サッカーからテニスの世界へ。フローラン・ダバディが目指すは「日仏の架け橋」

2017.03.28 AZrena編集部

 

2002年に開催されたサッカー・日韓W杯で日本代表チームを率いたフィリップ・トルシエ監督の通訳として一躍有名となったフローラン・ダバディ氏。W杯後に監督の通訳業から離れてからの動向を知らないサッカーファンは多いのではないでしょうか。もともとサッカーだけでなくテニス経験も豊富で深い知見も持っていた彼は現在、テニス界にその活躍の場を移しています。

ダバディ氏のこれまでの人生におけるテニスの存在、そして現在の日本テニス界に対してどのような役割を担っていきたいかなどを語って頂きました。

 

10代の頃から語学力に長けていた

僕は高校時代から語学が得意でした。英語、スペイン語、ラテン語と。そして、大学が終わったらもっとレアな言語に挑戦してみたいと思い、日本が好きだったこともあり、日本語を学ぶ決心しました。食事をはじめとした日本文化に興味があり、映画や文学にも触れましたね。

 フランス国立東洋言語文化学院で日本語を学んだのですが、成績もすごく良かったのです。「日本と関わるような仕事をしたい」と初めて思いました。そのタイミングでフランスの出版社が創刊する日本の雑誌のインターンシップに応募したのです。正確に言えば当時はまだフランスに兵役があり、海外のフランス企業で働くプログラムがありました。給料の一部を国に戻せば軍隊は免除されると。それを見つけたから行ったというのはありますね。

 

僕が上記の大学で日本語を勉強していたとき、日刊スポーツから声がかかったのです。98年のフランスW杯中に、サッカー以外も、現地感が出る色々な記事を作りたいという。通訳とネタ集めをしてもらう学生をアルバイトとして探しており、その仕事が僕に回ってきましたW杯が終了して3、4ヶ月後に例のハースト婦人画報社の仕事が決まりました。そしてちょうど、トルシエ監督の就任が決まったのも98年の10月だったのですが、そのタイミングで私とパリにいた日刊スポーツの記者から『JFAが監督の通訳を探している』という電話がかかってきました。トルシエさんはどうも、フランス人の通訳が欲しかったようです。『なかなか見つからないからあなたはどう?』と誘ってくれたわけです。そこから履歴書をJFAに送り、面接を通って、選考を通って通訳となりました。

 

トルシエジャパン後、なぜテニス界へ?

日本代表の通訳を辞めて半年後、今の日本テニス協会の強化本部長である福井烈さんが実はサッカー好きということもあり、私のことを知っていたんですよ。私がサッカーだけじゃなくてテニスも好きだということも知って、『ぜひ私の連載にゲストで登場してください』と言われたんです。4ページに渡って私が登場したのですが、それを見たテニス関係者はびっくりしていましたね。たまたま、WOWOWのプロデューサーもその記事を読んでくれたんです。当時はちょうどWOWOWがテニスを放映して10年経ったときで、単に中継をするだけでなく、タレントさんを呼んで応援団長のような立ち位置の人を欲していました。その1人としてアナウンサーの進藤晶子さんが決まっていたのですが、もう1人欲しかったようで、他の人を色々と探していたんです。ただ、日本の芸能人でテニス好きが全くいなかった。当時は錦織選手が出て来る前だったから、テニスがマイナースポーツになりつつあったんです。

そこでプロデューサーが『今サッカーで知名度を上げたダバディはテニスが好きだから、ギャンブルだけど彼を招いたら面白いのでは?』と思いついたわけです。2004年の全仏オープンテニス、ローラン・ギャロスで特番を組んでもらい、出演をしました。その翌年から進藤さんの相棒として番組のキャスターに抜擢され、今年は13年目です。

 

ロンジン・アンバサダー・オブ・エレガンス、あのステフィ・グラフ氏と一緒に

 <写真提供:サニーサイドアップ>

今の仕事の割合は、7割がテニスで3割がサッカーですね。サッカーはDAZNでフランスリーグの解説をし、たまにハリルホジッチ日本代表監督の通訳を担当するくらいですね。

僕は6歳くらいからテニスとサッカーを同じタイミングでやり始めたんです。親と兄が強かったのでそれについていった感じですね。週に2回くらいのペースでやっていました。中学生〜高校生の時はサッカーに夢中でした。

大学に入るときにアメリカへ渡ったのですけど、W杯が開催される前で不毛の地となっており、サッカーは全くメジャーではなかった。加えて、僕の寮の下にテニスコートがいっぱいあったこともあり、6週間ぐらいテニス漬けになり、再びテニスへの情熱が戻ってきたんです。このロスの大学のコートで現役時代の松岡修造さんに初めて出会い、日本人街のレストランで一緒に食事をしました。ちょうど22年前ですね。そしてその翌年に僕は文科省の奨学金を得て日本にやって来ました。静岡大学に通っていたのですが、テニス部に入れてもらいました。当時のキャプテンにすごく良くしてもらったんですよ。

普通、1年生はボール拾いをしなければいけないのですが、僕は1年間だけの留学生だから免除されました(笑)。そこでまた1年間、テニス漬けですよ。1年半後にサッカーの仕事でまた日本に来ることになり、最初に話したようにW杯が終わってWOWOWの仕事がきて…という妙な巡り合わせですね。

 

誰もがローラン・ギャロスの赤土に魅了される

フランスでは自転車が国技です。サッカーとラグビーも大変人気にもなったけれど、南西の方がラグビーの国であり、中部、パリ、北部はサッカーです。地理的に分かれているかなという気がします。自転車に関してはツール・ド・フランスの開催時期である7月の3週間、“国が止まる”と言って良いほどの人気があります。

 

テニスに関しては主に全仏オープン「ローラン・ギャロス」が人気ですよね。フランスが誇るスポーツの大イベントですよ。サッカーで言うと、毎年ユーロを開催しているみたいなものでしょうか。国営テレビ局(日本で言うNHK)が大会期間中の朝11時から夜の19時まで毎日、2週間連日生放送をしてきました。今は半分になりました。朝の11時から15時までケーブルテレビで放映され、15時以降は国営テレビに移ります。

 

ユーロが開催されるのは20年に1度ぐらい。ローラン・ギャロスは毎年ありますからね。フランス人はローラン・ギャロスの赤土に誇りを持っています。世界中のどの赤土よりも美しいからです。赤土の色みを出すために研究が重ねられており、様々なレンガのブレンディングをするのですが、その作り方は誰にも明かしていないんです。

ローラン・ギャロスの1番の宝はこのレッドクレーです。国宝ですよ(笑)。選手もあの美しさに魅了されるはずです。スライディングも“すーっ”と行けるのでね、僕はよく雪に例えるのです。外国人が日本の長野やニセコに来ると雪の綺麗さに感動するんですよ。それと同じ感覚です。ローラン・ギャロスのレッドクレーは雪のようにきれい。それが最大のブランド力かなと思いますね。

 

ダバディ氏が見た日本テニス界

日本のテニス人気は錦織選手のおかげでだいぶ変わったと思うんですけど、文化面ではまだまだかなと痛感します。錦織選手を見てプレーしたい!と思ってもコートが少ないとか、あるにしても人工芝のコートが多いのです。人工芝のコートは年配の方に優しいし、雨が多い日本列島ではすぐ乾くので経営者にとっても便利ですが、そればかりですと本当の若手は育たないのです。諸刃の剣と思いますね。

レッドクレーと天然芝も増やしていかなければいけないと思いますし、人工芝より人工クレーが絶対にいいのです。あとは中体連さんとの話し合いも絶対に必要ですね。学校では軟式がメインとなってしまっている時期があるのですが、第二の錦織は育ちません。

 

この2つが、僕が思うテニスが普及しない理由ですね。人工芝のコートが多いし、『テニスって面白いね!』と思った子供が中学に行ったら軟式しかできないのです。そうなったらそこの3年間で情熱が失われてしまうかもしれませんし、技術的にもキャッチアップできません。他のスポーツに行ってしまう。今は日本テニス協会が一生懸命動いて中体連の皆様に話を進めていらっしゃるみたいですけど、この連動がしっかりしないと難しいですよね。あとは東京五輪で日本の選手がメダルを取るかどうかは重要です。そうすると、上記の二つの構造改革に拍車がかかる、そう思います。

 

僕はこの2月~3月にかけて行われた「全仏オープン・ジュニア ワイルドカード選手権大会 in partnership with LONGINES 日本予選」に関わって2年目で、今は事務局もやっています。その中で、フランスの文化であるローラン・ギャロスとレッドクレーを日本で広めていきたいと思っています。それの楽しさを伝え、フランス人と日本人が一緒に何かプロジェクトを作っていき、その結果として何が起こるかも見てみたいです。

 

僕自身20年も日本にいて同胞のフランス人と仕事をしたことがなかったから、少しフランス人と一緒に仕事をしてみたいな、と思ったんですよ(笑)。フランステニス連盟もクレーコートを日本で広めたい、ローラン・ギャロスのネームバリューを高めたいという思いがあるので、それを手伝っていければなと思っています。

 

ジュニア世代からクレーを価値あるものに

まだこの「全仏オープン・ジュニア ワイルドカード選手権大会 in partnership with LONGINES 日本予選」が始まって日は浅いですし、今回が成功したとして次の年に何ができるか、ということが重要ですよね。フランスも世界中のマーケットを結果で見ると思うんです。そういう意味では錦織くんがローラン・ギャロスでどれだけ頑張って結果を出せるのか、それ以外で活躍する選手が出てくるのか、というのはすごく重要ですよね。

 

また、東京五輪でテニスコートを増やすことができるのか(人工芝以外の人工クレーコートも作れるのか)というところを見て、フランステニス連盟は日本がさらなる投資に値するのかという判断を下すと思います。

滝川クリステルさんがローラン・ギャロスのアンバサダー(日本親善大使)になっていますが、頼もしい限りです。ただ、サッカーみたくどこかで大事な選手が抜けた時にチームが崩壊する可能性はありますよね。ですから、気は抜けないです。フランステニス連盟の会長が今年で変わったのですが、どれだけ海外に投資をしてこのような大会を大事にしてくれるか、ということは常に考えなければいけないですね。

 

日本でも、ジュニア世代でクレーの育成を大事にしてほしいですね。例えばフランスに行きたいとかセルビアに行きたいとか、スペインに行きたいとか、そう思う子が増えれば良いなと心から願います。この「全仏オープン・ジュニア ワイルドカード選手権大会 in partnership with LONGINES 日本予選」を通じて、幼い頃からレッドクレーでプレーする選手が増え、将来的に彼ら彼女らがローラン・ギャロスで輝くのです。こういうサイクルを作りたいなと思います。