選手経験があったからこそ見えた現実。パラアスリートの意識改革を実現するには

2017.06.23 河合晴香

写真提供:日本ゴールボール協会

5月11日、東京港区のNielsen Sportsで「障がい者スポーツ・スポンサーセミナー」が開催された。本セミナーでは、2008年北京パラリンピックに出場したゴールボール元日本代表の高田朋枝氏と、ニールセンスポーツコンサル部門に所属するニック・ブルース氏による講演が行われた。このイベントが行われた日は“Nielsen Global Impact Day”と題されたもので、「ニールセンの従業員がある1日に世界中で社会貢献活動をおこなう催しで、個々人の情熱や技能、経験に応じて、社外へもすばらしいインパクトを与えることを期待する」(当社より)ことを目的にゲストを招いて開催されるものだ。

普段はなかなか耳にすることができないパラアスリートからの生の声を聞くとともに、日本と海外との障がい者スポーツの捉え方の違いについても学び、2020年に向けてパラスポーツへの理解を深めることができる貴重な機会となった。

イベントの前半では、およそ40分にわたり高田氏が自らの半生について語った。ゴールボールに出会った背景から2020年に向けた意気込みまで、スポーツを通じて社会の変化を感じてきた高田氏の話に、聴衆たちは真剣な眼差しを向けた。

「目が見えない」ゴールボールが教えてくれた、自分自身の可能性

スピーカーとして登壇した高田朋枝氏はゴールボール選手で、現在は日本パラリンピアンズ協会理事を務めている。生まれつき目に障害があり、5歳の時の視力は0.1。その後徐々に低下していった。小学校では、体育の時間にバスケットボールのボールがよく見えず、「危ないから」という理由で見学したことも多かったという。体調が悪いわけでもない、ただ目が悪いというだけにも関わらず、皆と同じことをできないという環境に違和感を抱いていた。

小学校時代の経験から球技が嫌いになった高田氏だったが、進学した盲学校でゴールボールに出会う。初めてゴールボールを知り「見えなくてもできるスポーツってあるんだ、と感動しました」と振り返った。

ゴールボールは、視覚障がい者が行うパラスポーツだ。アイシェード(目隠し)をした状態で行うので、視力の良し悪しに関わらず前方が全く見えなくなるため、皆が同じ状況に置かれることになる。1チーム3人で、相手側のゴールにボールを投げ入れることで点数を競う。使用するボールの中には鈴が入っているため、選手は音を頼りにボールを探し、攻防戦を繰り広げる。

目が見えなくでも工夫次第でなんだってできるゴールボールの魅力に惹かれ、彼女の人生における視野はぐんと広がった。

大学時代もゴールボールを続けていたが、ふと「自分には何かに打ち込んだ経験がない」と感じたと彼女は振り返る。“目が見えない”ということが知らず知らずのうちにコンプレックスとなり、自分から“挑戦する”という選択肢を奪っていたのかもしれない、と考えたのだ。だがその時、傍らにはゴールボールがあった。大学4年生時に「自分の好きなことを、人生をかけて全力でやってみよう」と決意した高田氏は、自己成長のために北京パラリンピックを目指すことにした。

写真提供:日本ゴールボール協会

自分のための2008年、社会のための2020年

結果的に高田氏は北京パラリンピック出場を果たしたのだが、そこに新たな出会いがあった。大会を通じて多くの外国人選手と友好を深めたのである。そして2010年、彼女は欧米10カ国を1人で周ることにした。目的は海外のゴールボールチームを視察すること、そして1人で海外へ行きたいという、長年の目標にチャレンジすることだった。各国のゴールボール仲間に支えられながら、1年間に渡る“挑戦”は無事に終わった。そして、日本に戻った高田氏には「ゴールボールを広めたい」という強い想いが芽生える。目隠しさえすれば誰にでもできるスポーツだということ、そしてそれを通じて成長できたのが今の自分であるということを、身にしみて感じた。自分のためのゴールボールから、ゴールボールのための自分へ−−−。ゴールボールに恩返しをしたいと思い、高田氏は選手を引退し、日本スポーツ振興センターへ活動の場所を移すことになった。そこで初めてスポーツの裏方に立った彼女は、選手がいかに多くの人々に支えられているのかということに気づいたと言う。選手時代には見えなかった世界を知ったことで、また一段と視野は広くなった。

ただ、選手を支える立場に身を置いた高田氏は、徐々に違和感を覚えはじめた。振興センターのような「裏方」が思い描く競技の現場と、選手として肌で感じた実際の現場にギャップを感じるようになったのだ。

「その当時は今よりも、パラリンピックそのものの注目度が低かった。選手の分母も少なくて、そえゆえの甘さが選手にもあったんです。でも甘さがあるっていうことに、選手の人たちは気がついていない。自分たちの置かれている環境の中で全力でやっていた、という感じで。でもそれは、実業団やオリンピックに比べると甘い考えだなと思いました」

現場にいる選手の中には、自分が多くの人に支えられている立場だということにも気づいていない人もいる。それゆえに、自らがアスリートであるという自覚を持っていない。日本スポーツ振興センターでの経験のある高田氏だからこそ“見えた”現実であった。そこから高田氏は“選手である以上、社会に貢献するべき”という強い意識を持つようになった。「まだまだその意識がパラアスリートの中に浸透しきれていないのであれば、自分が率先して実現していこう」と考えた彼女は、2度目のパラリンピックを目指し選手復帰を決めた。

「パラリンピックの扱いが変わってきている」と高田氏は言う。パラスポーツ自体が多くのメディアで取り上げられるようになり、選手のレベルも上がってきている現状がある。様々な側面から見て日本のパラスポーツが発展の過渡期にある今、2020年のオリンピック・パラリンピックの招致が決まったことは、日本の社会を変えられるチャンスだと彼女は捉えている。

「パラリンピックを通して、“障がい”ではなく“多様性”の一つとして捉えられるような社会になること」

これが彼女の理想とする社会の姿でもある。そのために、まず自分が選手として自身の可能性を証明したい。そう考えて歩みを踏み出した高田朋枝は、2020年、私たちにどんな世界を見せてくれるのだろうか。