障がいのその先へ。成田緑夢が説く、どん底から這い上がるたった1つの方法。

2017.04.21 森 大樹

あなたはもう立ち直れないと感じるような「挫折」を経験したことがあるだろうか。その大小は他人が決めるものではないが、それが一生付き合っていかなければならない障がいとなって後に残るものを伴うことだったとしたら、どのように向き合っていくだろうか。

現在スノーボードで平昌パラリンピック出場を目指し、競技を続ける成田緑夢選手。トリノ五輪スノーボード日本代表の成田童夢氏、今井メロ氏の実弟であり、父・隆史氏指導の元、自身も選手として頭角を現すも、2013年にトランポリンの練習中に負った怪我で、左足に障がいを持つことになる。

それでも平昌パラリンピック、さらには2020年東京五輪に健常者として出場することを目指し、スポーツに取り組んでいる。彼が挫折を乗り越え、競技に打ち込み続けられる理由とは。

“誰か”に影響を与えるためにできること

まず、現在も腓骨神経麻痺で左足の膝から下が動かないそうですが、トランポリンでの大怪我からパラリンピック挑戦に至る決断の理由を教えてください。

怪我してから最初の1年はそういうことは一切考えずに、とにかくリハビリを集中してやっていました。

本当は今も曲がりすぎた時などには痛みがあります。この前僕の友達がウェイクボードで同じ怪我をしたのですが、足を切断することになりました。本来は僕もそのくらいの怪我だったんです。

でも僕は切断せずに1年後怪我から復帰して、健常者の(※)ウェイクボードの大会で優勝することができたんです。その時ある人から「僕も障がいを持っていて、スポーツをやめようと思っていたけど、緑夢くんのそういう姿を見て、勇気を持てたので、もう一度やってみようと思う。」とメッセージを頂きました。そこで僕がスポーツをすることで誰かを勇気付けられるということを初めて知りました。それならこれと同じようなことをもっと大きな舞台に立ってやれば、より多くの人に影響を与えられるのではないかと思って、選んだのがパラリンピックに出ることでした。

※ウェイクボード:ボートに先導されながら専用のボードで水面を滑る競技。競技者はボートから出るロープを握り、引っ張られながら、様々な技を繰り出したりする。

 

そういう道を歩むことは自分で考えたのですか。

そうですね。何かにおいてどん底にまで落ちた人って、特にどうしても何か一歩を踏み出せないことがあるんです。泥沼の中にずっといる感じで、なかなか陸上に上がってこられないというか。その中で僕みたいに一度すべて記録も消えて、まっさらになってしまった人間が泥沼から這い上がっていく姿を見せることができれば、同じような人に光を当ててあげることができるのではないかと考えたわけです。

 

パラリンピックに出ると決めたら、今度は何の競技でいくかを考えないといけませんよね。

だからいろいろなところに電話をしました。パラリンピックに出たくて、どういう怪我を持っているという話をするためです。まずコンタクトを取ってみることが一歩目かなと。

僕は先を決めたら、中間部分は考えないんです。行程は決めずに、目の前にあること1つずつにしか集中しないんです。

水泳、トライアスロン、卓球、ヨット、カヌーなどの競技に連絡する中で出会ったのが、陸上の走高跳びとスノーボードクロス(規定のコースを複数人で滑り、着順を争う種目)でした。

 

今は平昌パラリンピックを目指してやっているそうですね。

平昌ではバンクドスラロームというタイムアタックとクロスの両方に出たいと思っています。前者の方が1人でやるので今までやってきたことに近いですね。クロスはより気持ちで負けないことが大切になってきますし、コースに依存する部分もあります。僕は大きいカーブがあるコースより、直線的な方が得意です。