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堀之内聖(元浦和レッズ)の次なるキャリア。フットゴルフで日本代表へ

2016.01.18 / 森 大樹

堀之内聖。1979年10月26日生まれ、埼玉県出身。2002年にJ1・浦和レッズに加入。リーグ優勝、天皇杯、AFCチャンピオンズリーグなど、数々のタイトル獲得に貢献。2011年で浦和を退団、現在は浦和レッズでクラブスタッフをしながら、フットゴルフ選手としてプレー。2016年1月に開催されるフットゴルフW杯日本代表に選出している。

堀之内聖
 
Jリーグ・浦和レッズなどで12年間プロサッカー選手として活躍し、2013年限りで引退した堀之内聖。彼は現在、フットゴルフの選手として現役に復帰し、2016年1月にアルゼンチンで開催されるフットゴルフW杯日本代表に選出されていた。
 
※フットゴルフ:サッカーとゴルフと合わせたような競技。基本ルールはゴルフと同様でサッカーボール(5号球)を蹴り、カップに入れる打数を競う。

「所属していた期間に獲得したほぼ全てのタイトルに関わることができた」

――フットゴルフについて伺う前に現役時代のことから伺っていきます。浦和レッズ加入のきっかけから教えてください。
 
僕が大学時代に浦和レッズのスカウトをやっていたのが、サッカー殿堂入りも果した落合弘さんでした。実はその落合さんは高校の大先輩で、高校時代から面識がありました。その後大学に進学して、ユニバーシアードの代表にも入ったりしていたので、声をかけて頂きました。
 
――プロになれるかもしれないと手応えを感じたのはいつからですか。
 
高校でプロから声がかからなかったので、大学4年間はもう一度サッカーをやり直すという気持ちが強くありました。その中でユニバーシアード日本代表に選ばれた時にJリーグを意識し始めたと思います。
 
――特に浦和レッズでは10年間、プレーされていました。所属していた当時を振り返ってください。
 
僕はレッズが強い時期にプレーさせてもらったので、所属していた期間に獲得したほぼ全てのタイトルに関わることができました。当時のレッズは日本代表クラスの選手が7~8人いて、それに加えてポンテやワシントンという外国籍選手がいましたから、強かったです。
 
ただ、自分のスタイルからして、誰よりも目立つようなプレーをするのは難しいと思っていました。だから代表クラスの選手が多くいるチームの中では、彼らを輝かせられる選手になる方がいいと考えて、行動していました。
 
特に印象に残っているのは自分もゴールを決めた2006年の天皇杯の決勝と、2007年ACLの決勝です。
 
――当然ポジション争いも激しかったと思います。
 
ライバルが外国籍選手だったりもしたので、辛抱しないといけない時期もありましたが、その選手が累積警告などで出場停止になってチャンスが回ってきた時には、いかに結果を残すのかを常に考えてプレーしていました。
 
堀之内聖
 
現役時代は守備的なポジションでレッズ黄金期を支えた
 
――堀之内さんは本来ボランチ(守備的MF)ですが、DFとしてプレーする場面が多かったですよね。
 
大学まではずっとボランチでしたが、当時のレッズはそのポジションにいい選手がいて、層が厚かったです。一方でDFは怪我人も出ていて、手薄になっていたので、元々守備的な選手だった自分はそこでも活きるのではないかと思い、その頃サテライトのコーチだった柱谷哲二さんに相談して、ご指導頂きました。
 
――自らポジションを変わることを申し出たんですね。
 
1年目は公式戦に1試合も出られず、サテライトでも先発出場できていなかったので、とにかく試合に出たいと思っていました。もしコンバートして、試合に先発で出られるのであればDFをやります、と自分から言いました。
 
――DFですと点に絡むことは多くないと思いますが、初ゴールのシーンは覚えていますか。
 
覚えています。2005年のガンバ大阪戦です。何かとガンバ(大阪)とは縁があるんですよね。初出場の試合も、その後のゼロックス(スーパカップ)で点を取ったのも、レッズでの最終戦も、引退前最後に先発出場した時も相手はガンバ大阪でした。特に最後のスタメンの試合は僕がJ2の山形に所属していて、たまたまガンバも降格していた時です(笑)
 
――レッズを退団して、J2のクラブに移ったわけですが、環境面での違いは感じましたか。
 
いろいろな面で違うことは覚悟していたのですが、自分が思っていたほど環境は悪くなかったです。どこへ行ってもやるのはサッカーですしね。横浜FCもモンテディオ山形もJ1を経験しているチームですから、設備もある程度整っていましたし、レッズ時代とのギャップを強く感じることはありませんでした。
 
――しかし、横浜FCも山形も1年で退団することになり、引退しています。
 
正直両方のチームにもっと長くいたかったです。でもそこは経営判断などもあると思いますし、僕の場合は怪我をずっと抱えているというのもありましたからね。今思えば仕方ない部分もあったと分かりますが、当時は試合にも出て、結果を出しているのになぜクビになるんだ!という気持ちはありました。
 
僕の場合は特に膝をよく怪我していて、半月板の手術を左右2回ずつやっています。どうしても膝に水が溜まる癖があったんです。試合前にはその水を抜いて、代わりにヒアルロン酸を入れるということを毎週やっていました。ドクターからはいつサッカーができなくなっても文句は言えない、とまで言われていました。
 

フットゴルフとの出会い

――2014年1月に引退し、浦和レッズのスタッフとして働くようになってから、フットゴルフに出会うまでの経緯を教えてください。
 
フットゴルフを初めてやったのは2015年の9月頃のことです。今年から立命館大学とJリーグが組んで「Jリーグヒューマンキャピタル」というビジネス講座を開いていて、そこで知り合ったメンバーに誘われて初めてやりました。その時やったコースはシンプルなところだったので、僕は初フットゴルフだったにもかかわらず-9で周ることができてしまいました。
 
ショートホールではホールインワンなんかも決めて、すっかり気持ち良くなってしまい、プレーの様子をSNSにも投稿していました。その投稿をフットゴルフ協会の松浦さんが見てくださっていたんです。たまたまその松浦さんがうちの平川(忠亮・浦和レッズ)選手と知り合いで、僕の話を聞きたいということだったので、協会まで伺ってお会いしたというのが今の活動をすることになったきっかけです。
 
――そして本格的にプレーすることになっていくわけですね。
 
フットゴルフをプレーしている方の人柄にも惹かれました。2回目にフットゴルフをした時はジャパンオープンという大会に出させてもらったのですが、一緒にコースを回った他のお二人が素晴らしい人柄をお持ちの方で、それに触れたことが競技を本格的に始める上では大きかったです。ライバルであるはずなのに、アドバイスをくれるんです。そのお二人も今回日本代表に入っています。
 
堀之内聖
 
――フットゴルフを始めたのは現役時代からロングフィードに自信があったなど、プレースタイルと関係する部分はあるのでしょうか。
 
全然そういうところでは自信はなかったです(笑)自分は技術ではなく、気持ちでプレーするタイプでしたから。
 
――フットゴルフをプレーする上で一番難しいのはどんなところですか?
 
パターですね。穴はボール2つ分くらいの大きさはあるのですが、なかなか難しいです。
 
――ちなみに一般的なゴルフはしますか?
 
一昨年から営業部に配属になったというのもあって、猛特訓中です。コースには3回出ました。前回のスコアは126でしたね。
 
――フットゴルフの魅力はどこにあると思いますか。
 
僕みたいな元サッカー選手がやっても、サッカー初心者や体力がない、キック力がない女性や子供でも楽しめるというのが魅力だと思います。
 
――今の堀之内さんの目標を教えてください。
 
今年1月に行われるフットゴルフW杯への出場が決まったので、そこで上位に進出できるように練習していきます。ただ、海外の方がレベルは高く、オランダ、アルゼンチン、イギリスあたりが強いようです。元プロサッカー選手が出てきたりするそうなので、うまいのも当然ですよね(笑)
 
今回のラグビーもそうですが、結果を残さないと競技が注目されないという側面はあると思います。フットゴルフもこの16人の日本代表メンバーで一致団結して臨みたいと考えています。
 
フットゴルフも一昨年はテレビで特集されたり、メディアに取り上げてもらったりする機会は増えてはきているのですが、まだまだマイナーなスポーツであることに変わりはないので、結果を残してもっと取り上げてもらえるようになりたいです。
 
堀之内聖
 
今年1月5〜10日にアルゼンチンで開催されたフットゴルフW杯に出場した
 
――実際にフットゴルフ日本代表に選ばれた時の心境を教えてください。
 
嬉しかった反面、初めて間もない僕が代表としてやっていいのか恐縮していた部分もありました。しかし、今後の人生で日の丸を付けてプレーできることはもうないと思ったので、行きたいという自分の純粋な気持ちに従いました。
 
――日本代表になるということは専用のユニフォームなどもあるのでしょうか。
 
作りました!サッカー日本代表と同様、ブルーのユニフォームです。
 
フットゴルフ日本代表
 
――でもフットゴルフの服装はどちらかというとゴルフに近いようです。
 
そうですね。ハンチング帽にポロシャツなどの襟付きの服、ハーフパンツにハイソックスというのが定番です。でもそこを気にしなければ基本的に常設コースにはボールも置いてありますし、靴さえ持っていけばできます。ゴルフよりも初期投資をしないで済みますね。
 
――どんな人にフットゴルフをやってみてほしいですか。
 
まずはサッカーをやっている人にレクリエーションの一環としてやってみていほしいですね。そこからどんどん広がっていってほしいです。もちろんサッカー経験者でなくても楽しめます。経験がある人とない人、男女や親子で2人1組になって、やるのもいいと思います。現役Jリーガーも興味を持ってくれる人が多いです。
 
――堀之内さんは普段、どのように練習をしているのでしょうか。
 
近くの競馬場の片隅でやっています(笑)あとはレッズランドにフットゴルフの簡易コースができたので、そこでも練習しています。
 
――フットゴルフは観ているとやりたくなるスポーツですね。
 
使うボールもサッカーで一般的な5号球なので、競技としては入っていきやすいと思います。一方でフットゴルフの代表クラスの選手はボールの質や動きなども考えて、球選びをしているんですよ。
 

夢を叶えるために必要な最低条件は『努力をし続けること』

――引退後、レッズにスタッフとして戻ってくることになった経緯を教えてください。
 
レッズからはチームを離れる時も横浜FCとモンテディオ山形を退団することになった時もクラブスタッフとして戻ってこないかと打診されていました。僕も地元が浦和なので、戻りたいという気持ちはありました。山形退団後、引退するかどうか迷っている時もギリギリまで待つというお話をもらっていたんです。
 
――そこまで声をかけてもらえるというのも堀之内さんの人柄ですね!
 
レッズの戦略にハマってしまいました(笑)
 
堀之内聖
 
慣れ親しんだ浦和レッズに再び戻ってきた
 
――浦和の魅力はどんなところにあると思いますか。
 
サッカーがこれだけ身近にある街はなかなかないと思います。それもレッズができる前から元々高校サッカーなども盛んな街でした。サッカーが根付いている土壌があるんです。
 
もちろん他にも埼玉には大宮アルディージャさんがあって、サッカー以外にも埼玉西武ライオンズさんや埼玉ブロンコスさんなどがありますから、スポーツ自体が盛んな場所として知られていくといいですね。
 
――現在、レッズではどのようなお仕事をされているのでしょうか。
 
法人営業ですね。うちはスポンサー様のことをパートナー様と呼ばせて頂いています。そういった企業が80社ほどあるので、既存のパートナー様をフォローしつつ、新規でチームをサポートしてくださる企業様への営業をしています。
 
――浦和の街を歩いていると声をかけられることもあるのではないですか。
 
もうないですね。レッズを退団して、2年別のクラブに行きましたし、引退してからも2年経って、レッズを離れて4年になりますから。
 
――休みの日は何をして過ごすことが多いですか。
 
今は基本的に日月休みです。犬を飼っているので散歩をしたり、奥さんと買い物に行ったりしていますかね。あとはゴルフとフットゴルフをしています。本を読むようにもなりました。特にビジネス本を読みます。Jリーグのビジネススクールの受講生のレベルが異常に高いんですよ(笑)元選手といえば僕と中田浩二(元選手・現鹿島アントラーズCRO)君を初め数名で、あとはさまざまな職種の方が集まっています。
 
――すごく勉強熱心なんですね。東京学芸大学卒という学歴を見てもそのことが分かります。
 
学生時代からサッカーだけをやっていて、テストの点数が悪いと自分の中でバランスがよくないと感じていました。高校も大学も第一志望に行けなかったから、というのもあるかもしれません。
 
――まさに文武両道ですね。
 
でも在学中にちゃんと勉強していたかどうかは経歴だけを見ても分かりませんよ(笑)ただ、卒業はしましたし、教員免許も持っています。
 
――最後に読者の方にメッセージをお願いします。
 
今も時々、小学校に行って夢を叶えるための話をさせて頂いています。夢を叶えるために必要な最低条件は『努力をし続けること』だと思っています。自分の夢に向かって努力できているのか、1日1回でも振り返ってほしいです。そうやって自問自答しながら、自分を高めていくことができれば、夢は叶うのではないでしょうか。