Ko-suke(高橋幸佑)。東工大の若きフリースタイラー、世界の舞台へ

2017.03.13 田中 紘夢

「勝ちたい」と強く思えた背景にある、憧れた背中の存在

東京工業大学に進学後も、高校時代までの延長上で「趣味」としてフリースタイルフットボールを続けていたが、大学2年生の時に転機が訪れる。

2012年に行われた全国大会に出場し、激戦の末にベスト8へと名を連ねたのだ。しかし、自身が残した結果以上に感化されたのは、憧れた先輩たちの背中だった。

 

「その大会に当時尊敬していた先輩が出ていて、すごくかましたのに負けてしまって、会場の裏で泣いていたんです。その時に人が負けたのを見て自分も悔しくなって、その先輩くらい本気で戦いたいなって思いましたね。そこから練習時間も増えていって、来年の大会で勝ちにいくことを目標にやっていました」

Ko-suke

 

2012年には、Ko-sukeより1世代上のTokuraが、日本人初となる世界一に輝いた。その姿を見て「上手くいけば世界で戦えるかもしれない」と感じたことも、バトルで勝つことへのモチベーションに繋がっていたようだ。

練習を積み重ね、1年後に再び迎えた全国大会では、前年のベスト8を超えるベスト4という結果を残した。そうして着々と階段を昇っていったKo-sukeだったが、主要なビッグタイトルを手にしたのは、意外にも日本ではなくアジアの舞台が先だった。

2015年、大学院1年生の時に出場したアジア大会で、世界で活躍するアジアの難敵を下し、日本人初のアジア制覇を果たしたのだ。

そしてアジア王者として迎えた2016年の日本大会で、遂に日本一の座を掴むこととなる。歴代の日本王者を下し、見事に世界大会の切符を手にしたが、日本を制することは「世界でベスト8になるより難しい」と語る。

 

「日本人が世界で勝つ時は、オリジナリティやクリエイティビティが評価されて勝つことが多いですけど、日本大会ではみんながそれを前提として持っているから難しいんです。日本で勝つなら飛び抜けて上手いか、上手さとオリジナリティ、クリエイティビティの全てが噛み合わないと勝てないので。総合力が試されるし、運次第といっても過言ではないです」

Ko-suke

 

日本人のオリジナリティやクリエイティビティは世界でも高く評価されており、『日本のフリースタイルフットボールが世界一』と評する世界のフリースタイラーは数多い。

 

世界大会での敗因と、勝敗以上の目的。そして次なる目標とは?

「半端な上手さでは勝てない」という日本フリースタイルフットボール界の頂点に立ち、世界最高峰の大会・Red Bull Street Styleへの出場が決まったKo-suke。大会までの6カ月間は今まで以上に練習時間を増やしたが、その中でも他のストリートスポーツのジャンルから刺激を受けることが多かったという。

 

「勝つ方法としては圧倒的なフレッシュさを求めていて、その中でダンスやフリースタイルバスケットボールなどの動画は見ていましたね。ダンスをしていたフリースタイラーとも練習をして、どういう観点で技や雰囲気を作っているのか、一緒に練習することで受けるインスピレーションは大きかったです」

 

数々のオリジナルムーブを有し、目新しさを武器に臨んだ世界大会。グループリーグでは本場・ヨーロッパの強豪を次々と下し、3戦全勝で難なく予選を突破した。その後は決勝トーナメントでも快進撃が続き、日本人3人目となる決勝進出を果たす。

Ko-suke

 

決勝戦で待ち受けていたのは、世界トップレベルのスキルを持つフリースタイラーだった。フリースタイルフットボールの大会は主に1人30秒ずつの3ターン形式で行われるが、Ko-sukeは日本人の弱みを(※)スキルと分析している。

※3回転以上の跨ぎ技やアクロバティックな技など、日本人に比べて欧州や南米のフリースタイラーは、身体能力を生かした技能が高い傾向にある。

 

スキルに丈けたフリースタイラーは30秒間でミスが多くとも、一つの大技でインパクトを与えることができるのが強みだ。Ko-sukeはスキルへの対策として「目新しいオリジナルの技を、30秒間の流れに凝縮することで、一つの大技以上のものを作ること」を挙げていた。

しかし「それを実現することができなかった」と述べているように、最終的には惜しくもファイナルの舞台で敗れ、世界準優勝に終わった。その敗因の裏側には、世界大会までの6カ月間に及ぶ準備期間での「計画性」にミスがあったようだ。

 

「バトルで必要そうなスキルをたくさん作ってみたけど、実際にバトルを組んでみると要らないものが多かったと思っていて。たくさん技を作るよりも、本当に必要なもののクオリティを上げることに時間を割いていれば、結果は変わったかもしれないですね。1つの新しい技を見せるよりも、1つの淀みを消すことに価値があると感じました」

 

今までの集大成となる世界大会へ「自分が見せられるものを全て持って行きたかった」というKo-sukeだが、結果的には準備期間の最終段階で、準備してきたものを削る決断に至った。しかし「それに気づくのが遅かったので、計画性が甘かった」。

世界大会で準優勝を果たしたKo-suke

 

とはいえ、世界2位という爪痕を残したことで「当時は悔しさがあったけど、今となっては達成感がある」と充実ぶりを話している。その理由には、世界で結果を残すことによって周囲に影響を与える“インフルエンサー”としての役割があった。

 

「世界大会はもともと勝つことが目標ではなくて、自分のフリースタイルフットボールを一番大きな舞台で見せることで、周囲に影響を与えたかったんです。自分を見て、誰かが新しく何かを感じて、可能性が広がってくれれば良いなと。影響を与える手段として勝つことがあって、結果的に勝てなかったことは悔しいですけど、少なからず周囲に与える影響はあったのかなと思っています」

 

帰国後はメディアへの露出も数多くあり、既存のフリースタイラーだけでなく、フリースタイルフットボールの普及自体にも貢献したといえるだろう。

次なる目標として日本での全国大会を2連覇し、再び世界への挑戦も期待されるKo-sukeだが、あくまでも勝つことに比重は置いていない模様だ。

 

「当然優勝はしたいですけど、勝敗というのはその人自身のフリースタイルフットボールの本質には関係がなくて、一番大事なのは自分が何を見せるか。だからこそ、自分が良いと思うものを常に高めていくことが今の目標です」

 

貫いたスタイルの先に何が見えるのか。競技人口も認知度も向上し、発展途上にあるフリースタイルフットボール界に、どのような影響を与えていくのか。Ko-sukeが持つインフルエンサーとしての役割が、フリースタイルフットボール界の成長を支える一端を担っていく。