Jクラブの下部組織でも実践。椎名純代が語る目標設定の重要性

2018.06.25 島田 佳代子

「高校1年生の時にサッカー部のマネージャーをやっていましたが、隣町の高校に、練習試合だと勝てるのに、公式戦だと必ず負けてしまうことを不思議に思っていました。高校2年生の時に入部したバレー部では、レギュラー組と補欠組の仲介役になりました。その実体験からスポーツはただスポーツだけをやっていればいいわけではないことを知りました」

(椎名 純代)

 

今でこそ、アスリートが取り入れるメンタルスキルトレーニングやスポーツ心理学という言葉はよく聞きますが、椎名さんが学生だった頃は、日本ではまだ知られていない分野でした。そこで、高校生の時に部活で感じていた疑問を解決するために、持ち前の探求心と行動力で、本場アメリカで学ぶことを決意します。

 

とはいえ、アメリカへ渡ったからといって、すぐにスポーツ心理学を学べるわけではありません。やっとスポーツ心理学を学ぶことができて、このままアメリカに残りたいと思っていた矢先に、同時多発テロ事件が起こり、外国人への風当たりが強くなってしまいます。

 

このような体験から、物事を決めたり、目標を立てたりするには自ら期限を設定して動くことの重要性も学びます。これらの経験を活かし、日本へ帰国後はJリーグの新人研修、日本オリンピック委員会、川崎フロンターレなどで目標設定の研修を担当。現在はラグビートップリーグのクボタスピアーズで通訳兼ライフスキルカウンセラーとして活動されている椎名純代さんにスポーツ界へ進んだ経緯をお聞きしました。

 

スポーツ心理学を志した原体験

私は高校1年生の時にサッカー部のマネージャーをやっていたのですが、例えば隣町の高校と練習試合では勝てるのに、公式戦になると必ず負けてしまうようなことがありました。技術面、能力ですごく差があるわけではないのに、どうしてだろうと不思議に思いました。

その後、高校2年生のとき、運動音痴ながらも清水の舞台から飛び降りる気持ちでバレー部に入部しました。私は部内で初心者だったこともありレギュラー組と補欠組の両方の話を聞くような立場でした。そこで思ったのが、「双方がうまくコミュニケーションを取ることができたらチームが強くなるんじゃないかな」ということです。

これら2つの経験から、こういったスポーツにおける心理面を仕事としてできないのか。そのためには海外へ留学した方がよいのかなと漠然と考えるようになりました。その後、留学をするにしても日本では短大へは行った方が良いとの両親からの勧めもあり短大へ進学しました。その短大の体育の先生が偶然メンタル的なことを授業に取り入れている方で、どこで勉強するのが良いかを聞いたら“アメリカ”だと。そこで短大卒業後は留学をするつもりで、バイトを3つ掛け持ちしていたので、卒業後に渡米することにしました。

 

9.11で感じた“外国人”への風当たり

短大の姉妹校がアメリカのユタ州のオレムにあったので、最初はそこのESL(English as a Second Language、英語を母国語としない人向けのコース)に通いました。その後は、コミュニティカレッジ(公立の2年制の大学)へ通い、そこから心理学を学ぶために州立ユタ大学に編入しました。スポーツ心理学を学部生でも専攻できると思っていたのですが、大学院へ行かないとダメだと言われてしまったんです。

学部では心理学を2年専攻し、その後進んだマサチューセッツ州にあるスプリングフィールド大学大学院でようやくスポーツ心理学を本格的に学ぶことができました。アメリカへ渡ってからそこへ辿り着くまでは長かったですね。コミュニティカレッジでは日本人が多かったのですが、ユタ大学にはほとんどいませんでした。心理学の授業では、学生が100人くらいいても、日本人、アジア人らしき学生は1人か2人。読まなければいけない文献が多いのですが、当時は電子辞書もないので、分厚い和英と英和2冊持って授業に臨んでいました。ですが、心理学の病気に関わる専門用語は載っていないので、もうパニックでしたね。教室の中でアジア人らしき人を見つけては、授業の後に「一緒に勉強してくれませんか。お願いします」と声を掛けていました。本を読んでレポート、また読んでレポートと、とにかくその量が多いので、いつも図書館で泣きながらやっていました。そのお陰で大学院へ入る頃には読むことに関してはだいぶ分かるようになりました。

 

大学院卒業後はアメリカに残りたいと考えていました。ところが、卒業の年にアメリカ同時多発テロ事件が起こり、外国人への風当たりもきつくなっていったんですね。そこで、自分で期限を決めて、その時までに仕事が決まらなければ帰国しようと。結局フルタイムの仕事は決まらず、日本へ戻ることにしました。アメリカにはトータル9年弱いました。

 

ほぼ野宿の中で経験したインターン

日本へ帰国する前に「冒険(アドベンチャー)教育」を行う会社でインターンシップを経験しました。冒険教育というのはアメリカの教育者や心理学者によって開発された、野外での冒険を通じて他者との協力、信頼関係の構築、自分自身やチームの成長を促すことを目的としたプログラムです。大学院で学んだことは主にマンツーマンの関係でした。そのため、複数になったときはどう対応したら良いか、また冒険教育であればグループ全体に働きかけができることに興味を持ったんですね。これをカウンセリングと合わせて使うと、ものすごくパワフルになるのではないかと思い、インターンで学びたいと考えたんです。

冒険教育では、日本でいうアスレッチックのようなものをします。例えば、ヘルメットをして高いところからジャンプをするのですが、命綱を支えるのはインストラクターではなく、仲間、チームメイトです。仲間に命を預けるという心の冒険の疑似体験をするんです。もちろん、いきなりそれをやるのではなく、それまでに地上で信頼関係を築くアクティビティをやり、信頼関係を築いてから行います。一般の学校の小学校4年生くらいのお子さんたちから、企業研修など、様々な団体が来ていましたね。冒険教育の手法は日本でもJリーグなどのチームスポーツで取り入れられていますし、私自身川崎フロンターレのジュニアでアスレティックカウンセラーをしていた時には、このインターンで学んだ要素をプログラムに取り入れていました。

 

今振り返ってみると、私のインターン自体も冒険でした。日本であれば自分で手配する必要がある事を事前に連絡してくれると思いますが、アメリカはそういったことがありません。私も甘かったと思うのですが、インターン先へ行くと住む場所も何も用意されておらず、困っていたところ、「ここにテント張って寝ればいいよ」と言われました。テントを張ったことはありませんでしたし、そこは野生動物が多く生息する自然保護区だったのでとても不安でしたが、近所にあったアウトドア用品のお店に行ってテントとコンロなど、一通り買い揃えてなんとかインターンをはじめました。

 

インターンは1か月の予定でしたが、1週間やって「もう無理!」とテントを畳んで帰ろうとした日に、ちょうど近所に空き部屋が出たんですね。これは続けろというサインだと思い、1か月やり切りました。