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玉置龍也(理学療法士)が説く、逆転の発想。「ケガは弱い部分を変えるチャンス」

2014.09.30 / AZrena編集部

玉置龍也
 
本日は、横浜市にあるスポーツ医科学センターにて理学療法士として活躍されている玉置龍也さんをお迎えしております。玉置さんは、プロバスケットボールチーム横浜ビー・コルセアーズにてメディカルトレーナーとしても活躍されております。
 

大学のアメフトサークルでは主将を経験

 
――玉置さんご自身のスポーツ経歴を教えてください。
 
小学校は野球、サッカー、中学校は陸上競技、高校はラグビー、大学ではアメフトをしていました。
 
――全部網羅した感じですね(笑)ちなみに興味深いところなのですが、「ラグビー」から「アメフト」に移られた理由は何ですか。
 
大学での部活はラグビー、アメフトどちらもありました。アメフト部は当時関東上位の成績で、あわよくば全国にも届く可能性も考えられるくらい強豪と呼べる位置にいました。その時は「勝ちたい!」という気持ちが強く、アメフト部を選びました。
 
――アメフトは大学から始める方も多いことから、どの大学でもかなりの勧誘があると聞きます。玉置さんも勧誘されて、入った形ですか。
 
そこも経歴が少し変わっていて、最初はアメフト部ではなく、アメフトサークルに入りました。「大学は勉強するところ」と考えていたこともあって、最初は勉強の時間も取れるアメフトサークルを選びました。でも、1年2年とアメフトをやっていくうちに、どんどんはまっていき3年のときに主将に選ばれました。
 
――サークルと部どちらもあったのですね。
 
東大には、「アメフト部」、「医学部アメフト部」、「アメフトサークル」の3つがありました。
 
――医学部もあるのですね。玉置さんは何学部だったのですか。
 
医科歯科リーグというものがあります。私は工学系に進む人の多い理科一類で入ったのですが、「運動について知識も知りたい!」と思い、教育学部の身体教育学コース、いわゆる体育学科に移りました。気づいたら自分がバリバリスポーツにはまっていました(笑)
 
――主将になられてからは何か変わりましたか。
 
サークルとはいえ40~50人をまとめる立場なので、自分がどういうリーダーになろうかと考えたときに、「自分の背中を見せて引っ張れるリーダーになろう」と思いました。自分が引っ張るつもりで練習をやっていたのですが、やはりサークルということもあり、強制はしづらい部分がありました。
 
自分が引っ張るつもりで懸命に取り組んでいたのが、やりだすとのめりこむ性格もあって、結局自分がもっとやってみたい、力を試したいと思うようになりました。このままサークルで続けるか、それとも部に移ってもっとどっぷりと違う環境でやるのかで相当悩みました。ただ、ここまでやってきたなら「もっと挑戦してみよう」と思い、思い切ってアメフト部に行くことに決めました。
 
玉置龍也
 

大学卒業後は理学療法士の道を歩む

 
――4年生でアメフトサークルから部へ・・決断力も行動力もすごいですね。実際のアメフト部ではどうでしたか。
 
3年のときは関東で3位を経験させてもらいました。4年では、私自身たくさんのケガをしました。肉離れ、足首捻挫、足の疲労骨折、肩の脱臼、他にもいろいろと。ケガのデパートのようでしたね!
 
――年中ケガしているような状態ですよね。どのような心境でしたか。
 
合計すると半年間は治療とリハビリの生活でしたので、ここまで悔しい思いをすることはない、と言えるくらい悔しかったです。進路に関しては、本当は社会人でもスポーツをやりたいと思っていました。その足がかりに、と思って大学一部リーグでもあるアメフト部に入ることを決めた部分もありました。ただ、これだけケガを繰り返す身体ではやはり厳しいと自覚するようになりました。
 
それで、これからどうしようと悩んでいたときに、アメフト部のOBであった先輩が、理学療法士として部活に来られていたので相談しました。「理学療法士なら病院で働く中で、いろいろなケガを見る事が出来る。
 
医学的な知識を身につけることが出来るからスポーツ現場に出た際にも応用が効くよ」とアドバイスを受けました。そのときは、既に大学4年の12月だったんですけど、そういう道もいいかなと思いました。そこから1月中旬までに卒論を仕上げて、試験勉強をし、1月末に試験を受け、4月から専門学校に行き始めました。
 
――専門学校は3年間ですか。
 
私は夜間の学校だったので4年間です。4年間、昼間はスポーツ医科学センターで働いて、夜は学校へ通うというスタイルでした。資格を取った後もここで働いているのでずっとここにいます(笑)
 
――今は何年目ですか?
 
大学を卒業してからずっと勤務しているので、もう12年ですね。
 
――医科学センターの申し子ですね(笑)今は医科学センターの仕事とバスケの横浜ビー・コルセアーズのメディカルトレーナーの2つをされているのですか。
 
そうです。
 
玉置龍也
 
――メディカルトレーナーという肩書きですが、玉置さんはケガ、トレーニング両方を見られるのですか。
 
どちらの分野も見てはいますが、ケガの方がメインです。
 
――アスレティックトレーナー(AT)の資格も持たれていますよね。
 
ATも持っています。トレーニングに関してはサークル時代にメニュー作りをしていましたし、アメフトのプレーヤー時代を通じて嫌というほど取り組んできました。さらには体育学科でトレーニングの勉強もしていたので、その経験が今でも役立っていると思います。
 
<後編へ続く>