AZrena編集部

キーワードは「感覚」と「理論」の共存。細野史晃が紆余曲折の人生を経て得た、陸上競技上達メソッド

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今回はSun Light RCの代表で、ランニングコーチをされている細野史晃さんへのインタビューです。細野さんはリクルートで営業職を経験した後にランニングコーチとして独立。昨年には初の著書となる「マラソンは上半身が9割」を出版し、注目のランニングコーチの一人です。初心者でもトップアスリートのように軽やかに走れるようになる、分かりやすい指導が特徴です。指導対象はジュニアからシニアまで、一般からトップアスリートまで幅広くランニングの指導を行われています。また、現役の選手としても活躍されています。今回はその細野さんのバイタリティー溢れる活動の奥に隠れる秘めた想いに迫ります。

 

陸上競技に励んだ学生時代から就職まで

 

–  まずランニングコーチをしようと思ったきっかけを教えて下さい。

最初は小学校のときから、学校の先生になりたいと思っていました。しかし陸上競技と出会い、人生にも大きな影響を与えてもらえたので陸上競技の指導もしたいと考えるようになっていったことがキッカケです。

 

–  小さい頃からスポーツはされていたのですか。

リレーの選手になりたくて、小学校5年生から陸上クラブに入っていました。でも結局小学校6年間リレーの選手になれず、悔しかったので中学校では陸上部に入ることにしました。当時、サッカーも好きでやっていましたが、今思えば自分で考えて素早いPDCAを回しながら練習していく陸上競技は自分の性格に合っていたのだなと思います。

 

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–  陸上競技ではどの種目をされていたのでしょうか。

最初は体が小さいからという理由で、先生から長距離を勧められました。しかし、練習もきついだけで一向に速くなりませんでした。そこで、2年生からは短距離をさせてほしいと先生にお願いして100mに転向しました。短距離に変わってからはみんなで競い合う練習が楽しく、記録も順調に伸びてくれました。

高校2年からは三段跳に転向しました。短距離で伸び悩んでいる高校2年の時、三段跳の試合で自分より体格の細い選手が都大会の切符を手に入れているのを見て自分も三段跳なら都大会には進めるのではないかと思い挑戦したことが始まりです。始めてから二度目の大会で、目標としていた都大会に進むことができました。高いモチベーションを保てたのは、自分自身が強くなりたいという思いと、憧れだった女の子でも少しでも近づきたいと言う下心。青春真っ盛りでしたね。(笑)

 

–  多くの中高生男子のモチベーションですよね。

そのようなモチベーションで競技に向き合って、東京都の強化練習会に参加するなど、色んな方々から協力を頂きながら練習を積み重ねました。しかし、結果として関東大会に出ることができませんでした。その頃には下心よりも、競技の奥深さと面白さに心奪われていましたね。当初立てていた目標が達成できなくて悔しい思いがあったので、大学でも競技を続けようと想い、学科もスポーツに関われる学科を選んで受験しました。

 

–  大学では、どのような競技生活をされていたのですか。

1浪して埼玉大学教育学部に入学して、陸上部に入ったのですが、3ヶ月で陸上競技部を辞めましてしまいました。賛否両論あるとは思いますが、家庭状況的にアルバイトをしなければなりませんでした。また、当時の陸上部は短距離、ハードル、跳躍ブロック全て同じの練習メニューで、練習時間も長く1日4時間程やっていました。そうなると、アルバイトをしないといけない自分にとっては、授業が終わって16時から20時までの練習は非常に長く、「学業」「競技」「仕事(アルバイト)」をすべて立てることは不可能でした。すべて形にする為には家の近くや、授業の合間で練習することが大前提でした。そうなると部活全体の動きと合いません。

また将来、指導者になるために競技力を伸ばしたいという思いが強くありました。それがなければ指導が通らないことも多くあると感じていたので、時間も限られている中で、競技力を伸ばす為には手段を選んではいられないと思い、陸上部の先輩や同期などには迷惑をかけるのを承知で退部し、時間をうまく利用し、練習も工夫して、学業とアルバイトとの両立もできるようにしました。

結果として大学2年次には13m65という記録から14m74まで自己記録を伸ばすことができました。また、そこまでのトレーニングの中で、理論だけではなく感覚を求めることの大切さに気づきました。理論だけの練習では記録は出なかったと思いますし、理論を先に学んでいたからこそ大きく記録を伸ばせたのだとも思います。

 

–  理論と感覚どちらが大切ということはありますか。

やはりどちらも大切です。どちらか一方では「記録が出ない」もしくは「スランプを脱出できない」という事態に陥ります。また指導者としても理論と感覚を分かっていないと指導できないと思います。理論だけでは感覚は伝わりませんし、逆に感覚だけでも理論は伝わりません。言葉でうまく選手に伝えることがコーチングの肝ですから、指導者としては理論も感覚もきっちりと理解できることが大切だと感じています。

選手もこの両方を理解できているとパフォーマンスが向上しますし、息の長い選手になれると思います。

 

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–  教員を目指していたというお話でしたが、なぜ就職されたのですか。

公務員はあとからでもできる、28歳までは挑戦してみようという思いがありました。また、教育・スポーツの世界とビジネスの現場に大きな隔たりがあると感じていました。『教育とスポーツの業界に革命を起こしたい』という想いが私にはあって、そうなると学校教育の外側から変えるしかないと思ったので、そうなると就職しか無いと考えました。

ただ、当時はスポーツと教育を変えるミッションを掲げているという会社が少なかったので自分で作るしかないと考えていました。今はかなり増えてきましたけどね。ただ、スキルや経験も何もなかったので、力を身に付けられる企業で1度働こうと思い、名刺1枚で経営者と直接会える会社を選び、金融などの企業からの内定も頂きましたが、最終的にリクルートに決めました。

 

–  なぜランニングコーチとして独立されたのですか。

スポーツと教育を変えるという目標を目指したときに、今の自分にどのようなスキルがあるかを書き出しました。その時に、いわゆるトレーナーのような仕事なら今まで積んできたスキルで独立できると考えました。しかし、トレーナーやコーチと言っても世の中にたくさん同業者はいます。そうしたときに自分の長所は何か、そしてどうやったら差別化できるか、加えてスポーツの市場を広げる活動もできるような形での独立はどのフィールドだと可能なのか、そう考えたときに「ランニング・マラソン」の市場が拡大していることに注目したこと、自分ならばフォームは確実に変化させられること、そしてこのフィールドならばスポーツ市場拡大に向けての活動ができると考え、ランニングコーチでの独立を目指しました。

 

–  ご自身は選手として三段跳をされてきた一方で、ランニングの指導を始めるとなると難しいのではないですか。

確かに自分はもともと長距離選手ではないので、他の長距離出身のコーチと同じことはできません。しかし、高校時代から多くの選手の指導をする中で、理論と感覚に基づいて、より効率的な走りができるフォームを指導することはできるという確信がありました。より仕事として高い質を提供できるように、大学までで作り上げてきた指導理論に加えて理学療法士や柔道整復師などコメディカル分野の方々から身体のことを改めて学び、今の30分で分かりやすく、楽しんで、楽に走れるようになる「楽Run」というメソッドにまとめました。難しい課題ではありましたが好きなことは意外と楽しく乗り越えてしまうものなんだなと思います。

 

–  紆余曲折の人生を送られてきていますが、苦労されたことや辛かったことを教えてください。

2つあります。下心では競技をしていないとは言いながらも、憧れの女性との接点は自分の力になっていたようで、自分の思いが叶わないものと理解した時が1つ目の壁でした。大学1年の冬だったんですが、当時の自分にとってのエネルギーの源が無くなったような感じでやる気を無くしてしまった時期でした。しかし、もうその頃には競技自体を好きになっていて、競技力も伸ばしたいし、指導者になりたいと思う大きなエンジンになっていました。しかし、それを動かすガソリンが枯渇した、そのような状態でした。頭の片隅に競技を辞めようかとも思ったのですが、今までお世話になった人の顔が浮かんできて、今の状態で終わってはいけない、何も恩返しをしていない、そう思って頑張ろうと復活できました。その後の大会で自己ベストを1m以上更新し、当時大学4年間で目標にしていた記録を大学2年で出すことができました。

もう1つはリクルート時代に、人との信頼関係の構築の仕方に課題があるということに気づきました。これはかなり厄介で根深いものでした。信頼関係の第一歩は家族間での信頼構築なのですが、僕はそこでつまづいていたようでした。となると他人との信頼関係を築くこと非常に困難です。そこで改めて家族との対話をしようと決め、家族会議を何回も重ねました。かなり解消はされたもののこういったコミュニケーションをベースとした信頼関係の構築にゴールは無く今も仕事の中で学んでいます。 しかし、こういった大きな壁があったからこそ、今の自分がいるんだなと思うと早い段階でこういった壁にぶつかることができて良かったなと思っています。