元ヤクルト投手・上野啓輔が「起業家」を選択した理由
上野啓輔。元ヤクルトスワローズの投手であり、現在は幼児向け野球スクールや野球用品の販売・製造を行なう(株)FROM BASEの代表取締役。「野球しかやってこなかった」彼が、突然社会に放り込まれた感じた苦悩とは?
選ばれし者だけが門をくぐることができる、プロ野球の世界。近年では学生、社会人から行く方法の他に独立リーグなどを経由してドラフト指名を受ける選手もいる。紆余曲折を経て、プロになる選手も増えてきたのだが、現在、株式会社FROM BASE.の代表取締役を務める上野啓輔氏もその1人。上野氏はテキサス・レンジャーズ1A、香川オリーブガイナーズなどを経て、2010年育成ドラフト2位でヤクルトから指名を受けた。
しかし、支配下選手登録されることのないまま2年で戦力外通告を受け、引退。現在は独立して幼児向けの野球スクールや野球用品の販売・製造などを行っている。
野球しかやってこなかった自分が突然社会に放り込まれて感じた苦悩。
何度も野球を諦めそうになってきた彼が、引退した後も携わっていくことにした理由。上野氏の変わった経歴から見る選手のセカンドキャリアの1つのあり方と、野球界に向けた恩返しの形に迫る。
※支配下選手登録:70人を上限とする1球団に所属可能な選手登録のこと。1軍の試合に出場するためにはまず支配下登録されることが必要になる。
何度も辞めようと思った野球。諦めかけた中で選んだ渡米という選択肢。
兄の影響で始めた野球。何度か野球を本気で辞めようと考えたそうだが、その度に厳格な父親の手によって軌道修正されてきた。
転機は大学進学後だった。上野氏は野球部の厳しい練習についていくことができず、上武大学をわずか2週間程度で辞めている。親からは今後野球については一切協力しないことを告げられ、そこから半年間、フリーター生活を送った。
特に大学中退について人に話すこともなかったが、ある日、同級生を通じてそのことを耳にした中学時代のクラブチームの監督から呼び出された。
「とにかく練習がきつくて、監督には走らされ、泣かされてばかりいましたから。恐る恐る会いに行った感じです」
そんな不安な気持ちとは裏腹に、上野氏の身を案じた親心だろうか、監督は社会人野球数チームとMLBフロリダ・マーリンズというプレー先について、挑戦できる手配をして待っていた。
「今考えても不思議なのですが、そこで僕はアメリカ(マーリンズ)に行きたいと即答したんです。全然決断したという感じもなかったです」
渡米に向けて準備を進めるため、アルバイトも辞めた。練習場所は母校・習志野高校に頼み込んで、部員が使わない時間帯でのグラウンドの使用許可を取り付けた。
しかし、1回目のマーリンズのテストは不合格。じつは、そこで当時マーリンズ1A所属のリック・バンデンハークと対面している。現在福岡ソフトバンクに在籍し、来日初登板から14連勝を飾ってプロ野球新記録を樹立したピッチャーだ。
「彼のキャッチボールを見た時は衝撃でした。エグい球を投げてるんですよ(笑)歳もほとんど変わらない選手なので、世界はまだまだ広いと思い知らされた出会いでした。彼は性格も素晴らしいですし」
バンデンハークから刺激を受け、そこから熱心に練習を重ねた上野氏は2ヶ月後のテストを再び受け、見事合格。しかし、9.11同時多発テロの影響でビザが下りず、マーリンズ入りはならなかった。
アメリカで掴んだ選手としての手応えと高かったメジャーの壁
そんな時、ジャパンサムライベアーズから声がかかった。サムライベアーズとは2005年に1シーズンだけ、アメリカ独立リーグ・ゴールデンベースボールリーグに参入していた、日本人のみで構成されたチーム。監督は元巨人のウォーレン・クロマティが務めていた。
入団したものの、独立リーグとはいえ、そこは野球発祥の地・アメリカ。当初は全く歯が立たなかったという。しかし、投手コーチを務めていた元横浜の堀井恒雄氏からの指導で球速をアップすることに成功する。
「王建民投手(現・ロイヤルズ)の投げ方みたいにするように堀井さんに指導してもらったんです。そのおかげで指にかかる感覚が強くなりましたし、投球間隔も狭くしたことで抑えられるようになっていきました。」
当時の月給は65,000円。厳しい環境の中でプレーではあった。しかし、その姿がMLB球団のスカウトの目に留まる。その後知り合った代理人を通して、アリゾナでキャンプを張っている8球団の前でのテストにこぎつけ、3球団が手を挙げた。
各球団が提示した条件は異なっていたが、その中で前回挑戦時に障壁となったビザの部分で協力をしてくれるチームを最優先に選ぶことにした。
「そうしたらレンジャーズがベネズエラ人をクビにして、ビザを確保してくれることになりました。でも書類にそのベネズエラ人の名前がしっかり書かれているんですよ。ビザを僕に切り替える、つまり彼はクビになるということです。」
生々しい現実を目の当たりにしながらも契約を済ませ、メジャーを目指して一歩を踏み出した。しかし、チームに合流して、さらに過酷な現実を味わうことになる。
「1週間毎にどんどん人がクビになっていくので、昨日まで隣にいたやつが、次の日にはいなくなっていたりするんですよ。しかも他の選手に対する“失敗しろ”精神がすごいんです。逆に自分がうまくいかないといつクビになるかという不安でいっぱいになります。」
実は上野氏の契約は3〜4年の猶予があるものだったが、本人には知らされていなかったそうだ。1年目から焦りが出てしまい、うまくいかなかった部分はあったという。