フロンターレの元プロモ部・高尾真人がカナダで第二の人生を歩む理由

2018.03.19 AZrena編集部

「インターンの時、実家の船橋から通っていたんですよ。毎日終電ギリギリです。でも、そこで熱意を見せられた。認めてもらえたのかな、とも思っています。それに、“ここで拾われなかったらもう後はないな”と覚悟を決めてやっていましたから。」
(株式会社A to 代表取締役 高尾真人)

 

2017年シーズンのJリーグで悲願の初優勝を達成した川崎フロンターレ。このクラブの目玉は、何と言っても、試合日に行われる様々な企業や団体などと組んで行われる奇抜なイベントです。そのイベントの企画や運営を行うのが集客プロモーション部という部署。サポーターを楽しませるために工夫を凝らし、サッカーの試合“以外”の部分でホームゲームを盛り上げます。

 

そんな通称“プロモ部”に在籍してクラブ、そしてホームタウンである川崎市に活気を与える活動に従事してきた高尾真人さんは7年間のクラブ職員生活を経て、カナダへのスポーツ語学留学をサポートする株式会社A toを立ち上げました。

 

充実感も感じたクラブでの生活に終止符を打ち、カナダという異国の地へ飛び込んだ理由と、高尾さんが考える“スポーツ界で求められる人材”とは?

カナダで感じた人間的成長

僕は千葉県出身で、船橋FCというクラブチームに所属してサッカーをしていました。その後、僕は専修大学に進んで4年間、体育会サッカー部に所属をしていたのですが、大学の繋がりで川崎フロンターレの育成普及グループでコーチをする機会がありました。フロンターレとの接点はそこからがスタートです。

 

小学生のスクールでコーチをしていました。4年間働かせてもらったこともあり、卒業のタイミングでスクールのコーチとして誘いを受けました。ただ、指導者として今後の人生を歩むイメージが描けず、このまま就職をしても自分は何もできないと思っていたので、他の道を探しました。そこで留学という選択肢が出てきました。父が英語教師であり、かつ周りに留学をする友達が多かったので、英語には昔から興味があったんです。幸いにも、親がお金を貸してくれると言ってくれたので、留学を決心することができました。

留学先はカナダで、現地の学校に通ってMBAを取得したのですが、それまでサッカーしかやってこなかった自分にとってはものすごく良い経験になりました。ただ、現地でサッカーとかかわらなかったというとそうではなく、留学2年目に地域のチームに誘われて、社会人リーグでプレーするようになりました。

 

サッカーを始めるまでの留学生活では満足に英語も喋れないので、喋れない人同士で固まりがちでした。ただ、サッカーをすることによって周りが全員ネイティブになるし、そこでコミュニケーションをとらなければいけない。そこで自分の英語を話す力や聞く力というのもすごく伸びたな、という実感がありました。人間的な成長をスポーツを通じて感じ取ったことで、スポーツの世界で働きたいなと強く思いました。

 

ただ、それだけではなくもう一つあります。カナダは芝生のグラウンドがたくさんあり、意外にサッカーの競技人口が結構多かったんです。カナダで盛んな冬のスポーツなどと比べて、道具にお金がかからないスポーツなので子供たちが体を動かすためにサッカーをやっている。女子も男子も、です。ただ、中学、高校と進むうちに運動神経が良い子はアイスホッケーやバスケというその先で“稼げる”スポーツへ転向していってしまいます。その背景として、サッカーを教える人たちがプロフェッショナルではないということもありました。だから、サッカーの面白さというのをわからないまま他の競技に移ってしまう。その現状を見て、日本のサッカー界の力からカナダのサッカー界に出来ることがあるのでは?と考えるようになったんです。

 

いわゆるスポーツ留学に特化したエージェントをやりたいなと思ったのですが、ただ、日本での就業経験が無かったのに加えて、自分自身がJクラブの下部組織にいたとはいえ、日本のクラブの仕組を全然わかっていなかった。まずは日本のJリーグのことを知ると同時に何か貢献したいなと思ったんです。

 

加えて、MBAを取る過程の中でインターンに参加することが義務づけられていて、その対象は世界中の企業で良いということもありました。そこでたまたま、(※)天野さんが僕を拾ってくれました。

 

※天野春果氏のこと。元川崎フロンターレプロモーション部部長で、現在は東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 イノベーション 推進室エンゲージメント企画部長を務める。