「スピードで勝つ」。INAC神戸・安本卓史社長が語るクラブの在り方
かつて女子1部リーグ3連覇を果たしたINAC神戸レオネッサ。2021年からは女子サッカープロリーグ「WEリーグ」への参入も決まっています。安本卓史社長は、女子サッカーをビジネスにするために、クラブをどのように変革していくのでしょうか。
「試合後に最も情報発信が早いのが、ナホ(川澄奈穂美)でした。彼女がいなければ、このクラブは終わっていたと思います」
なでしこジャパンの選手を数多く擁し、2011年〜2013年には女子1部リーグ3連覇を果たしたINAC神戸レオネッサ(以下、INAC)。2021年からは日本初の女子サッカープロリーグ「WEリーグ」への参入も決まっており、男子のヴィッセル神戸(以下、ヴィッセル)とともに、サッカーで神戸の街を盛り上げています。
同クラブ取締役社長の安本卓史氏は、ヴィッセルで常務取締役事業本部長を務めたのち、2018年10月に現職へ就任。女子サッカーをビジネスにするために、強豪・INACをどのように変革していくのでしょうか。
クラブ全体に「We Are INAC」を植え付ける
私は2018年10月、INACの社長に就任しました。前職ではヴィッセルの常務を務めていたので、同じ神戸を本拠地としているINACの動向は見ていました。INACは、日本女子サッカー界で数々のタイトルを獲得していて、なでしこジャパンの選手も多い強豪です。
ただ、クラブの内部を見ると、プロフェッショナルとは言えませんでした。
私が就任する以前に観戦に行った時は、試合終了後のファンイベントを開催する際にクラブの準備が遅く、ファンが10分くらい待ちぼうけ状態になることがありました。当時は川澄奈穂美がキャプテンで、彼女のトークで持たせるような形になっていて。温かいファンが、それでも見守っていたのが印象的でした。
情報発信に関しても、スピード感がなかったように思います。試合後の結果や監督コメントを出すのが、非常に遅かったです。本来はファンがスタジアムから帰っている時や、帰った後にすぐ確認できるのがベストですが、ファンの熱量が下がったタイミング(1〜2日後)で出してしまっていましたね。試合後に最も情報発信が早いのが、ナホ(川澄奈穂美)でした。彼女がいなければ、このクラブは終わっていたと思います。
まずは、クラブ全体に「We Are INAC」という意識を植え付けること。「I am INAC」も大切ですが、自分だけでは△です。あくまでも、クラブ全員が同じマインドを持つこと。
私は選手やスタッフに対して、外から見て感じたことを伝えていきました。SNSの運用も見直して、飽和状態だったTwitterを活発化。コアファンの年齢層が高いので、情報がしっかりと届くように、2020年10月からはFacebookも始めました。Instagramも1万フォロワーを目指してスタートし、すでに達成できています。
とにかく、クラブをどのように見てもらえるかが重要なんです。今はホームゲームでは、オフィシャルのカメラマン以外に、「現場でカメラを学びたい」というアート系の学生さんも撮影しています。素晴らしい写真を撮ってくれるので、オフィシャルで採用することもあります。見せ方を工夫して、写真を見た方に「生で観てみたい」と思わせたら、ある意味で勝ちですから。
女子サッカーをビジネスにする上で、一番難しいのは「数」です。J1クラブと比べると、私たちは収益も観客数も10分の1ほど。今はスポンサーの獲得に力を入れていますが、観客数もアプローチ次第で伸ばせると思います。
ホームゲームは、小中学生、女子高生、女子大生を対象に無料招待を行っています。これはガールズアワード(日本最大級のファッション&音楽イベント)から学んだことですが、可愛いモデルやタレントを観に来るのは、実は女の子。選手からしても、もっと若い世代の女子にプレーを観てほしいと願っています。
三木谷さんに指名されてヴィッセルへ
私は小学4年から野球を始めて、曲がりなりにもプロを目指していました。近畿大学附属高校に進学して、3年次にはチームが春の甲子園で優勝。私はメンバーには入れなかったですし、トップレベルを痛感したので、プロの道は夢に終わりました。その後は近畿大学に進学し、野球部には入らずに、ボーイズリーグ(日本少年野球連盟)で中学生を指導。卒業後は、広告関係の仕事に就職しました。
テレビCMなどを手掛ける機会にも恵まれた後に、IT関係の会社に転職。その会社を楽天が買収したことによって、2002年から楽天の一員になりました。しばらくは広告事業の仕事をしましたが、ゴルフの有名な指導者の方々とお付き合いがあって、素人ながらゴルフを教わっていました。
見よう見まねで練習していくうちに、競技の沼にハマってしまい、ゴルフ事業をやりたいなと。当時繋がりがあった楽天の武田和徳さん(現・副社長執行役員/コマースカンパニー プレジデント)に頼み込んで、楽天GORAへの異動が決まりました。
ただ当時のゴルフ事業は、ゴルフ場への送客がかなり伸びていたので、私が取ってくる広告はあまり役に立たないと言われて。「せっかく取ってきたのに……」という気持ちもあって、良い社員とは言えませんでしたね。
その後は楽天チケットに異動して、テニスのトーナメントに従事。ラッキーなことに、最初の仕事が楽天ジャパンオープンで、ラファエル・ナダルとアンディ・マレーの決勝を間近で見られました。その様子を撮影して、楽天チケットのTwitterに投稿したところ、一気にフォロワーが増えましたね。
翌年にはテニス協会の方から、ジャパンオープンの実行委員に入ってほしいと言われました。それが3年続いて、3年目の時に錦織圭選手が初優勝。テニス事業にはかなり恵まれました。チケットも一番近い席は10万円くらいするのに、高い席から売れていくんです。錦織選手が優勝して、「来年はさらに値上げをするか、客席を増やすか……」と話していた時に、ヴィッセルへの異動の話が出てきました。
ヴィッセルは、楽天と出会った2004年からお手伝いをしていました。三木谷浩史さん(楽天株式会社代表取締役社長兼会長)に「なぜ私が必要なのか」と聞いたら、「サッカーをしていた人がサッカーの仕事に就くと、考え方が偏ってしまう。だから、野球の考え方や文化をサッカーに持ち込んでこい」と。
そして、2013年にヴィッセルへ異動。クラブは前年にJ2へ降格してしまっていて、周囲は「J2で仕事か……」という雰囲気でしたが、私は良い勉強になるのではないかと考えていました。J2のクラブが必死で運営している姿を見れば、自分たちがどれだけ恵まれていたかを再確認できて、J1に復帰した時にもっと良い仕事ができるのではないかと。
1年で復帰を決めたこの年、私は試合に出られない選手に対して、積極的にコミュニケーションを取っていました。鹿島アントラーズや今年の川崎フロンターレを見ると、出られない選手も含めて、チームが一つにまとまっているんです。特に鹿島はそういった文化が昔からあるので、“常勝軍団”としてタイトルを獲り続けています。
J2時代は、スローガンもシンプルに「Return to J1」としました。ヴィッセルがJ2にいるということを神戸市民に知ってもらい、J1に戻れるように応援してもらおうと。アウェイでのゲームでは、ゴール裏に行って、サポーターの皆さんと一緒に応援したことが何回もありました。
約5年間ヴィッセルで勤務した後、人事異動で楽天に戻ることになりました。ただ、そこでの仕事の面白さは見出せず、「1年でヴィッセルに戻れなければ辞めよう」と思っていました。そうして仕事を進めていくうちに、「INACで社長をやってくれないか」という話が出てきたんです。
女子サッカーをビジネスにするための見せ方
新型コロナウイルスの影響は、やはり大きかったです。緊急事態宣言が出てからは、クラブとしては練習がしたくても、世間的には問題視されてしまいます。そんな時に、当時アメリカのクラブでプレーしていたナホから、「INACが一番に活動を止めてください」と連絡がありました。アメリカでは全クラブが活動を止めているし、日本女子サッカー界でINACが先陣を切るべきだと。その言葉もあって、私たちは活動を完全休止しました。
スポンサー様からも支援休止や減額などの要望がありましたし、活動再開後は観客席も全席指定にせざるを得ませんでした。ただ、最初は席の間隔が狭くて、密ではないかとの指摘があって。それ以降は3席の間隔を空けています。
2021年にWEリーグの開幕も控えている中で、女子サッカーをよりビジネス化していくためには、観客数を増やすことが重要です。最近ではスポンサー様に対して「支援額は、一般層や未来のWEリーガーの招待に使わせていただきます」と伝えています。
スポンサー様のCSRにも繋がっていきますし、観客を増やすために、まずは女子サッカーを“見せる”ことが必要だと。私たちをモデルに、これがリーグ全体の最低基準になれば良いと思っています。
WEリーグの岡島喜久子チェアに対しては、「日曜をWEリーグの日にして、小学校の大会を土曜や日曜午前にしてほしい」と要望しました。そうすれば、小学生が試合を観に来られるので。アメリカのリーグでは、ほとんどの試合がナイトゲームで、子供たちは日中に試合をしてから観に来るそうです。日本もどこかで文化形成にギアを入れないと、現状が打破できないと思います。
市内の小学校に対しても、消毒液を提供したり、夏にうちわを配布したりと、様々な形でアプローチしています。うちわはスポンサー様との協賛で作ったものですが、スポンサー側にとっても、学校で配られるのが一番嬉しいんです。学校側も「下敷きで仰ぐ子が多かったので助かります」と仰っていました。
コロナ禍でできることとして、発信には力を入れてきました。自粛期間中は、J1のどのクラブよりも露出が多かったと思います。ただ、選手の発信力はもっと高められると思いますし、ファンクラブの在り方も変えていきたいです。
2020シーズンは、10月18日のベレーザ戦の前に発信が多かったと思うのですが、あれは「リツイートよりも、自分たちの言葉で言ってほしい」と頼みました。選手たちはクラブのために協力してくれましたが、まだまだ習慣化はされていません。「負けた時は何も言いたくない」という選手もいますが、試合を観てもらってなんぼの世界なので。
クラブの理念を浸透させるのは難しいことですが、スクールやアカデミーも含めて全員が意識するべきだと考えています。そうしなければ、掴みたいものも掴めない。過去の栄光にしがみつくのではなく、過去に打ち勝っていく必要があります。
「スピードで勝つ」という表現をした時に、選手は足の速さを思い浮かべたのですが、ここでいうスピードとは、問題解決、判断、そして物事をやり遂げる速さのことです。何か問題が起きたら、すぐに言うべきで、例えば爆弾の導火線の残り1cmくらいで言われても、どうしようもできません。
これはどのビジネスでも大事ですが、こういったシンプルなことを愚直にやり続けることが、日本女子サッカー界には求められていると思います。