主審・家本政明が見据える次のキャリアと、「サッカー審判員」という仕事

2018.02.02 AZrena編集部

「以前はどちらかというと我が強くて、自分の手で試合を良くしたい、もっと言えば、プレイヤーズファーストよりもルールファーストという思いが強過ぎたのですが、今は選手たちがいかに試合に集中し、かつ観客を楽しませられるように、審判としてどう選手と向き合い、試合に関わるべきかを考えています。」(サッカープロフェッショナルレフェリー家本政明)

 

前編では家本さんが審判を志したきっかけと、プロに至るまでの経緯に迫りました。

 

後編となる今回は、聖地・ウェンブリーでの不思議な経験や、スポーツ業界を志す上で必要な要素について語っていただきました。

 

選手たちが観客を楽しませられるように

京都パープルサンガを退社後は、僕が審判をやることを応援してくれる、あるいは兼業を理解してもらえる会社を探し、シミズオクトというイベント会社に転職しました。そこで仕事をしながら審判技術を高めた結果、2005年にはプロフェッショナルレフェリー、さらには国際審判員として活動しました。

 

プロフェッショナルレフェリーという制度ができたのは、2002年のことです。僕はプロや国際になるために審判を始めたわけではないですし、そうなるためにがんばってきたわけでもなく、「こんなサッカーができれば、選手も観客も審判も、誰もがサッカーを心底楽しめる」という理想像があって、それを実現させられるように審判としてのあるべき姿や、観客や選手との関係性を突き詰めることだけを考えてきました。今もプロとして続けているものの、プロであることにこだわりを持っているわけではなく、先に述べた理想像や志を実現させたいだけなんです。プロや国際という肩書きは「付録」であって、ゴールではありませんから。

 

クラブに勤めている時は、Jリーグの審判も担当していました。当然、京都の試合や、京都の順位に関わるような試合は、僕が担当しないように協会は考慮します。クラブを退社した審判に対しても、退社から5年間はそのクラブの当該試合を担当させないなどの規約が設けられています。ですが、今でも僕は京都の試合を担当したことはありません。

 

僕の契約元は日本サッカー協会なのでそこから給料を頂いていますし、試合を担当することで受け取れる試合報酬はその試合の主管者、すなわち、国内ならばJリーグ、海外ならばAFCやFIFA、各国協会から支払われます。毎月4〜6試合を担当して、年間50試合くらいを担当します。その中で常に理想の試合、審判の姿を追い求めるスタンスは今も昔も変わりません。ただ、強いて言うのであれば、近年は人の喜びをより重要視するようになりました。以前はどちらかというと我が強くて、自分の手で試合を良くしたい、もっと言えば、プレイヤーズファーストよりもルールファーストという思いが強過ぎたのですが、今は選手たちがいかに試合に集中し、かつ観客を楽しませられるように、審判としてどう選手と向き合い、試合に関わるべきかを考えています。

 

若い頃に我が強いのは仕方ない部分もあるのかもしれないですが、これまでの苦しい経験や結婚して親になったことで、審判をする上での考え方や価値観、喜びや楽しみといったものが大きく変わりましたね。(※1)2016年の川崎フロンターレ対横浜F・マリノス戦や、(※2)2017年の最終節もそうですけど、昔の僕であれば、あのように試合がエキサイティングになるようにコーディネートすることなんて、絶対できなかったと思います。

 

※1 J1リーグ・2ndステージ第13節。川崎の2点リードから、横浜FMが後半アディショナルタイムに2得点を決めて追いついたものの、ラストプレーで再び川崎が勝ち越し。3-2で劇的勝利を収めた。

 

※2 J1リーグ最終節・川崎フロンターレ対大宮アルディージャ。川崎が5-0と大勝を収め、首位の鹿島を得失点差で上回り、逆転で初優勝を飾った。

 

正しいことを批判されて心が折れそうになった時も、家族という最高の居場所があり、審判仲間や心許せる人達が声をかけてくれることで、何があっても一人ではないと感じています。こういったことによって、良い意味で自分の審判の理想像がブラッシュアップできています。