鈴木理(VOXRAY)が語る、スポーツへの思い。
スポーツの会場を盛り上げる上で今や欠かすことができない要素の一つが音楽だ。今回はプロ野球やバレーボール、サッカー等の様々な競技の会場での国家斉唱やハーフタイムショーなどを務め、Fリーグ・2014-2015シーズンのオフィシャルソング「TRICKSTER」を歌ったVOXRAYのMuzzi(ムッチー)こと、鈴木理氏にお話を伺う。
音楽とスポーツをこよなく愛していた学生時代
――ムッチーさんご自身はスポーツをされていたのですか?
初めは野球をやっていました。でもうちは転勤族で小学生の時だけで4回、大人になってから自分でしたものを含めると合計で約30回引っ越しをしています。だから秋田ではグラウンドに雪が積もると野球ができなくなるので、サッカーをしていましたし、うまい先輩に憧れてからはミニバスケットボールもしていました。
中学では身長が伸びると聞いたのでバスケットボールを選択したものの、ジャンプし過ぎて逆に縮んでしまいましたね(笑)高校では音楽に出会い、バスケットボールから徐々にそちらにシフトしていきました。ちょうどバンドブームの時ですね。
高校卒業後は予備校に通うことになるのですが、実はそこの建物の屋上にはバスケットボールのコートがありまして…勉強よりバスケットボールに没頭するようになっていきました(笑)
――ムッチーさんはバスケットボール出身なんですね。サッカーやフットサルのイメージが強いです。
元々サッカーも好きでしたよ。覚えているのは高校時代の1990年にイタリアW杯があって、準決勝がPK戦までもつれた時のことです。試合が長引いたせいで期末テストの1限目に時間が被ってしまったのですが、そこまで来たら観ないわけにいかないので、お腹が痛いと嘘をついて観てました(笑)当時はスキラッチ(元イタリア代表FW)が好きでしたね。
――今は歌手として活躍されているわけですが、音楽にのめり込んだきっかけは何だったのでしょうか?
中学時代にBOφWYと尾崎豊が好きになりました。LAST GIGS(BOφWY最後のライブ)のチケットを取るために3日徹夜するくらい好きでした。僕の音楽の原点です。
そしてその後、ユニコーン、THE BLUE HEARTS、JUN SKY WALKERなどバンドブームの波が一気に来ました。僕も影響されてやってみたのですが、自分が弾いたものと本人のものを比べると余りに違い過ぎて、結局一度その道は諦めることになります(笑)
高校卒業後は予備校に通っていたわけですが、周りは大学生活をエンジョイしているわけです。結局それに惹かれて、大学生の友人のところに転がり込んでからは遊んでばかりいました。その友人達の中にサッカー好きがいて影響を受け、ダイアモンドサッカーを観て海外選手はやっぱりすごいな、と感じていましたね。マラドーナ、カニーヒャ、バッジョ…当時はアルゼンチンとイタリアが好きでした。そしてカズさん(三浦知良選手)がセリエAに行くという中でハマっていったんです。
その後に僕はお金を貯めて、ニュージランドに行くことにしたんです。ホームステイ先の親父とは言葉が通じないながらも音楽を通して交流を深めることができて、面白かったですね。音楽は世界共通だと感じることができました。
――そこで音楽の魅力を再確認することにあったわけですね。一方でニュージランドはサッカーよりもラグビーなどが盛んなイメージです。
ニュージランドに行っている間はドリームチームの影響で少しバスケットボールを観ていた以外、しばらくスポーツから離れていました。そもそもサッカーの情報が一切入ってこないので、その間は僕もラグビーを観ていました。この前亡くなったニュージランドの英雄、(※)ロムー氏がいた頃ですね。現地のラグビーの試合では試合が終わるとピッチに観客が降りることができます。そこで選手達がサインをしたりするんです。向こうのその文化に感動しました。
オーストラリアにも数ヶ月旅をしたこともあります。その時は運良くテニスの全豪オープンが行われるコートに迷い込むことができ、貴重な経験ができましたね(笑)
日本のスポーツを見たいとなると当時はインターネットがないので、領事館にビデオを送ってもらって、それを現地で観られるように変換してもらう必要がありました。なぜか変換すると白黒になってしまうんですけどね(笑)なので、プロレスは観たくて送ってもらっていました。武藤(敬司)対高田(延彦)の情報がどうしても知りたかったんですよ。
他は極力日本の情報は避けるようにしていましたが、それでもろくでなしブルース、スラムダンク、ドラゴンボールは耐えられなくて送ってもらっていましたね(笑)
歌手としての転機、スポーツ界との関わりは長友に似ていたから!?
――ニュージーランドから帰国後は何をしていたのでしょうか?
ニュージランドにいる時にトイストーリーに出会ったことをきっかけに、日本に帰国してからはコンピューターグラフィックデザイナーをしていました。2年間専門学校に行き、ゲーム会社で働いていたんですよ。
でもやっぱりどこか音楽を諦められない自分がいて、そンな時にたまたまアルバイト雑誌で結婚式に行ってアカペラで歌うという仕事を見つけました。そのオーディションに応募し、弾き語りで歌ったところ合格することができ、事務所でユニットを組むことになりました。ただメインは女の子で、男はあくまでベースとして必要されていました。だから僕は今のVOXRAYを含めると300ほどの結婚式に行って歌ったことがあります。その事務所には他のユニットもいて、そこの男性メンバーだけでVOXRAYを結成しました。
――バンド出身であるにもかかわらず、ヴォーカルグループをするということには抵抗はなかったのでしょうか?
ゴスペラーズが出てきた時も率直にすごいと思いましたし、海外のアカペラグループの歌を聴いても感動していました。自分が目立ちたいとかそういうことよりも僕はハモりが好きなんでしょうね。だからそこは問題なかったです。
――スポーツに関わるようになったきっかけはどういったものだったのでしょうか?
ストリートライブで知り合った人がテレビ関係の方で僕らのことを様々なスポーツ関係者に紹介してくれたところから、関わるようになっていきました。
ちょうどその頃にジージの知り合いからラジオ番組の話が来て、好きだったスポーツに関するものをやりたいという話になりました。僕らも様々なスポーツ選手と関わりを持ってきた中で知った厳しい内情をもっと発信していく必要があると思ったんです。それでやったのがスポーツボガーン!というラジオ番組です。プロなのに電車移動だったり、仲が悪くなるからあるチームの移動のバスの中ではウイイレ(ウイニングイレブン)やボンバーマンが禁止だったりするんですよ。バスの移動時間やカテゴリによる待遇の違いなども含めたそういう面白い話ってなかなかテレビでは知ることができないですよね。
MCはラジオをやっていたのもありましたが、スポーツ関係者の方が長友に似ていると僕のことを面白がってくれて、いろいろなサッカー関係のイベントに呼んで下さったり、某ミュージシャンのバックでミュージックステーションに出させてもらえたりと繋がっていく中でやってみないかと声をかけてもらいました。
もっと生のスポーツを盛り上げるために
――今ムッチーさんが注目している競技やチームはありますか?
bjリーグの福島ファイヤーボンズですね。実は福島は僕の親父の故郷でもあるのですがが震災後、室内競技をする人が増えているんです。福島の会津は元々バスケットボールが強いところですしね。やりたい子供が多ければスクールも運営できますし、試合があればその子達と親御さんも来てくれます。
競技やチーム間で協力し合ってもっと一緒に盛り上げていけたらいいですよね。
――週末に興行として開催するということは現状では他の競技やチームと競合することになってしまいますからね。
あとは結局スポーツというエンターテイメントを観に来ているのか、試合を観に来ているのか、という違いはありますよね。Fリーグの試合に来る人は本当にフットサルファンで試合を観に来ているんです。そういう人達を離さないようにしないといけないと思います。
得点の入りやすさの違いもあるので、難しいところはありますけど。初めて観に来た人達としては得点が入った方が盛り上がるポイントがたくさんありますから。
僕はそういう意味では米米クラブが好きなんです。音楽で盛り上げるだけではなくて、来たお客さんみんなが踊ったりするような雰囲気を作り出す第一人者だと思います。だから僕も歌手やMCとしてのこだわりももちろんありますが、それに囚われず、エンターテイナーとしてありたいと思います。試合自体はテレビでも観ることができます。では、テレビでは伝わらない部分をどれだけ面白くできるのか。主人公は会場に来ているお客さんであり、その人達をどう楽しませることができるかが重要なんです。
――今後の目標を教えてください。
2020年の東京五輪を前にスポーツに携わって、盛り上げていきたいです。ただ競技毎では広すぎるんです。チーム単位のところからやっていかないといけないんですよね。海外サッカーのチームはスタジアムも満員になるじゃないですか。それを日本でもやりたいので、運営とサポーターを話し合う場を作りながらもっとスポーツを盛り上げていけたらいいですね。