ヤクルト春季キャンプの地・浦添で聞く、プロ野球の誘致が地域に与える影響。

2017.04.28 森 大樹

プロ野球が3月31日にセ・パ両リーグ同時に開幕し、長いペナントレースが始まったが、その前に例年、各球団は2月1日から月末まで各チームが定める場所でキャンプを張る。ここでチームは開幕に向けた準備を進めるとともに、1軍への昇格や生き残りを賭けた選手間での争いが繰り広げられる。

そのキャンプの代表地が沖縄と宮崎だ。多くの球団がやってくるこの2つの県は、この時期になると選手と近い距離で触れ合うことを目的としたプロ野球ファンで賑わう。

沖縄県は那覇市の隣に位置する浦添市でキャンプを行うのが東京ヤクルトスワローズだ。2000年よりアメリカ・アリゾナ州ユマから浦添にキャンプ地を移している。

では、浦添がプロ野球球団を誘致するまでにはどのような過程があったのだろうか。東京ヤクルトスワローズ浦添協力会が設置されている、浦添商工会議所の専務理事・浦崎 勝氏に話を伺ってきた。

キャンプを支える地元の協力会

プロ野球球団がキャンプを張る各市町村には地元民で構成された後援会が存在する。

ヤクルトの場合は「東京ヤクルトスワローズ浦添協力会」(以下、協力会)がキャンプ開催中にチームのサポートにあたっている。

その役割は前年の11月末からの打ち合わせに始まり、毎年キャンプ直前の1月31日に行われる交流会の企画・開催、キャンプが始まれば試合の運営やスワローズとコラボしたかりゆしウェアなどのグッズ販売まで多岐にわたる。

シーズンインしてからも神宮球場での開幕戦には協力会から神宮球場に応援に訪れている。夏場には冠試合「浦添デー」において、浦添の魅力の発信や沖縄からの応援ツアーの企画なども行っているため、ファンにも馴染みが深いだろう。2015年にポストシーズン進出した際には浦添でパブリックビューイングも開催した。

「優勝すると翌年の交流会やキャンプ地へのファンの集まりは全然違いますね。やはり結果を残すことでどんどんファンを獲得していくものだと思いました」

その年スワローズは14年ぶりにリーグ優勝を果たすわけだが、やはり目に見える形でのチームの好成績に伴って、キャンプ地を訪れる人も多くなるようだ。

その他にも協力会は浦添市民とスワローズの接点をつくるため、選手による子どもたちの野球教室を行っている他、球団へ働きかけを行い、浦添市にある少年野球チームを集めた大会「ヤクルトスワローズカップ」を開催している。優勝旗はヤクルト球団持ち出しで行われ、優勝チームは野球教室開催時に表彰されるだけでなく、キャンプ中に行われるオープン戦での始球式の権利を得られることになっている。

近年、沖縄の高校野球は沖縄尚学高校や興南高校などが全国大会でも優秀な成績を収めているほか、浦添からも浦添商業高校が甲子園に出場し、夏は1997年・2008年と2度ベスト4まで勝ち進んでいる。今後地元出身の選手がプロの世界に入り、キャンプで沖縄を訪れ、後進の憧れとなるようなサイクルができていく可能性があると考えると非常に夢のある話だ。

球場に隣接する室内練習場

浦添キャンプ誘致までの経緯

毎年東京ヤクルトスワローズの1軍キャンプは浦添運動公園内にある、浦添市民球場およびその周辺施設で行われている。

スワローズがキャンプ期間中、メインで使用する浦添市民球場は1996年3月に開場した。それに先立ち、1994年に浦添市ではプロスポーツ誘致検討会が発足させ、スポーツチーム誘致に動き始めた。

野球場開場に伴うプロ野球球団の誘致を念頭に置いていたが、その際にはJリーグクラブからも視察の要望があったという。誘致にあたってプロ野球は千葉ロッテ、西武、福岡ダイエー(当時・現ソフトバンク)、日本ハム、そしてヤクルトが視察に訪れた。

1996年に行われた浦添市民球場のこけら落としとなる試合を行ったのは日本ハムで、翌年の1997年には2軍がキャンプを張っている。

しかし、継続利用には至らず、それ以降は巨人の2軍公式戦の開催や2軍教育リーグ「ハイサイ・沖縄リーグ」などを開催することでプロ野球との接点を持ち続けた。

その間特に興味を示したのは福岡ダイエーで、交渉を行い、あと一歩のところまでこぎつけるも、またしても誘致には至らず。

何とかプロ野球球団誘致を実現させたい浦添市は自ら以前視察に訪れていたヤクルト球団へのアプローチを開始した。そして、最終的に1999年10月に誘致が正式に決定し、2000年から現在に至るまでヤクルトは浦添でキャンプを張っている。

野球場に少し遅れて屋内練習場も完成した。サブグラウンドや陸上競技場と合わせて使用することで、より効果的な練習が行える環境が整っている。