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怪物ドラ1候補から、特大アーチを放った1年生・中沢航介

2016.10.06 / 荒井 隆一

中沢航介

夏の風物詩である”甲子園”こと全国高等学校野球選手権大会。今年は作新学院の優勝で幕を閉じたが、彼ら以外にも大会を盛り上げた様々な選手がいた。1つ1つの試合に生まれるドラマが人々の心を打ち、それこそがこの大会が支持されている理由でもあるだろう。

そして、2018年は記念すべき100回目の甲子園が行われる年。これまで以上に盛り上がることが期待されると同時に、出場する選手にも注目が集まることは確か。現在の1年生はその”100回目の夏の甲子園”で3年生、チームの中心となる。少し気が早いかもしれないが、今回よりスタートする本企画では再来年の夏に輝くであろう、注目の1年生を紹介していく。第1回目は二松学舎大学附属高校の中沢航介選手に迫る。

タレント軍団の中で輝く1年生

二松学舎大学附属は夏の東東京大会で幾度も決勝に進出したことのある、言わずと知れた強豪校。しかし毎年あと一歩のところで夏の甲子園への切符を逃し、涙を飲んできた。そんな中2014年に初めて夏の甲子園に出場するなど「ここ数年で強くなった」という声が多く、今のチームには個々のポテンシャルの高い選手が揃っている。そんなタレント軍団の中で、中沢は1年生ながらもクリーンナップの一角に座り、春の練習試合では、横浜高校・藤平尚真投手から特大アーチを放った。

横浜・藤平から放ったホームランは「たまたま」

中沢はこの春、練習試合で横浜高校と対戦した際に「練習の雰囲気とか、オーラが違う。本当に強いチームというものがわかった」と強い衝撃を受けたと言う。横浜高校といえば、過去幾度も夏の甲子園で優勝しており、今年の夏も圧倒的な強さで神奈川大会を優勝し甲子園に出場している。中沢がそう感じるのも無理はない。だが中沢は臆することはなかった。この日は、ドラ1候補として注目を浴びている藤平が登板。その藤平のストレートを見事にとらえ特大ホームランを打ったのだ。「たまたまです、まぐれです」。本人はそう謙遜したが、まぐれで特大の当たりは放てない。紛れもなく実力で放った一発だ。

幼少期、高校球児だった父親の影響で野球を始め、最初はピッチャーとして活躍したが、小学生の頃に外野手へ転向。6年生の時には、毎年関東圏から400〜600人が集まり最終的に18人に絞られるスワローズジュニアに選出された。「上には上がいるということを知り、ここから自分を見直すきっかけになった」と当時の事をこう振り返るが、まだ中学生に上がってもいない段階で“上”の世界を見られたことが、彼にとって非常に大きかった。

中学に上がってからは、部活には入らず、大人と同じ硬球を扱うボーイズに所属し、火、木、土、日の週4日練習を行っていた。今のプロ野球選手は中学時代に部活に入らずシニア・ボーイズに所属している人が多いのだが、硬式、軟式以外にも野球経験が豊富な監督がいるなど練習の質などが高いのが主な理由となっている。

中沢航介

二松学舎を選んだ理由は「フルスイング」

いくつもの高校からスカウトを受け、その中には強豪校が多く存在する地元・埼玉の高校からもあったはずだ。そんな中で、最終的に二松学舎を選んだのは、試合を見に行った時にある光景を見たからだった。「全員がフルスイングをしていたのが印象的で、このユニフォームを着てやりたいと思った」。フルスイングが信条の中沢にはその光景がたまらなく見えたのであろう。

実家から学校までは通えない距離であるため、中沢は現在、寮生活をしている。その中で彼が二松学舎に入って最も驚いたのは食事の量だ。「もともと食べる方だったんですけど、大盛りのラーメンが3杯もあって、さすがに驚いた(笑)。今では全然食べられるようになりましたけどね」と食事も体を大きくするための練習の一環ということが分かった。

親元から離れ、寮に入る際は「覚悟を持ってやれ」と両親から言われ、その言葉は日々忘れないようにしているという。まだ高校生活が始まって半年も経ってはいないが「毎日毎日練習があるので、中学と比べると伸びている」と本人は成長に手応えを感じていた。

中沢航介

同世代は常に刺激、対戦したい相手は大阪桐蔭の根尾昴

「自分たちの世代は本当に上手い選手が集まっていて、常にチェックしています」と同世代の選手の活躍を気にしているようで、横浜高校と対戦した際には「万波(中生)のあの飛距離には勝てないなと感じた」という。他にも大阪桐蔭の藤原恭大とはNPB12球団ジュニアトーナメントで会ったことがあるなど、小学生の頃から知る仲で、「あいつには負けたくない」と並々ならぬ思いがあった。その中で同じく大阪桐蔭の根尾昴投手と対戦したいと話し、同世代の中でも注目を浴びるピッチャーにスラッガーとして甲子園の舞台で戦うことを約束した。

9月10日、3年生が引退し始めての公式戦となる秋季東京大会一次予選の一回戦の試合で中沢は1年生でありながら一桁の背番号「9」を背負い元気よくキャッチボールやバッティングを行っていた。しかし試合が始まると中沢の名前はなかった。試合は8対0の7回コールドで二松学舎の勝利で終了。結局中沢が出ることはなかった。「気の緩みというか、そういうのがあった。現実は甘くない」と今自身が置かれている立場についてこう話したが、このように中沢の口からはほぼ全ての質問に対して「まだまだ」や「全然」という言葉が常にあり、慢心する様子は伺えなかったことも印象深い。

秋の大会が終われば冬は体を追い込む季節となる。「バッティングの波があるので、安定した形を続けられれば」と口にするが、特に技術面での強さを強化したいという。そして甲子園の舞台に立ったその先の目標としてプロの二文字を口にした。「目標はやっぱりそう(プロ)ですね。もう引退してしまったんですけど松井(秀喜)選手は憧れです」と力強く答えてくれた。同じ左のスラッガーとして松井の名を挙げただけでなく、メジャーについての憧れをも口にする。日本のプロ野球会において左の大砲というのは非常に貴重な存在だ。100回目の夏の甲子園。スタンドにアーチを描く彼の姿に期待したい。