menu

セレッソ大阪の名物通訳・ガンジーさんが語る大阪の魅力「セレッソのおかげで、通訳を続けることができている」

2025.09.10 / 宮川昇

セレッソ大阪でポルトガル語通訳を務め、“ガンジーさん”の愛称でも知られる白沢敬典(しらさわ・たかのり)通訳。Jリーグで20年以上にわたってポルトガル語通訳として活躍し、担当した選手・スタッフは150人以上にも上ります。

セレッソ大阪には2002年に加入。その後一度はクラブを離れましたが、2023年に古巣への復帰を果たしました。クラブの歴史を知る“ガンジーさん”に、通訳という仕事への想い、そしてセレッソでの忘れられない試合についても聞きました。

<本記事は、舞洲スポーツ振興事業実行委員会が展開する『OSAKA SPORTS GROOVE』公式noteから転載しております。>

Jリーグ開幕前からサッカー通訳を志したきっかけは?

ーまずは、自己紹介をお願いします。

名前はガンジー、生まれはインドです。……というのが自己紹介のお約束で、もはやガンジーが本名のようになっています(笑)鳥取県で生まれ育って、東京の大学へ進学し、2001年から通訳として働いています。1年契約を繰り返して、まさかここまで続けられるとは思ってもいませんでした。

ー通訳という仕事を志したきっかけは?

学生時代に日本リーグを見ていて、ふと頭に浮かんだのが通訳の仕事でした。兄の影響でサッカーを始めて、当時はJリーグもなかった時代ですが、サッカーに携わる仕事はないかな?と考えていたんです。まずは言葉を覚えないと話にならないと思い、大学では外国語学部ポルトガル語学科を選びました。

ー様々な言語があるなかで、ポルトガル語を選んだ理由は?

兄がブラジルのサッカーが好きだったこともあり、毎日呪文のように「ブラジル、ブラジル…」と聞かされていたんです。日本リーグでプレーしている選手もいましたし、サッカー=ブラジルというイメージが強烈にあって、「ブラジル人選手と話せるようになりたいな」と。

ー現在ではどのチームにも通訳の方が当たり前にいらっしゃいますが、当時の日本スポーツ界では通訳という仕事も一般的ではなかったのでしょうか?

当時に比べたら日本サッカー界全体でスタッフの人数自体が増えていますし、通訳の需要も高まってきたと感じます。自分が学生だった頃は、まだどうやったら通訳になれるのかもイメージできなかったですね。

ーそんな中、どのように通訳としての仕事を見つけたのでしょうか?

人との繋がりがきっかけです。もともと大学時代に休学をして1年間、卒業後にも日系社会青年ボランティアとして2年ほどブラジルへ行き、語学については何とか自信を持てるようになりました。

とはいえ伝手(つて)も無かったので、ブラジル人選手が加入するというチームに履歴書を送っていたんです。ただ返事は来ることはなく、そろそろブラジルに移住して知り合いの仕事を手伝おうかと考えていた頃でした。

そんな時に大学時代の知り合いの方から「通訳を探しているチームがあるぞ」と。連絡があった時にはブラジルにいたのですが、次の日すぐに日本に向かいました。

「大阪にいるとブラジルの雰囲気を思い出す」

ーセレッソ大阪との出会いについても教えていただけますか?

最初に仕事をしたのが国内のプロサッカークラブだったのですが、実はシーズン途中に自ら辞めることを決めたんです。チームには本当に申し訳なかったと思っているのですが、ブラジルに移住しようと考えていたんです。

そのタイミングでセレッソからの話がありました。通訳として働き始めて慣れないなかで大変な経験をした時もあり、最初は全然やる気がなかったのですが、兄が「アホか!」と。

「あれだけやりたいと言っていたのに、自分から断るなんてあり得ない」と言われて、ハッと我に返ったんです。確かにそうだなと思って、もう一回やってみようと思いました。

ー通訳という仕事にネガティブなイメージがあったなかで、セレッソで働き始めてから気持ちに変化はあったのでしょうか?

変わりましたね。まずは初めて来た大阪にドハマりしたというか、どうしてこんなに居心地が良いんだろうと思いました。

どこかブラジルの雰囲気と似ているんですよね。みんなで楽しく過ごそうというのが根本にあって、人生を楽しむ術を知っているといいますか。まさか25年近く大阪に住むことになるとは思っていなかったですし、住めば住むほど良い街だなと思います。

ブラジルの中でも干ばつ地域などは特に貧しく、決して豊かな生活とはいえないなかでも、みんなすごく幸せそうな顔をしているんです。大阪に来たときにそれを思い出しましたね。

通訳としてその時に担当したのはGKコーチと選手の2人だったのですが、2人とも人柄が良くて、今でも連絡を取り合うほどです。セレッソに来たおかげで、今でも通訳の仕事を続けることができています。

ーこれまでは合計で何名くらいの監督や選手を担当されたのですか?

2年前くらいに他の取材で調べた時には、150人を超えていましたね。なので今では200人近くになっていると思います。

ー初めて来日する選手も多いと思いますが、どういったコミュニケーションを心がけているのでしょうか?

できるだけ早く日本での生活やチームに馴染めるように、サッカーだけではなく私生活や家族のフォローもするようにしています。

ただ、全て通訳に頼らないといけないという選手になってほしくないとも思っています。今は翻訳アプリもありますから、自らどんどん街に出て、日本人ともできるだけ直接やり取りをしてほしい。日本の社会に溶け込んでいけるように導くというのは常に意識しています。

近づきすぎず、離れすぎず。まずは自分が彼らのことを好きになって、何かあったときには相談してもらえるような距離感を心がけています。

ー選手の性格や経歴によってもサポートの仕方が変わりそうですね。

例えば、ヨーロッパなど海外でのプレー経験がある選手は、通訳に頼らずに自分のことは自分でやるという意識を自然と持っています。逆に海外移籍が初めての選手は、分からないことも多いので、通訳=お手伝いさんのような意識になってしまいがちに感じますが、自分でできることを増やしていけるようになってほしいとは常に思っています。

ー来日した外国人選手たちは、日本にどういった印象を抱くのでしょうか?

チームメイトから日本について聞いていることも多く、来日前から日本には良い印象を持っている選手が多いです。子どもが一人で外を歩くことができるというのはブラジルではなかなか考えられないですし、とにかく安全に生活が送れること。サッカー自体もオーガナイズされていて魅力的だと話しますね。

ー海外でのプレー経験のある日本人選手が増えていることも、選手間のコミュニケーションにおいてはメリットがあるのではないですか?

(香川)真司や今シーズン途中加入の吉野恭平(大邱FC/韓国から加入)、大畑歩夢(OHルーヴェン/ベルギーから加入)など、海外で逆の立場になったことがあるからこそ、日本に来た外国人選手とも自然とコミュニケーションを取ることができるんですよね。そういった選手たちの存在は、すごく大きな役割を果たしていると思います。

忘れられない2005シーズン最終節の裏話「初優勝目前で……」

ーこれまでセレッソで過ごしてきたなかで、印象に残っている試合やシーズンを教えていただけますか?

悔しい思い出になってしまいますが、一番は2005シーズンですね。初優勝まであと数分というところで同点に追いつかれてしまい、タイトルを逃した最終戦は忘れられません。

しかも当時はまだ関西のチームがJリーグで優勝したことがなかったんですよね。そんな中で、ライバルのガンバ大阪が優勝したというのは、その後の両クラブの歴史を大きく左右したかもしれないなと思います。満員の長居スタジアム(現・ヤンマースタジアム長居)で優勝したかったと今でも思います。

嬉しくて印象的なシーズンでいうと2010年、リーグ3位で初めてACL出場を決めたシーズンです。最終節まで順位が確定していなかったなかで、最後にホームで勝って3位以内が確定した時は喜びが爆発しました。

ー2005シーズンの優勝争いは大混戦でしたからね。Jリーグ史に残る試合だと思います。

そうですね。あと当時選手だったブルーノ・クアドロスは、2023シーズンからコーチとしてセレッソに戻ってきているんです。

彼は2005年が来日1年目でしたけど、すぐにチームの中心として活躍していました。ただ最終節の前の試合でイエローカードを貰って累積警告で出場停止になってしまい、最終戦はスタンドで試合を観ていたんです。

実は、最終戦で僕はブルーノのユニフォームを上着の下に着ていて、優勝したら脱ごうと準備万端だったんです。それがあと少しのところで果たせなかった。本当に今でも忘れられないんですよね。

ーそんな裏話があったのですね……主力としてシーズンを戦っていただけに、タイトルへの想いは強かったはずですよね。

当時、ブルーノも含めて3人の外国人選手がチームに所属していたのですが、全員日本1年目。しかもそれぞれ家族もいて大変でした(笑)それでも全員がレギュラーで頑張っていたシーズンだったからこそ、最後に彼らと優勝できたら最高だったのですが。

ただ、試合が終わった後に食事をしながら「優勝はできなかったけど、ガンジーがいたから俺たちは頑張れたんだ」と言ってくれて……これまで通訳として仕事をしてきたなかでも、その言葉はめちゃくちゃ嬉しかったです。

今年のセレッソは「大阪の皆さんが好きなサッカー」ができている

ー2025シーズンも終盤戦に突入していますが、チームの戦いや雰囲気はいかがですか?

今シーズンは何度か逆転勝利もありますし、監督からのメッセージも「アグレッシブに攻めろ」とシンプルです。大阪の皆さんの好きな“攻撃的なサッカー”ができているんじゃないかなと思います。これを続けていければ「セレッソの試合を観に行きたい!」と思ってもらえるんじゃないかとワクワクしています。

ーOSAKA SPORTS GROOVEでは大阪市を拠点にする8チームのコラボ企画なども行なっているのですが、サッカー以外の競技などは観戦されますか?

ぜひ観に行きたいなと思いますし、一緒に盛り上げていきたいと思います。セレッソの練習場のある舞洲もそうですが、各チームの活動エリアもコンパクトにまとまっているので、いろいろなスポーツを気軽に観に行くことができますよね。

ーヨドコウ桜スタジアムもピッチと観客席の距離が近くて良い雰囲気ですよね。ぜひ最後に、まだセレッソの試合を観たことのない方へメッセージをお願いします!

おばちゃんが選手に飴ちゃんを渡せるくらいの距離ですからね(笑)試合前にもいろいろなイベントが開催されているので、お友達や家族連れでも楽しめると思います。あとは個人的には夏場のナイターの照明やペンライトの演出も好きなんです。ぜひ一度スタジアムにお越しいただけると嬉しいです!