って、研修に参加させるべきだろうとの持論を示してくれた。内容は道具メーカーの営業や工場とのやりとりなど、何かしらの形で選手に関係のある仕事について見せるようにする。確かにそれなら選手も関心を持ちそうだ。

上野啓輔氏

突き動かされるように就職、そして独立・起業。

引退後はアルバイトをしながら、ゆっくり今後について考えていく予定でいた上野氏。しかし、そんな矢先に結婚前の現在の奥さんが身ごもったことを知る。将来について悠長に考えている暇はなくなった。

そこで寮から出たプロ選手の物件の手配などをしていて、現役時代から面識があった不動産屋会社社長に相談したところ、その会社のスポーツ事業部で働けることになった。ただ雇用するだけでなく、上野氏が家族を養っていく上で必要な条件を飲み、それだけの所得を得るために必要な売り上げなど、会社や社会における仕組みについてまで指導してくれたそうだ。普段から選手と交流がある立場にあるからこそ、上野氏の再出発を応援したいという気持ちもあったのだろう。

月の半分は野球教室の指導のために九州に渡り、もう半分は1日数百本のテレアポをしつつ、提案資料作成や営業を行う日々。当時作成した資料は今見返すと恥ずかしいくらいだという。

元々独立の意思を持っていた上野氏。その後しばらくして、見切り発車ではあったが、独立を決心している。そこからの行動の早さには家族も驚いていたという。

「家族会議で独立する意思を伝えた次の日にはもう辞めましたからね。本当はあと1ヶ月待ってほしいと奥さんから言われていたんです(笑)1年目は本当に火の車状態で、資金計画も何もなく、自分の持ち出し分でやるしかありませんでした」

しかし、悪いことだけでもない。今まで作り上げてきた人脈が独立して事業を起こしたことでさらに活き、定期的な野球イベントの開催などに繋がっている。

そうして上野氏は野球に関する事業を行う会社・「FROM BASE.」を立ち上げることになったわけだが、実は法人格自体は奥さんが独身時代に経営していた会社に目的追加・代表者、社名変更という形で上野氏が引き継いだもの。必要な手続きはすべて上野氏自身で行うことで立ち上げにかかる初期費用を最小限に抑えることに成功している。

子どもたちに指導する上野啓輔氏

上野氏の野球に対する“恩返し”の形

では、なぜここまで苦労してきた野球についての事業を引退後も行っているのだろうか。

「初めは自分には野球しかないというのと、恩返しがしたいという漠然とした感じではありました。でも実際にスポーツの現場に出ていくと例えばキャッチボール禁止の公園が増え、その影響で子供のスポーツテストにおける投てき種目の数字が下がっているとか、そういう問題があることが分かってきました。」

その問題に対して自分ができることが何か。上野氏が着目したのは幼児期の子供に向けた野球教室だ。アメリカでは盛んだが、日本ではまだ少なく、数ある野球スクールの中の隙間産業になり得ると考えた。事業が拡大していけば選手のセカンドキャリアの雇用先になる。

ただ、幼児と小学生以上に教えるのでは方法も違う。そこに難しさがあるから、やる人が少ないというのもあるだろう。

幼児に指導する場合、「野球という競技そのものというより、あくまで“体を動かすこと”の楽しさを感じてもらうというのが大前提にあって、その中で自然な形で野球の動作を入れていく必要がある」という。上野氏はそのために勉強し、野球人生を通して培ってきた知識の改良で指導方法のカリキュラムを独自に作成してきた。

そのおかげで保護者が目に見える形での子供達の変化を生み出すことが可能になり、それがリピーターにも繋がっている。

子どもたちに指導する上野啓輔氏

もう1つの事業として行っているのが、オリジナルブランドのオーダーグローブの販売。大手メーカーの発注も請け負う職人が作るグローブを自社の利益を最大まで削り、安く提供している。

「スクールをやっていくと、そもそも道具が高価だから野球をずっとは続けさせられないという障壁があることが分かりました。

だからグローブの販売はいいものを安く、長く使ってもらいたいという想いで始めました。グローブを手に取ってもらえないと野球を長く続けてくれる人が減って、結果的に僕らの職業が成り立たなくなってしまいますからね。」

野球を長く続けてもらうための事業をソフトとハードの両面から行う上野氏。

才能に恵まれ、ほんの一握りしかいないスポーツ選手としてお金をもらうことを経験してきたが、その野球に苦しめられることもあった。

しかし、そんな時に救ってくれたのもまた、野球を通してできた人との繋がりだった。だからこそ、今もこうして野球についての事業を展開している。それが彼の野球に対する恩返しの形なのだ。