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天野春果が目指す、オリ・パラの変革。「日本ならでは、を生み出したい」

2018.12.03 / 竹中 玲央奈

天野春果。サッカーJ1・川崎のプロモーション部部長として名物企画を生み出してきた人物。2017年度より東京五輪・パラリンピックの組織委員会に参画、活躍の舞台を五輪組織委に移した。Jリーグクラブとオリンピックとの違い、モチベーションの背景について伺った。

天野春果氏

天野春果(あまの・はるか)氏。J1・川崎フロンターレのプロモーション部部長として、様々な“名物企画”を生み出してきた天野氏を、スポーツ業界で知らない方はいないでしょう。

バイタリティと実行力で、幾度も大きな話題を作ってきた天野氏。2016年度いっぱいでその役目に一旦ピリオドをうち、2017年度より東京五輪・パラリンピックの組織委員会に参画しています。

天野氏の組織委員会での実績の1つとして、2018年3月に「東京2020算数ドリル」の製作が発表されましたが、これは彼がフロンターレ時代に企画した「フロンターレ算数ドリル」が基盤となっています。

彼はなぜ、組織委員会の一員として大会を盛り上げることになったのでしょうか。その背景にあるアトランタ大会の経験と、組織委員会での活動に迫りました。

 

オリパラ組織委員会とフロンターレの構造の違い

2017年4月から、東京五輪・パラリンピック組織委員会に参画しました。それから1年半以上が経過して感じたことは、人とお金と時間が足りないということ。それをどう乗り越えるかを考えないと出来ないことが多いんです。それらの課題をいかに打破していくかということを考えて日々努力しています。

スポーツ業界において一番大切なことは“熱量"だと思っています。川崎フロンターレは今でこそ強豪クラブへと上り詰めましたが、昔は潤沢な資金があるわけでもなく、クラブスタッフも多いわけではありませんでした。

それでも、フロンターレのスタッフ全員がスポーツの持つ力を信じていていました。「サッカーで街を元気にしたい」「仲間を増やしていきたい」という想いを抱いていました。その熱量が、周囲のステークホルダーや、サポーターの皆さんにも伝達して良い循環が生まれたと言えます。

フロンターレと異なり、オリパラの組織委員会は大会後に解散します。メンバーは様々な企業から参画しており、短期間では意識を合わせることも、生涯に一度かもしれない自国開催の五輪・パラリンピックで最高のものを作ろうと一致団結することはなかなか難しいんです。

同じようにスポーツを扱っていても、フロンターレとは団体の形成が全く違うので、仕方のないことです。環境に合ったやり方を考えていかなければなりません。

フロンターレのプロモ部で活動していた時よりも、組織委員会ではさらに自分の発信力が必要です。強い意志を貫いていかないといけません。そうでないと形にできないということは強く感じています。

厳しい環境の中でも、自分の考えや大事にしていることは周囲に伝えていかなければなりません。組織委員会の中で訴えることも重要ですが、外に対しても発信していく必要があります。そうすることでスポンサーの獲得にも繋がります。短期間でどのように組織委員会の活動に周囲を巻き込んでいくか、入念にプランを練らなければなりません。

東京2020組織委員会は、フロンターレの時と比べると、1つの意見を通すのに100倍くらいの工数がかかります。そもそもオリンピックとパラリンピックでは組織が違いますし、アスリートの種類も違います。同じ時期に開催しているものの、全く性質が異なる世界大会なんですよ。

それでも厳しい環境の中で両立していかなければならないことを考えると、時間が足りなくなります。ゼロからネットワークを作り、賛同者を集めていくとなると間に合いませんので、自分がもともと持っている武器を発展させていく必要が出てきます。

 

天野春果氏

算数ドリルがオリパラと相性の良い理由

フロンターレでは算数ドリルを作ったり、スタジアムでバナナを売ったり、シーズンオフの仕掛けに銭湯を使ったり……サッカークラブらしからぬことをしてきました。まずはその企画を並べて、どれなら五輪とパラリンピックにも汎用できるか、どのように発展させたら面白いことができるかを考えたんです。

フロンターレで行なった(※)バナナの施策でいえば、五輪のオフィシャルパートナーの商品でないと展開しづらい部分があります。フルーツに広げても、同じことが言えます。そこで浮かび上がったのが、“算数ドリル”と“宇宙”です。

(※)川崎フロンターレのスペシャルサプライヤーである株式会社ドールの協力のもと、「かわさき応援バナナ」というブランドを立ち上げた。川崎市内の量販店で展開し、1パック(1房)の販売につき3円がチームに寄付される。

宇宙分野に繋がりを持つ人は組織委員会にはいなかったので、これは可能性があると感じました。そうして実現したのが、JAXAと『宇宙兄弟』とのコラボ企画「(※)宇宙から東京2020エール」です。

(※)漫画『宇宙兄弟』の作者・小山宙哉氏が制作した「東京2020応援パラパラ漫画」を用いて、宇宙空間でパラパラ漫画はパラパラするのか、JAXA宇宙飛行士・金井宣茂さんが実証実験する企画https://participation.tokyo2020.jp/jp/oneteam/07_01.html

 

東京2020算数ドリル

そして、算数ドリル。一般的に学習ドリルは、上下巻に分かれている特徴があります。そこで「半分をオリンピック、残り半分をパラリンピックに分けて打ち出せるのでは」と考えたんです。半々で攻めるという切り口で考えた時に、算数ドリルは現実的であることが分かりました。

オリンピックとパラリンピックを掛け合わせると、今までは8:2、あるいは9:1の割合でオリンピックが勝ってしまっていました。そこがネックになっていたので、半々、もしくはパラリンピックのほうが厚いくらいにしたかったんです。

ただ、オリンピックは33競技、パラリンピックは22競技あります。私が今まで取り扱っていたのはサッカーの1競技のみで、そこから一気に競技数が55倍になりますし、種目数でいえば数100種目あります。

フロンターレの場合はサッカーのみを扱えば良いのですが、オリパラの場合は様々な競技があるので、1ページに1競技以上は出てくるようにしました。めくって勉強していけば、東京2020大会の競技が必ず出てきて、尚かつその競技がどこで行われるのかが分かるようになっていきます。私もパラリンピックの22競技をすぐには言えなかったのですが、これを使えば勉強しながら各競技のことを知ることができます。

東京2020算数ドリルで勉強する小学生

Photo by Tokyo 2020 / Uta MUKUO

東京2020算数ドリルの実践授業

Photo by Tokyo 2020 / Uta MUKUO
10月22日には渋谷区の小学校でドリルの実践授業が行われた。

仮にパラリンピックの22競技が言えたとしても、どんな競技なのかを説明することは難しいでしょう。

例えばパラリンピックの柔道は四肢切断者ではなく、視覚障がい者が対象です。サッカーでいえばブラインドサッカーであって、アンプティサッカーではありません。柔道がパラリンピックの競技にあることを知っていても、視覚障がい者が対象ということまでは知らない人もいると思います。

そう考えていくと、「パラリンピックに選ばれていない障がい者スポーツもたくさんある」「その中からかなり厳選されている」と分かるようになります。

直接的にパラリンピックを勉強するより、算数を勉強しながら視覚的にパラリンピックのことも覚えるほうが効率は良いでしょう。そのような教材は今までありませんでした。

やはり、スポーツは楽しんで見てほしいです。それはアスリートも望んでいることです。プレー中の表情だけでなく、算数ドリルを通して普段の素の表情も見てもらったほうが、頭にスッと入ってきます。このことはフロンターレでも感じましたし、実績も出せていたので、五輪・パラリンピックでも通用するという自信はありました。

天野春果氏

 

アトランタ大会の経験なくして、今の自分はなかった

実は、私は1996年のアトランタ大会にボランティアとして参加した経験があります。当時はアメリカに留学していて、西海岸のワシントン州に住んでいたので、東海岸のアトランタは対極の位置にありました。それでも、スポーツに関わる人間として、国際大会に関わることは必ず将来に活きるだろうと思って応募しました。

ボランティアは今みたいにネットでの募集ではないので、郵送でのやり取りで大変ではありましたが、本当に参加して良かったと思っています。その体験がなければ、私は今ここにいなかったはずです。

そのときにとても印象に残っていることがあるんです。パラリンピックの開催期間中には、多くの子供たちが会場で選手にサインをせがんでいるんですよ。競技によってはガラガラの会場もありましたが、笑顔でサインをもらう子どもたちの姿が今でも印象に残っています。

1996年のアトランタ五輪・パラリンピックの写真

 

パラリンピックを通して、障がい者に対する考え方の変革を

正直、算数ドリルを作るのはものすごく大変でした。何度も心が折れかけましたし、フロンターレでは経験したことがないくらいの苦労がありました。

それでも、アトランタのパラリンピックで見た、子どもたちが笑顔でサインをもらう光景を自分の手で作りたいという想いがあったからこそ、ここまで続けてくることができました。

フロンターレの時も最初は観客席はガラガラでしたが、徐々に観客が増えていって、このチームに入りたいと思ってくれる選手が増えていきました。それと同じように、私たちが多くの人にパラリンピックの魅力を伝えて、会場に足を運んでもらうことができれば、日本の障害者スポーツの発展に必ず繋がっていきます。

私は組織委員会のイノベーション推進室という部署に属しています。名前だけ聞くと、テクノロジーに関することをやるように思いがちですが、革新的な“ありそうでなかったもの”を作るという組織です。

もちろん最先端なテクノロジーはあって然るべきではあります。ただ、それとは一味違ったこういうものもあると尚良い、ということを提案できるのが私の強みだと考えています。

どうしてもロンドン大会やリオ大会と比べてみても、今回の組織委員会から出てくる大会を盛り上げるためのアイディアは、今までと似通ってしまいがちです。その中でも(※)「都市鉱山から作る!みんなのメダルプロジェクト」のようなアイディアは素晴らしいと思いますし、日本ならではのやり方を生み出すことの重要性を伝えていくことは大切です。

(※)2020年東京五輪・パラリンピックにおける約5000個の金・銀・銅メダルを、全国各地から集めた小型家電・リサイクル金属で作る国民参画型プロジェクト

幸いなことに、元フロンターレの天野が組織委員会で何かやっているということで、周囲への発信のしやすさがあります。そのことを戦略として考えていて、自分自身をプロモーションツールとして使っています。

私がここまで熱量を持って取り組めている理由は、やはりアトランタ大会での経験があったからです。その後、アメリカから帰ってきてすぐに「ジャパンパラ競技大会」という国内のパラリンピックのような大会に参加したのですが、観客はほとんどいませんでした。

もちろん国際大会か否かの違いはあるものの、日本とアメリカでのパラスポーツ人気の差は歴然としていました。だからこそ、東京五輪・パラリンピックの開催が決まった時には、パラリンピックを盛り上げたいという気持ちが強くあったんです。

アメリカでは、障がい者に対するサポートの体制が整っていましたし、障がい者がスポーツを気軽に楽しめる環境がありました。日本でもそういった環境を作っていきたいという想いがありますし、パラスポーツを見ることによって、障がい者に対する考え方が変わるということは実体験としてアメリカで学んいます。そういった体験を、東京パラリンピックで多くの人にしていただきたいと考えています。