V長崎の創業、西武を経て起業。ファン第一の健全経営で業界を“普通”に!

2017.03.30 山本 一誠

この業界は普通じゃないと思っているので、何とか「スポーツ業界を普通の業界にしたい」というのをミッションとして掲げています。そうしないと優秀な人が入ってこないですし、業界としての発展もないと思っています。(株式会社マグノリア・スポーツマネジメント代表取締役/貴信)

NPO法人スポーツ業界おしごとラボ(通称・すごラボ)の理事長・小村大樹氏をホスト役として行われている「すごトーク」。今回のゲストは『スポーツ業界を普通の業界にする』をミッションに掲げる森貴信氏です。

森氏はサッカー、V・ファーレン長崎の共同創業者として経営面で大きく貢献し、3期連続の黒字を達成。その後、赤字に苦しんでいたサガン鳥栖に移り、ここでも1年目で黒字化に成功。プロ野球独立リーグの長崎セインツでは社長を務めたのち、2010年からは埼玉西武ライオンズに勤務されました。

現在は今までの経験を生かして、スポーツに特化したクラウドファンディングやコンサルティングを行う株式会社マグノリア・スポーツマネジメントを創業、経営されています。

スポーツ業界は“普通じゃない”

今日のテーマは「スポーツ業界を“普通の業界”にするには」ということです。

スポーツのどういうところが普通の業界じゃないかというと、例えばまず球団はどこも人手が足りないですね。給料も決して高くないです。でも人手不足と言うけど、スポーツに特化した人材派遣会社には何千人という登録者がいると聞きます。この場に来ている学生さんはもう自分でアクションを起こしていますけど、起こしていない人も含めればかなりのポテンシャルというか潜在的な働きたいというニーズはある。ただうまくマッチングができていない。

そもそもスポーツ界は新卒採用があまりない業界ですよね。私は別に新卒から採用でもいいと思うんだけど、「中途採用のみ、勤続3年以上」みたいなのがよく募集要項に出ていたりします。育てる余裕がないのか、球団はどこも新卒を採らない。先ほど言ったように働きたい人は山ほどいるのに、入り口がないというのはありますよね。

それから、スポーツ業界では情報公開がほとんどないと思います。例えばプロチームにおいて、見た目が黒字だったとしても、親会社からいくら出ているのか、それが経営努力によるものなのかは変わってきます。でもこの親会社からいくら出ているか、というのは情報公開がないので分からないわけですよ。

他にも枚挙にいとまがないですけど、私はこういったことからこの業界は普通じゃないと思っているので、何とか「スポーツ業界を普通の業界にしたい」というのをミッションとして掲げています。そうしないと優秀な人が入ってこないですし、業界としての発展もないと思っています。

転機となったMBA修士論文と、インドでの仕事

私は大学を卒業してから商社に入り、会社派遣で慶應義塾大学のMBA資格を31から33歳の時に2年かけて取らせていただきました。その時の修士論文は「Jリーグの経営」というテーマで書きまして、それが今となってはスポーツに入るキッカケだったと思います。

当時私は商社の繊維部門で仕事をしていたので修士論文も会社に「繊維で書きましょうか」と聞いたら「いや、好きなものを書いていいですよ」って言われたので、自分の好きなものってなんだろうと考えた時にスポーツかなと。2002年に日韓W杯があって、私は2001年から2003年までMBAにいたので、W杯が終わった後のJリーグってどうなっちゃうんだろう、対策をとらないとまずいのでは、という思いがあったんですね。

MBAを取った後は元いた会社に戻ったんですけど、合併があってトヨタグループの会社になり、そこでトヨタ自動車に移籍という話になりました。私はインドを担当していて、向こうではトヨタのカローラは高級車だったんです。お客さんはみんな大金持ちで、ターバンを巻いて、でっぷり太ってて、この人たちのために車売りたくないなって思ったんですよ(笑)

片や工場はバンガロールの都市部から郊外に1時間くらい離れたところにあって、私は本社から出張で来ているのでVIP扱いで運転手付きの車で送ってもらえるんですけど、通勤の1時間の間に見るさんたんたる貧しい風景。それを見て、これはもう自分の仕事じゃない、と思いました。

V・ファーレン長崎の立ち上げに関わる

でもトヨタほどの会社を辞めるんだったら、本当に好きなことをやらないと割に合わないなと思って、それでもう一回自分のことを考え直した時にMBAの修士論文に行き着いたんですね。はじめに言ったようにスポーツ業界が普通じゃないなと思っていたので、そこを普通にするっていうのは面白い仕事じゃないか、と思いました。

それで地元・長崎に帰りました。その頃、「隣の佐賀にサガン鳥栖のあるとに、長崎にJクラブがなかとは寂しか!」っていう人たちがいたんです。実際、国見高校出身者を集めれば日本代表ができるんじゃないかと。平山(相太・現ベガルタ仙台)、大久保(嘉人・現FC東京)がいて、中盤に三浦淳寛(解説者)と原田武男(現ギラヴァンツ北九州監督)もいて…と全部やっていったら、当時の日本代表クラスができちゃうんですよ。あ、これはいいなと思って。

だから私は当時のV・ファーレン事務局に行って、「小嶺先生(国見高校監督)をはじめ島原商業・国見高校OBの方々で選手を集めて強くしてください。ビジネスは私が全部やりますから任せてください」というプレゼンをしました。

最初、私はチームの事務局にメールをしたんですけど、断られたんですよね。後から聞いたんですけど「そんな人はたくさんいた」、「みんな怪しかった」と(笑)

でも直接出向いた人は私以外にいなかったらしいです。それで話を聞いてもらって、次が小嶺監督(初代社長)とのアポだったから実質2回で決まったということなんですけど、その間もホームゲームの運営をお手伝いさせていただいたり、それこそ毎週のように名古屋から長崎に帰ったりはしていました。

そんな感じで長崎に入ったのですが、行ってみると内部が全然組織化されてないんですよ。当然ながらJリーグクラブを目指すなら最終的には株式会社化しないといけない。そのためにどのような道順で進もうかと考えて、まず『V・ファーレン長崎スポーツコミュニティ』というNPO法人を作りました。

なぜそうしたかというと、当時「指定管理者制度」という、公園とかスタジアムの管理を外部の施設管理者に任せるというシステムがちょうど出始めた頃だったんです。それで今のホームスタジアムの長崎県立総合運動公園陸上競技場と、天然芝のサッカー場がある県立百花台公園の2箇所に応募したんですね。結局百花台公園の方が取れました。株式会社だとやりにくいんですけど、NPOだと指定管理を受けやすいので、まずNPOを作ってサッカー場を含む公園の管理を受託する。そうすると委託料が入るので人件費が賄えるんですね。それで選手を雇用するという流れです。

西武ライオンズでより進んだ地域密着を。

V・ファーレン長崎を辞めた後、1年だけですがサガン鳥栖でお仕事をさせていただき、翌年野球独立リーグの長崎セインツでMBA時代から念願だった「40歳までに社長を経験する」という夢も叶えた後、西武ライオンズに入社しました。

西武に勤めることになって、西武ドーム(現メットライフドーム)の近くに住みました。なぜかというと、ナイターで仕事が遅くなるんです。ナイターって6時とかに始めたら9時とか10時までやってますよね。その後片付けなどをすると、大体仕事が終わるのは12時くらいになるんです。それからみんな帰るんですよ。それで西武球場前駅の終電って何時?って話なんですけど、夜遅くに電車を乗り継いでいたら帰りつくのが遅くなる。だから歩いて帰れるところがいいなと思って徒歩20分くらいのところに家を借りました。

もう一つ理由があって、西武ライオンズに入る際に、自分が出せるバリューが何かを考えた時、もっと地域密着経営ができるんじゃないかと思いました。実際に入社時にもそういうプレゼンをして、入ることができたんです。

ともあれドームの近くに住んで、ドームの近くの人が西武ライオンズをどう見ているかっていうのを実生活の中で知りたかったんです。だからドームの近くにあえて住んだということですね。

“ファンファースト”の意識を忘れない

今、私はスポーツに特化したクラウドファンディングを運営しています。私はなでしこリーグに所属するクラブを運営しているNPO法人の理事もしているんですが、未だにほとんどの選手は働きながらプレーしていてサッカーに専念できていないわけです。サポーターの方は一生懸命応援してくれるんですけど、実際問題ビジネスのところがうまく回っていない。

それなら選手を支援するためにサポーターと選手を直接繋いでしまおうということでクラウドファンディングをやろうと思いました。クラウドファンディングって可能性が無限大なんです。選手がリターンを工夫すればファンはそれに魅力を感じてお金を出してくれるし、クラブの場合は資産が色々あるので、クラウドファンディングが収益の一つの柱になる可能性があると私は思っていて、それをスポーツ全体に広げたいなと思ってこういう事業を始めました。

「あなたにとってスポーツを一言で言うと何ですか?」と聞かれたら「私が見つけた未開のビジネスチャンス」だと答えます。私が常に心がけているのはお客様第一主義、ファンファーストです。スポーツ界がお客さんの方を向いていないところというのはまだまだたくさんあります。

そういう部分はもっと改善していかなきゃいけないところだと思っています。