現さいたま市議会議員は元日本代表。都築龍太はなぜ政界へ進んだのか

2015.12.17 AZrena編集部

つづき1

名門・国見高校から1997年にガンバ大阪に入団し、浦和レッズなどで活躍。そして日本代表にもされたGK・都築龍太は2011年に引退し、その後は活躍の場所を政界に。さいたま市議会選挙に立候補するも1度目は落選。そして今年、2度目の挑戦で見事当選を果たた。

 

国見町はサッカーしかすることがなかった

-現役時代のお話から伺っていきます。都築さんがGKを始めたきっかけを教えてください。

一番初めはやらされたからですね。小さい時から背が高かったですから。他のポジションをやりたいと思った時期もありましたが、やっていくうちにやり甲斐も出てきて、子供ながらに楽しいと思えるようになっていきました。

 

-GKをする上で一番心がけてきたことはどのようなことですか。

とにかく試合に勝つことです。これはどの選手も思っていることでしょう。いいプレーをして勝つということは考えていません。あとはその都度、自分がプレーする中で感じて、それが行動に出るものです。ただ僕は常に怒っていたような気がします(笑)味方がミスをするとよく声を荒げていました。

 

-都築さんは高校サッカーの名門校・国見高校出身ですね。

中学時代の先生が国見高校の先生と仲が良く、そういう選択肢もあるとは言われていました。先輩も1人、国見に行って全国優勝していたので、憧れだった道を自分も進むことにしました。

 

-高校時代を振り返って思うことはありますか。

しんどいイメージしかないですね。GKもフィールドプレーヤーも関係なく、とにかく走らされていました。ただ、あれよりしんどいことはこの先ないでしょうから、今考えるとそういう意味ではやってきてよかったと思います。

 

-その中でも特にきつかったことを教えてください。

全てです!朝5時半に起き、朝練に出て、寮に一度戻って着替えます。授業には出るものの、夕方からの練習に備えるために寝ていました(笑)昼くらいには今日の練習メニューの噂が回ってきて、それを見て嫌々練習に行く、という感じです。練習が終わると寮生は1時間以内に夕飯になります。だから自主練をしていると夕飯に間に合わなくなってしまいます。でも学年が下のうちはしないわけにもいかないので、練習後そのままご飯を食べに行ってからシャワーを浴びていました。

 

-チームの中でも1枠しかないGKというポジションを勝ち取っていく上で大切にしていたことを教えてください。

自分で言うのもおかしいかもしれませんが、とにかく努力するしかありませんでした。高校時代、同級生には当時U-17日本代表だった中川という選手がいて、キャプテンをやっており、僕は出られない、サブの期間が長く続きました。しかし、高校3年の夏のインターハイで彼がミスをして、そこから出場機会を得ることになります。それまでは自分に何ができるか考えたところで、ひたすら練習するしかなかったわけです。

つづき2

 

-努力してもそれがすぐに実を結ぶことの方が少ないと思います。その中でもモチベーションを保ち続けることができたのはなぜでしょうか。

試合に出たいという気持ちもそうですが、国見時代は逃げる場所もなかったですからね(笑)サッカーしかすることがなかった街だったので、続けられたという側面はあると思います。都会だったら誘惑に負けていたかもしれません。

 

-プロ入りが決まった時はどういった心境でしたか。

そもそも僕が小さい頃はまだJリーグが存在していなかったので、ずっとプロになりたいと思ってサッカーを続けてきたわけではありません。だから嬉しい反面、高校でもメインで試合に出られていない自分でいいのか、という気持ちもありました。僕の場合、プロ選手になるのも順風満帆ではなかったということです。

 

-その後ガンバ大阪、そして一番長く在籍した浦和レッズに加入しています。レッズのチームの印象を教えてください。

僕は一番いい時期にレッズに移りました。移籍1年目でタイトルを獲得してから、2007年まではずっとタイトルを獲り続けています。今後さらにレッズはよくなっていくべきチームだと思っています。当時のレッズは社長から掃除のおばちゃんまで、チーム全体がいい雰囲気でしたよ。

 

-現役時代にはベストイレブンも受賞されています。

僕は結果というものは絶対最後にしか付いてこないと思っているので、実は選ばれてもそこまでの嬉しさはなかったです。それまでやってきたことに対しての結果がそうであった、と客観的に捉えてしまうので、喜べないんです。だから優勝した時もそこまで喜んでいないです。1試合勝った喜びと優勝した喜びとそんなに差はない。という考え方ですね。

 

-日本代表にも選出されていますが、それも同様でしょうか。

そうですね。五輪メンバーの流れでそのまま代表入りしましたから、周りの選手もほとんど同じですし、特別な感情というのはなかったです。周囲の方が騒いでましたね。

 

-長くJリーガーとして活躍してきた都築さんですが、引退を決意した一番の理由はどういったものなのでしょうか。

所属先のチームがなかったからです。もうレッズは契約しないという話だったので、1ヶ月半ほどレッズのユースで練習をしながら浪人していましたが、チームが見つからなかったので、引退することにしました。結局選手というのは求められなければ続けられないわけです。J2のクラブだから行きたくない、といったようなことは一切ありません。でもJFLや社会人リーグまで行ってやるつもりもありませんでした。J1、J2のクラブからオファーがなかった時点で選手としては求められていないという判断をしたんです。

僕の場合、プレー以外の人間的なところを問題視する人も中にはいましたが、その時はもう特に腹も立たなかったです。なぜなら、全て自分のやってきたことですから。プレー以外のことを見られて獲らないのであれば、仕方ありません。だから全然後悔はしていないです。

 

つづき3

 

-現役を引退して、指導者やクラブフロントの道を進む人も多い中で、政治の世界に挑戦されています。その理由を教えてください。

元々引退したら、サッカーから離れたことをやってみたいとは考えていました。でもまさか議員をやることになるとは全く思っていませんでした。現役時代は引退後何をするかまで考えてプレーしていませんからね。でもだからこそ、引退してからしばらく勉強する期間を作ってもいいと思っていました。なので引退してから別に焦ることもなかったです。

その中でチームを探して浪人している頃から議員の方とは関わりがあり、食事に出かけたりして、お世話になっていました。それで引退してから議員をやってみないか、とお声がけ頂きました。

 

-それでもなかなか政界に挑戦するという簡単なことではないと思います。

正直当時はまだ何も決まっておらず、当選してから何をしたいかは考えればいいとさえ思っていました。ただ、自分が新しいことに挑戦できるというのは勉強になると思い、出馬することにしたんです。選手として浪人していても面白くなかったですからね。

 

-2011年に出馬した際は惜しくも落選しましたが、2015年今回二度目の立候補で当選されています。この4年間はどのように過ごしてきたのでしょうか。

とにかく動きましたね。ただ、落選してから半年くらいは悩んでいました。選挙活動というのは体力と精神力が必要ですからね。その頃に日本サッカー協会主催の「夢先生」のお話を頂き、やってみることにしました。「夢先生」では子供達に夢を諦めない、という話をするのですが、今の自分がそれを言っていいのかだんだん疑問に思えてきたんです。

それで何か行動していかないといけないと思い、選挙活動でお世話になった人を集める機会を設けたところ、本当に多くの方が来てくださいました。そんなに応援してくれる人達がいたら、裏切るわけにはいかないじゃないですか。だからその場でもう一度挑戦することにしました。

今回は最終的に浦和駅まで歩いていく中で会う人のほとんどが知り合いという状態にまでなって、その時には手応えを感じましたね。

 

-こうして見事当選されたわけですが、現在やりたいことを教えてください。

まずは僕自身が地元の人々の声を聞いて、答えを持って帰れる人間になる必要がありますね。例えば道路を舗装し直してほしい、と言われたとしても管轄が違ったりして、それがどんなに簡単なことのように見えたとしてもすぐにできることと、できないことがあります。もしできないのであればその人達が納得できるように説明しなければなりません。選挙活動の時からこれを僕はやります、と言い続けてきました。

 

現役時代から性格は変わった

-現役時代と現在を比べて、ご自身の中で性格面も変わってきましたか。

全く違いますよ(笑)現役時代は試合中に文句を言ったりもしましたが、それは何かを達成するために必要だと思ってやっていたことです。当然僕も1年目の時からできたわけではなくて、ある程度積み重ねたものがあった上でのことです。

言葉というのは本当に重みがあります。人に何かを伝える時は内容をすべて分かった上で話す必要がありますが、その説得力が今の僕にはないので、まだ勉強中です。

大人に向かって話す時は難しい言葉を使って、正しい数字を並べていればある程度通じる部分もありますが、子供達に話す時はそうはいきません。本当に子供達に話すのは難しいので、それは夢先生をやってきてよかったと思います。子供は正直で、こちらが話していても面白くなければ寝てしまいます。でもそれは伝える力がない僕のせいです。ただ、子供にうまく伝えられれば、誰にでも話せるとは感じました。

 

つづき4

-現役時代、一番長く過ごしてきた浦和という街に対して何か感じていることはありますか。

大阪からこちらに来る時には多少抵抗がありましたが、ベースにレッズがあって、住みやすい街だと感じるようになっていきました。

 

-さいたま市には浦和レッズと大宮アルディージャ、2つのJクラブがあります。

さいたま市自体にもサッカーを通した街づくりの事業があるくらいで、そういう取り組みを行っている自治体は珍しいのではないでしょうか。レッズとアルディージャ、2つのチームと一緒になってさいたま市を盛り上げていければと思います。

 

-その中で選手であった都築さんが果たす役割も大きいと思います。

その部分は僕の専門分野ですから、どんどんやっていきたいです。ただサッカーを通した街づくりの事業を行うために、例えば何かを建てたりする場合は建設局が関わってきたりします。1つの部署だけで進めることはできないんです。だから関連する部署といい関係を築き、知識を多く持っておく必要があります。

 

-特にスポーツはする場所について問題になることが多くあります。

でも幸い、さいたま市は環境面では恵まれている方です。県の持ち物ではありますが、近くに埼玉スタジアム2002があり、さいたま市には駒場スタジアムもあります。この駒場スタジアムをさらに有効活用していきたいと考えています。今駒場スタジアムはナイター設備の規定上、Jリーグの試合が開催できずにいますが、レッズのサポーターからは年間で数試合はそこで試合をやってほしいという声も挙がっています。

これから先、もっとスタジアムなどを増やしていきたいところですが、どこに作るのかも問題です。日本ではレッズランドもそうですが、どうしてもスポーツ施設を郊外の方に作る傾向にあります。しかし、スポーツをビジネスという視点で捉えるとそれらももっと都心にもあるべきです。体育館も日本は3000人規模の小さなものがほとんどです。3000人というのは国体の開催の基準で、それに合わせてどこも作られています。でもスポーツに限らず、大きなイベントを呼ぶためには数万人単位で入るスタジアムやアリーナが必要になってきます。ただ、スポーツでそのキャパシティを埋めることは現状では難しいですから、スポーツそのものの価値を上げていく必要はありますね。

 

-さいたま市議会議員になってから改めてこの2チームに対して感じていることはありますか。

その2チームはサッカーの普及活動を本当に積極的に行ってくれています。行政に入って初めて分かったのですが、特にアルディージャは地域との連携を含め、市にすごく協力的です。選手としてレッズにいた頃はそんなことを知る機会はありませんでした。

 

さいたま市は可能性のある場所

-オフの日は何をして過ごしていますか。

議会中はなかなかプライベートの時間というのはないですね。土日も午前中にスーツで出かけて、昼に一度帰宅してジャージに着替えて子供と遊び、それが終わるとまたスーツを着て出ていく、というような生活をしています。

僕がそんな生活なので、毎日子供達からは仕事中に電話がかかってきて、今日は一緒にご飯を食べられるのか、一緒に寝られるのかを聞かれます。

 

-かわいいですね!お子さんはおいくつなんですか。

まだ年長です。だから僕がサッカー選手だったことはほとんど知らないんですよ。

 

-レッズの試合を観に行くことはありますか。

ありますよ。その時はさすがに私服で行きますけどね(笑)ただ、スポーツ議員連盟というものがあって、そこで取ったチケットの場合は公務にあたるので、スーツで行きます。

 

-最後に読者の方にメッセージをお願いします。

さいたま市は可能性のある場所です。若い人を中心にここが住みやすいと思ってもらえるような街にしていきたいです。まだ僕の力不足で時間がかかるものもありますが、これから行政と民間が一体となって様々な取り組みを行っていればと考えています。よろしくお願い致します。