2度の日本代表不採用を乗り越えてー。下町ボブスレー×ジャマイカ代表が世界の常識を覆す!

2016.12.21 森 大樹

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JR蒲田駅から徒歩15分ほど離れた大田区の閑静な住宅街の一角に佇む町工場。一見スポーツとは何の関係もなさそうに見えるが、ここが今回の取材先である。

話を伺ったのは電子機器、制御システムの設計製造など行っている株式会社フルハートジャパンの代表取締役・國廣愛彦氏(写真・右)。彼は会社事業と同時に現在、「下町ボブスレー」ネットワークプロジェクト推進委員会の委員長を務める人物である。

東京都大田区の町工場が中心となり、ボブスレー競技用のソリの開発を進める「下町ボブスレー」プロジェクトは2011年から行われている取り組みで、五輪日本代表チームでの採用を目指して活動しているものの、前回のソチ、そして次回平昌五輪では採用されないことが既に決まっている。

しかし、その結果を受けて海外チームへの採用へ方針転換したところ、今年1月にジャマイカ代表チームが「下町ボブスレー」の使用を決定した。

ボブスレーを通して“日本のモノづくり”の底力を世界に発信する。挑戦を続ける人物の熱い想いに迫っていく。

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五輪への挑戦、ソチ大会に向けた動き。

ボブスレーとはウィンタースポーツの1つで、流線型のボディを持ったソリで氷上のコースを滑り降りていく競技である。男子4人制、2人制と女子2人制の3種目からなる。

選手間の連係なども当然重要になってくるわけだが、もう1つ大切なのがソリ選びだ。

当初ソチ五輪に出場するボブスレー日本代表へのソリ採用に向けて動き始めた下町ボブスレーだったが、いきなり大きな壁にぶち当たることとなる。

「基本的に連盟は選手がどうしたら世界で活躍出来るのかを考えて行動しています。それをベンダーの下町ボブスレーが支援するという形になるわけですが、どうしても”我々がボブスレーを利用したい”というように見えてしまうらしいんですよね」

初めて日本がボブスレー競技に参加したのは1972年の札幌冬季五輪。40年もの歴史がある中で、しがらみやプロジェクト立ち上げから数年の下町ボブスレーに対する不信感もあったのかもしれない。スポーツを通して本業のビジネスの発展に繋げたい側面はもちろんあるのだが、それを“下心”と捉えられ、利用することをよしとしない部分があったようだ。

当時の日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟の会長が“日本のものづくり”を世界に発信するという点において理解を示し、ソチ五輪前年の2013年10月末にカナダ・カルガリーで行われたテスト運行まで何とかこぎつけたものの、本番が迫り、改良までの時間がないという判断で最終的に不採用が決まった。

現場とのコミュニケーションが取れておらず、選手からの要望も拾い切れていなかったということを認めつつも、当初の構想とは違った形で話が進んでいたと國廣氏は話す。

「テストで使うソリと、実際に五輪で使用するための改良版のソリは別で準備をしていて、もしカルガリーに持っていったソリがダメであっても、もう1台をすぐに改造する予定で動いていました。問題が出てきた箇所については早急に直し、全日本選手権で使用して優勝した上で五輪に行くという流れが出来ていたんです」

ソチ五輪に向けて、連盟側と協定を結び、開発を進めてきた。それでも不採用となり、納得いかない部分もあったが、4年後の平昌五輪に向けて再挑戦を始めることになった。