【前編】日本唯一の水中専門カメラマン・西川隼矢。転機になった「1枚の写真集」と、五輪への想い

2015.05.07 AZrena編集部

西川隼矢

 

今回は日本でただ1人のプール環境に特化したアートスイムフォトグラファーの西川隼矢さんのインタビューです。西川さんはアテネオリンピック代表選考会にも出場されていた元水泳選手でもあり、現在は日本広告写真家協会正会員となり、活動されています。水泳選手から水の中を専門としたカメラマンへの転身の軌跡と、水中を撮影することの魅力を様々な角度からお話して頂きます。

 

人生を大きく変えた写真

 

–  水泳選手だった西川さんが現在のようにアートスイムフォトグラファーになろうと思ったきっかけを教えてください。

友人にプレゼントした一冊の写真集がきっかけです。年齢も種目も一緒で、かつてのライバルだった友人の山本晴基(現・近畿大学水泳部コーチ)は社会人になってからもオリンピックを目指し、プロスイマーとして活躍しており、私はオリンピックの夢を彼に託し応援していました。そんな彼から次の試合で引退すると告げられた時、今までお疲れ様、そして夢を見させてくれてありがとう、という感謝の気持ちを込めて彼の泳いでいる写真と過去のタイム・順位をまとめた写真集をプレゼントしようと考えました。彼がいつも泳いでいたプールにお邪魔させてもらい、撮影させてもらいました。そのプールには水の中を見ることができる小窓があり、そこから初めて水中写真を撮ったんです。

 

西川隼矢氏の写真

 

撮影した水中写真を自宅で現像した時の衝撃と興奮は今でも覚えています。この時の写真が私の人生を大きく変えました。

それで水中撮影ができるカメラが欲しくなって、インターネットで探したところ、私が使っていたカメラ専用のハウジング(水中用ケース)がたまたま安く売られていたので、すぐに購入しました。神様から水中の写真を撮れと言われているような気がしましたね。

 

–  今の活動に至るまではどういったことをされていたのでしょうか。

出身は鹿屋体育大学で、水泳部に所属し、オリンピックを目指していました。小学校から水泳をずっとやってきたので、その経験と知識を活かせる仕事がしたいという思いがあり、大学卒業後はフィットネスクラブに就職し、水泳のインストラクターを3年間していました。しかし、その間に次第に水泳に対する思いが冷めてしまいました。

 

西川隼矢氏の写真

 

–  なぜ水泳に対する思いが冷めてしまったのですか。

現役の時の試合は常に自分のベストタイムの更新を狙う場でしたが、引退した後の試合は私にとってベストタイムから何秒落ちたか、という衰えを確認する場でしかなかったので、モチベーションが上がらず、次第に水泳に対する気持ちも離れてしまいました。第2の水泳人生と割り切れれば良かったのですが、当時の私には出来ませんでした。

あとは自分の指導を通して子供達を速く泳げるようにしたい、という想いが強かったのですが、勤めていたクラブには育成クラスが無く、バタフライが泳げるようになるとクラブを辞めていく子が多かったというのもモチベーションが上がらない要因の1つでした。

このまま水泳のインストラクターとして生きていくことに迷いが出た社会人3年目に意を決して転職する道を選びました。どうせ違うことをやるなら全く新しい分野に挑戦したいと思い、興味のあったIT業界でSE(システムエンジニア)になろうと考えました。

水泳のインストラクターから、全く新しい分野への挑戦

 

–  水泳の指導員から、SE(システムエンジニア)とは本当に全く違う分野ですね。

実は大学進学の時、現役を続行して体育・スポーツを専攻するか、水泳を辞めて情報処理の分野に進むか悩んだくらいITには興味がありました。SEのことを調べていると、IT系の転職フェアが開催されていることを知ったので、参加することにしました。ブースの中には「初心者歓迎!」と書かれた看板が出ているところが多くあったのですが、実際に話を聞いてみると本当の初心者は全く相手にされない現実を知りました。

採用したとしても苦労しますよ、といった形で直接的にではありませんが、断られるんです。大学の情報処理の授業で習った程度しかITの知識はなかったので、今思えば断られて当たり前ですね。それでもめげずにブースを回っていると「君、良い身体しているね!ソフトボールできるかい」と声をかけられたんです。

 

–  全くITや転職とは関係のない声のかけ方ですね。

できると答えたことがきっかけで話を聞いてもらえて、結果的に採用して頂くことができました。

 

西川隼矢氏の写真

 

–  なかなかない採用の仕方だと思いますが、なぜソフトボールができることが入社のきっかけになったのでしょうか。

実は声をかけて下さった方が、社内のソフトボール大会でずっと1位を保持している部の部長さんでした。それでスポーツの経歴とソフトボールができるということで、入社試験は奮わなかったものの、採用して頂けました(笑)でも社員の数も500人程いる、歴史ある大きい会社です。

 

–  ちなみに本当にソフトボールもできるのですか。

毎年大学時代に水泳部のメンバーで九州のソフトボール大会に参加していたので、練習はしていました。これも何かの縁ですね。

 

–  今までとは全く違う業務で苦労もされたのではないですか。

SEとしては全くの初心者だったので、最初は上司や同僚に迷惑ばかりかけていました。当然残業ばかりの毎日でしたが、体力だけは自信があったので何とか乗り切ることができました。

水中カメラマンは撮った後のパソコン作業が実はすごく重要だったりするので、ITの知識とスキルを磨けたこの期間が今の私の支えとなっています。

 

–  そうなると水泳からは1度離れたということですね。

そうですね。その会社に入って一旦水泳とは離れました。しかし、1回離れたおかげで、やはり水泳が好きだと再確認する事ができました。入社3年目には社内で水泳部を作り、部長として部員に水泳を教えたり、みんなで試合に出場したりと、自由に活動させて頂きました。その時は社長にも部員として在籍して頂いていて、今でも私のフォトグラファーとしての活動を応援してくれています。

 

西川隼矢

 

–  写真を撮影することにはいつ出会ったのですか。

SE時代の上司にカメラを趣味にしている方がいて、その人の影響で始めました。その上司が使っていたカメラがオリンパスだった影響もあり、私も同じメーカーの一眼レフカメラを購入したのですが、カメラを水中に沈めるためのハウジング(水中用ケース)はオリンパスしか純正品として販売していないため、その時に他のメーカーの物を購入していたら今の私は確実にいないです。これもまた縁ですね。

 

–  いろいろな出会いや縁が組み合わさって今の活動に繋がっているのですね。

はい。昔から周りの人に恵まれていると思います。そのカメラを教えてくれた上司はすごく勢いのある人で、いろいろな壁を取り払ってくれる方でした。例えば、「西川は今の水泳界に何か不満とかやりたいことはないのか」と聞かれたので、「引退後の水泳の試合は自身の衰えを確認する場でしかないので、タイムを気にせずに誰でも楽しめる水泳のイベントがあったらいいなと思います」と伝えたところ、「それをお前がやれない理由はあるのか」と言われました。何でもそうやって背中を押してくれる上司はなかなかいないと思います。

その話をした次の日には企画書を作成し、4ヶ月後には辰巳国際水泳場のメインプールを全面貸し切って自主水泳イベント「全日本遊泳選手権」を開催しました。イベントには、友人のオリンピック選手から、ビキニ姿のお姉さんまで50人以上が参加して下さり、碁石拾いや、バランスボールリレーなど、泳力が無くても平等に楽しめる種目で大いに盛り上がりました!

 

その時のイベントの映像はこちら↓

 

【後編】へ続く

 

r