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宍戸大樹。「ミスターシュートボクシング」が振り返る、18年の軌跡

2016.03.29 / 竹中 玲央奈

宍戸大樹。「ミスター・シュートボクシング」の異名をとった男は、2016年4月3日を最後にリングを降りた。18年の濃密なキャリアを、本人の口から振り返ってもらう。

宍戸大樹
 
約20年間の現役生活で81戦。格闘技の経験者からすると、この数字はかなりのモノだ。ただでさえいつ体が壊れるか、いつ引退を迫られるかがわからない状況下で、これだけ長くの現役生活を送ってきたのがシュートボクシングの宍戸大樹である。
 
そんな宍戸は、2016年4月3日を最後にリングを降りることを決断した。かつて一世を風靡したK-1への出場経験も持ち、数多くの猛者と戦ってきた彼に、これまでの現役生活と引退後の目標などを語ってもらった。
 

映画スターへの憧れから格闘技の道へ

 
――格闘技を始めたきっかけを教えて下さい。
 
宍戸 一言でいうと、ジャッキー・チェンを見て受けたインパクトが大きかったんです。そして、『こういうことをやっている道場があるよ』と少林寺拳法の道場があることを友達に聞いて、母親を引っ張っていって「ここに入りたい!」と意思を伝えんたんですよ。小学生になってからじゃないと入れなかったので、小学校1年生で始めて、中学、高校と12年間その道場で少林寺拳法を続けました。
 
高校を卒業すると周囲は大学受験や就職の道に進むのですが、僕は中学生の時から少林寺拳法の総本山である「武道専門学校」というのがあるというのを聞いていて、そこへ行って少林寺拳法の先生になるための勉強をしようと考えていました。それでその学校に2年間通ったのですが、だんだんプロの格闘技や東京に対する憧れが強くなっていったんです。
 
――武道専門学校というものがあるんですね。
 
宍戸 香川県に少林寺拳法の学校がありまして、そこへ2年間通いました。少林寺拳法の総本山で、全日制・全寮制の学校でした。そこに行っている時に(※)よく読んでいた格闘技雑誌で、シュートボクシングに出会ったんです。
 
当時はK-1が流行り始めで、(※)キックボクシングも盛り上がっていた時期だったんですが、なかでもシュートボクシングの日本ホーク級(現ミドル級)日本チャンピオンだった吉鷹弘さんという方が凄く強い選手で憧れの存在となり、その人に影響をされてシュートボクシングの本部がどこにあるかを調べたら、東京にあることを知りました。
 
そこから東京に出て自分の腕1つでどこまでいけるかを試してみたいという気持ちが生まれて、武道専門学校を卒業してから上京して、シュートボクシングの総本部であるシーザージムの門を叩きました。もう19年も前になります。
 
※キックボクシングはパンチとキックのみで、シュートボクシングはそれに加えて投げ関節技(立ちの状態によるもの)も認められる。
 
―― 元々は武道専門学校を卒業してからどうしようと考えていたのですか?
 
宍戸 少林寺拳法の指導者をライフワークにして一生続けていきたいなと思いました。ただ“ライフワーク”と言っていますけど、本当はそれしか考えていなかったんです。でも、少林寺拳法の場合はそれを本業とすることはできなくて、道場の代表はちゃんとした他の仕事を持った上でやらないといけないんです。そうしないと道場経営が、営利目的になってしまうという懸念もあるからみたいですね。
 
――では、本業は何を考えていたのでしょうか。
 
宍戸 実家が料理屋をやっているので、そこを手伝いながら、自分がお世話になった地元に戻って道場を手伝えればと思ったんです。ただ、武道専門学校で、格闘技をやっている同級生がたくさん集まって“誰が1番強いか”なんて話をしているうちに、東京へ行って自分の力だけでチャレンジしたいという気持ちがどんどん膨らんで、専門学校に通っていた2年の間にも東京のシーザージムまで見学に行ったりはしていました。
 
「今は武道専門学校に通っていますが、卒業したらここでお世話になりたい」ということを伝えたんです。それで実際に今のジムに入門したのですが、親には『格闘技なんていつダメになるかわからないのだから、しっかりと手に職をつけなさい』と言われていました。なので、実家が料理屋だったこともあり、調理師の免許を取ろうとしていたんです。
 
練習生時代は調理師学校に朝から夕方まで通って、そこからジムに行くという生活をしていました。学校に通いながら練習をして、アマチュアの大会で優勝することもできてプロへの道が見えてきたころに、調理師学校を卒業して椿山荘に就職したのですが、練習中に大怪我をしてしまったんです。
 
――調理師をやっている中での大怪我は仕事にかなり影響しそうですね。
 
宍戸 そうです。調理場の中の仕事をしなければいけないのにも関わらず、包丁も持てなければ皿洗いもできない。それで仕事を続けられなくなり、職場を離れました。その時に、師匠であるシーザー武志会長から『電話対応とか事務の仕事を手伝ったらどうだ』と誘っていただいたんですよ。
 

選手と職員、2つの両立

 
宍戸 元々は本部職員になりたくて、ジムで練習をしながら職員として雑務をこなす内弟子のようになれれば、ということをイメージしていたので、入門前の見学の際にも“内弟子になるにはどうすればいいんですか”というようなことを聞いたこともあったと思います。絶対に職員になったほうがシュートボクシングに多く関われるし、それに憧れを持っていたんです。
 
ただ、実際に先輩の職員を見ていると、あまりにも大変で、厳しい会長に怒られる姿も見ていたので、これはムリだなと思いました。そうは思いながらも、怪我をきっかけに職員の仕事をお手伝いするようになり、そのうち給料を渡されるようになったんです。そこで「これを受け取ってしまったらもう引き返せないな」と思いましたね。でも、受け取れないとは言えません(笑)そんな感じを繰り返しているうちに正式に職員にならせて頂きました。
 
――実際に選手と職員の2つをこなすのは大変でしたか?
 
宍戸 朝はそこまで早くないのですが、夜が遅いという時がありましたね。大会前になるとチケットの営業をやるんです。営業というとかっこいいですけど、僕の場合は挨拶回りです。自分の練習を終えてから動くので、遅い時間にもなるし、食事やお酒のお付き合いなどもあるので、しんどいなと思ったことはあります。でも、応援に来てもらって『また試合に来るよ!』と言われると嬉しいですから、頑張れましたね。
 

18年間で積み重ねた試合の数々、有名選手との対戦

 
――選手としては81戦を戦ったとのことですが、これはすごい数字だと思います。
 
宍戸 1番多い時は年に8試合くらいやったこともありました。月に2回というのも経験しましたね。シュートボクシングにはS-CUPという世界大会があって、その頃自分は中堅くらいの立場で、海外の選手とのワンマッチに出場させてもらい、なんとかKOで勝つことができたんです。そしたらその3週間後にオーストラリアで開催されるイベントに出場するはずだったうちの選手が怪我で欠場することになって、急遽『宍戸、お前、この試合でKO勝ちしたからダメージないだろ』と言われて海外遠征に送り込まれたなんてこともありました(笑)。
 
宍戸大樹
 
宍戸さんの人生を狂わせることになるブアカーオ選手(右)との対戦
 
――最も印象に残っている試合は?
 
宍戸 僕の人生を狂わされたという意味では、ブアカーオ(・ポー・プラムック)と試合をして15秒でKOされたあの試合ですかね。
 
その当時のK-1はTVの全国放送があって、対戦前に自分には“日本中量級最後の大物”というキャッチフレーズを付けられ、業界内でも『宍戸をK-1 MAXに出したら面白いんじゃないか』という待望論みたいなものまであって、自分も調子に乗って浮かれてしまっていたんだと思います。
 
いざ試合になったら会場の空気に飲まれてしまい、“攻めなきゃ、攻めなきゃ”と思っていたところで1発を食らってあっけなく倒されたんです。その後はみんなの視線が『何をやっているんだ、お前は』というような感じでしたね。世間に、まるでシュートボクシングが負けたというような印象をつけることになってしまいました。
 
ネットでも炎上騒ぎになっていることを友達から伝えられて、見ちゃいましたよ。『シュートボクシングの看板を背負ってあれかよ』というようなことを言われていました。当時は2ちゃんねるの全盛期でしたから、本当にすごかったです(笑)あれはだいぶ引きずりました。相手が強かったという意味でもそうですけど、印象的ですよね。
 

宍戸大樹

その強さに衝撃を受けたアンディ・サワー選手(右)
 
――シュートボクシングでいうと、アンディ・サワー選手が有名ですが、対戦はいかがでしたか?
 
宍戸 アンディ・サワーの強さは衝撃的でしたよね。彼とは3回戦いましたが、3敗しました。 1回目はトーナメントの決勝戦で自分もボロボロの状況でした。2回目はまたトーナメントの準決勝で当たりました。これも結局はやられたのですが、途中強烈なボディーを入れられたんですよね。
 
普通だったらワン・ツー・ボディーというコンビネーションでも3発のテンポがあるため、タイミングに合わせて腹筋に力を入れるのですが、アンディのスピードは他の選手と比べ物にならなくて、力を入れる間もなくボディーをエグられるようなパンチを食らってしまいました。あれは衝撃でした。パンチの回転も速いし連打もすごいし、重さもある。2004年の初めての対戦では1ラウンド中に3回気を失ったりもしました。本当に、アンディ・サワーとブアカーオはレベルが違いましたね。
 
【後編へ続く】