AZrena編集部

40歳からスポーツ業界に転身し最前線へ。芦塚倫史が訴える、人脈やネットワークの重要性。

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54歳になった今でも自分には可能性があると感じていますし、20代や30代の若者と話をすると、彼ら彼女らは何でもできる可能性を秘めていると思うんです(オクタゴンジャパン・芦塚倫史)

 

2002年に開催されたサッカーの日韓W杯を機に、日本でもスポーツに関するビジネスやマネジメントが盛んになり、スポーツを仕事にする選択肢が増えていきました。とはいえ、10年以上が経過した今でも、スポーツ業界は「狭き門」と言われ続けています。そんな広いようで狭いスポーツ業界の中で活躍するにあたって、最も重要なポイントは一体どこにあるのでしょうか?

選手のマネジメントや協賛営業など、広範囲に渡ってスポーツマーケティングを行う「オクタゴンジャパン」。その代表を務める芦塚倫史氏は、40歳から初めて海外留学をし、スポーツ業界の道を志した人物です。そんな芦塚氏がいかにしてスポーツ業界に辿り着き、スポーツマーケティングの最前線で活躍するまでに至ったのか。そのキャリアの道中を支えた“礎”に迫りました。


スポーツ業界へ転身したきっかけは、あるサッカー選手との出会いだった

私は大学を卒業してから5年目に転職し、広告会社で営業を行っていました。そこで私は、サッカーの代理人になりたいと思ったんです。広告会社で培った営業のスキルを活かして、契約交渉や、選手のセカンドキャリアを含めたプレー以外の活動のサポートをやりたいと思っていました。

そんな中で、私が営業を担当していた食品会社のCMに、当時Jリーグで活躍していた有名サッカー選手が出演しました。仕事の際にその選手と、彼個人のマネジメント会社の社長さんにお会いしたのですが、ある時にその方から『海外のクラブから選手にオファーが届いているんですが…』と相談を受けたんですよ。

当時はまだサッカーの代理人も数少なかったですし、現在のような契約や移籍に関する仲介人制度もありませんでした。日本人で海外に移籍する事例も数少なかったですが、その相談を受けて自分なりに調べてみたり、実際に代理人として働いている方に会って話を聞いてみたりしました。そうやって学んでいるうちに、代理人というビジネスに強く関心を抱き、今後日本人選手が海外に出て行く際に必要になる職業だと感じました。

 

もともとサッカーは小学生の時にやっていて、社会人になってからも草サッカーチームでプレーしていた程度ですが、日本サッカーを強化する意味でも代理人を含めプロフェッショナルな存在が必要で、自分もその一員になりたいと思ったんです。ただ、そう決心したのはいいですが、代理人になるための語学力やネットワークを手にいれなければならない。短期間でそれを得られる方法はないか、と考えていたところ、たまたまリバプール大学にサッカー産業MBAコースという学科があることを知ったんです。

リバプール大学はすごく歴史のある大学で、サッカー産業MBAコースと音楽MBAコースがあって、卒業するとMBA(経営学修士)の資格が取得できます。サッカー産業MBAコースには毎年、世界中から人が集まってきて、卒業生はFIFA(国際サッカー連盟)やUEFA(欧州サッカー連盟)などの連盟をはじめ、各国のサッカー協会やクラブチームなどに散らばっていきます。日本人もほぼ毎年コースを卒業しています。

そこに留学すれば、一定の知識や人脈を得ることもできますし、勉強や生活の過程で嫌でも英語を勉強しなければならないじゃないですか。そう考えた時に、当時既に40歳で家庭もありましたけど、思い切って仕事を辞めてリバプール大学に行こうと決意しました。

 

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