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榊道人が本場で感じた大切なこと。「自ら動かないと、進歩も学びもない」

2015.09.17 / 森 大樹

榊道人
 
R246ライオンズ、日本オーストラリアンフットボール協会所属に所属する榊道人は大学でオーストラリアンフットボールに出会い、本場・オーストラリアで2年間プレー。そして現在は、日本代表サムライズでも活躍中。
 

オーストラリアンフットボールとの出会い

 
――まず初めにオーストラリアンフットボールを知らない方も多くいらっしゃると思うので、簡単に競技についてご説明をお願いします。
 
楕円形のボールと競技場で行うスポーツです。サッカーのようなオフサイドのルールはなく、すごくプレーの自由度は高い競技だと思います。ハンドパスというボールをパンチする方法と、キックする方法との2つの手段でボールを運んでいきます。もちろん選手同士がコンタクトする激しさもありますが、それ以上に、楕円のボールを遠くの味方に渡すための高いスキルレベルが求められます。そのスキルレベルも毎年上がっていっているというのが現状です。
 
榊道人
 
――榊さんはオーストラリアンフットボールを始めるまで、どのようなスポーツをしていたのでしょうか。
 
小中学校ではサッカーをやっていて、高校ではボート部に入り、大学からオーストラリアンフットボールを始めました。当初は野球もやっていたのですが、小学校3年生の頃、週末にどちらをやるかを選択しなければならなくなったので、サッカーを選びました。
 
――現在もボールを蹴るシーンがあると思いますが、当時の経験が役に立っていますか。
 
ボールを蹴るスキルより、体を動かすこと自体や、仲間とチームスポーツをするという面で役立っています。
 
――なぜ高校では全く違う、ボート部に入ったのですか。部活動として高校からある学校も少ないと思います。
 
高校はサッカー部が強くなかったんです。それで体験入部の時に熱心に活動しているところに惹かれてボート部に入ることにしました。確か東京でも5~6校しかボート部がある学校はありません。練習場、学校、自宅それぞれ遠かったので、部活が終わって家に帰るのも夜遅かったです。
 
――しかし大学ではボート部に入っていません。
 
先輩にも誘われましたが、高校と大学が繋がっていたので、進学後の4年間も何となくどのように過ごすことになるか見えていました。自分はそれが面白くなかったのと、サポートする側に回ってみたいとも考えていたので、ボートは止めることにしました。それはもっと一人前になった人がすることではないか、と言われることもありましたね(笑)
 
――大学進学後にオーストラリアンフットボールに出会ったきっかけを教えてください。
 
大学に入ってから少し遊んでみたいと考えた時期もありましたが、やはりスポーツをしている方が充実すると思い、いろいろなところに見に行ってオーストラリアンフットボールのサークルに入ることにしました。
 
当時はまだ早稲田大学の学生だけではなく、他の大学との合同チームです。初めはスポーツバーのテレビで試合を見せてもらったのですが、僕の知らないスポーツがまだあって、しかもそれがオーストラリアではすごく盛んな競技であることに驚きました。そこに惹かれて僕も始めることにしました。
 
大学4年の時に初めてそれぞれの大学に分かれてチームができたのですが、それまでは学生チーム、OBチーム、オーストラリア人チームで戦っていました。僕らはその日本にいるオーストラリア人で組まれたチームに勝つことと、1年に1度オーストラリアに遠征に行った時に現地のチームに勝つことを目標にやっていました。
 
――今は国内ですとどのような形で試合が行われているのでしょうか。
 
現在は学生、社会人、オーストラリア人、それぞれのチームが同じリーグに所属しており、合計7チームでリーグ戦を戦っています。以前は大阪と名古屋のチームも一緒にやっていたのですが、遠征費用の確保や日程調整が難しかったので、今は分かれて試合を行っています。関東はそのままリーグ戦を行っていますが、関西では開催するのは厳しい状況になっています。
 
――それはプレーヤーの人数が少ないことも影響しているのでしょうか。
 
そうですね。大阪も名古屋もオーストラリア人の方が主体となってやっていますが、人が集まっていません。人を増やすことを考えると、日本人の学生が積極的にやってくれるといいとは思っていますが、なかなか難しいです。
 
駒澤大学には部活として登録できていますが、専修大学ではまだ公認サークルという扱いです。一番初めにチームができた早稲田大学と慶応義塾大学に至ってはプレーヤーがいなくなってしまいました。勧誘にも毎年行きますがうまくいっていません。僕も早稲田出身ですし、OBも多いので寂しいです。
 
――どういった競技をやっていた人がオーストラリアンフットボールの選手には多いですか。
 
今は本当に幅広いスポーツの出身者がいます。海外だと身長とハンドリングのうまさからバスケットボール出身や足の速さや持久力から陸上出身の選手を求める傾向にあります。その中でも特にオーストラリアのプロは力強さからクイックネス重視の方向にシフトしつつあるので、実は日本人にもチャンスが出てきていると思います。
 
榊道人
 
ラグビーやアメリカンフットボールと同様に楕円形のボールを用いる
 
――楕円形のボールを用いたラグビーやアメリカンフットボールから転向する選手が多いと思っていました。
 
もちろんタックルすることに抵抗がないという点ではそういった競技の人も向いているとは思います。ただ体を当てることよりもスキル面がより大切なので、ラグビーやアメリカンフットボールの時の癖が抜けないとそれを覚えるのが難しいかもしれません。
 
特にラグビーの場合はプレー中の視点がすごく細かいんです。一方でオーストラリアンフットボールはもっと大きな視点で見る必要があります。
 
――もしかしたらそういった競技出身の選手の方がやりにくさがあるかもしれませんね。
 

競技の本場であるオーストラリアへ

 
――そして大学卒業後はオーストラリアで2年間プレーをされています。
 
僕が大学1年の時にインターナショナルカップという世界大会が初めて開催されました。これはオーストラリアだけでなく、もっと世界に競技を発信していく目的で行われました。それ以降は3年に1度、開かれています。
 
僕は大学1年の時と4年時にもう一度インターナショナルカップの周期が回ってきています。その際にオーストラリアのプロチームのプレシーズンキャンプへのお誘いをもらったので、大学の先輩と2人で行くことにしました。そのキャンプ中に地方チームからお声がけ頂いたのでシーズン中はそこでプレーしました。
 
――それまで海外に行く経験はあったのでしょうか。
 
家族の仕事の都合でインドネシアに5年間住んでいたことがあります。小学校3年生の時に日本に戻ってきました。
 
――ではオーストラリアでも言語の問題はなかったですか。
 
すごく問題がありましたね(笑)聞く分にはいいのですが、自分の意思を伝えることができないんです。練習場所もリフレッシュするために毎回違っていたりするので、都度コーチに聞きに行っていました。本当は練習の時に言っているのですが、その場ではちゃんと聞き取れないからです。
 
――そうしないと次の日の練習に参加できないということですね。
 
しかも他の選手は練習場所まで車移動なので、僕は誰かに乗せてもらう必要があります。移動だと分かったら、他の選手に身振り手振りで乗せてもらう交渉をしていました(笑)毎回それが大変でした。キャンプは2ヶ月半ほど行われたのですが、結局僕らはその間一回も遅れずに練習に参加したので、最後は褒められましたね。
 
僕はおそらく中学英語レベルしか話せないのですが、それでも日常会話は何とかなるということが分かって、それは少し自信になりました。
 
――海外では特に榊さんのように自分で動くということが大切なんですね。そしてその後地方のチームに所属することになっています。
 
自ら動かないと物事は進んでいかないし、学びもないと思いました。地方のチームに移ってから、日中は現地の学校で日本語を教えるボランティアをしていたのですが、それも場が用意されていたわけではなく、チームの関係者と相談したりして、話が進んでいきました。自分でリクエストしていかないとできかったと思います。
 
地方には外国人はほとんどいないので、目立ちますし、それで嫌な思いをした経験もありました。今思うと生活面では常に少し緊張していたかもしれません。
 
――地方のチームに移ってからはどのように移動していたのでしょうか。
 
地方に移ってからは自分で車を運転していました。田舎のリーグの試合移動はかなりの長距離で、アウェイまで行くには100km以上運転する必要があります。朝早く出て、道に迷い、人に聞きながら無事にたどり着けるか半信半疑で運転していました(笑)でも都市部よりも娯楽がないので、チームも地域に密着しており、街の誇りとしてすごく皆さん応援してくれました。
 
田舎ではまだタフで当たりも強い、泥臭いフットボールをします。ルール上では厳しくなっているはずですが、未だに殴り合いも起きたりします。古き良きオーストラリアンフットボールがまだ伝統として残っているということです。なので、乱闘の時は全員参加という暗黙の了解があります。
 
――そのような時、審判はどのように事態収束を図るのでしょうか。
 
乱闘が始まったら、もう止められないので、ボールをプレーオンにしてしまいます。僕は初め、ボールの方を追いかけていました。あくまで試合ですから、それがいいことだと自分でも思っていました。しかし、ボールよりも乱闘の方に行かないと後でいろいろ言われることになります。チームメイトからは「なぜ乱闘に参加しない?」と言われ、日本語を教えていた学校の生徒からも「なんで先生は乱闘の方に行かないの?」と指摘されてしまいました(笑)男なら行けよ!という文化があるみたいです。そこからは反省して乱闘の方に行くようにしました。
 
榊道人
 
――でも屈強なオーストラリア人の選手を相手にするのは絶対怖いですよね。
 
オーストラリアンフットボールにはオフサイドがないので、基本的にマンツーマンで選手に付くのですが、アンパイアが見ていない間の小競り合いで体の小さな僕はやられてしまうこともあるんです。どうしてもターゲットになりやすかったのだと思います。でもその時はうちのチームのボスに報告するように決まっていました。そうするとその屈強なボスがやり返してくれるんです!やり返された相手選手は試合中にもかかわらず、うずくまっていました(笑)。
 
――最高のボスですね。
 
そうです!本当に頼りになります。
 
あとは相手選手からすごく汚い言葉を言われていたとチームメイトからロッカーで教えてもらったりもしましたが、僕が言語を分かっていないので、気になることはなかったです。その点では英語ができなくてよかったのかもしれませんね。
 
――でもそういうことを分かった上で試合を見ているとさらに面白いですね!
 
それでも怪我は怖かったです。幸い大きな怪我はしないで済みました。ただ何か体に異変があった時にそのニュアンスをうまく伝えられなくて苦労しました。例えば日本語で言うところの「キリキリ」や「ジンジン」などの痛み方をどう表現していいか分かりませんでした。
 
しかも怪我をすれば二軍に落とされ、一軍に上がるまでは少し時間がかかってしまいます。
 
榊道人
 
――チームとの契約はどういった形だったのでしょうか。
 
一軍にいれば一試合毎に200オーストラリアドル(日本円で約17,000円)の報酬がもらえます。しかし二軍に落ちると報酬は0です。だから落とされれば、ただため息をつくばかりです(笑)
 
――一軍と二軍では天と地ほどの差があるということですね。
 
怪我の治療費はかかりませんが、二軍にいる間も食費や家賃などの生活費は必要ですからね。
 
初めはガソリン代についても1週間毎にいくらか専用カードで支給されるはずだったのですが、クラブの財政状況が悪化したのか、後半は何回か催促しないともらえなくなりました。言えば渋々出してくれるという感じです。
 
田舎のクラブではスポンサーに小さな個人経営の飲食店などが付いていて、その試合で活躍した選手には地元の店で使えるクーポンがもらえたりするので、それは楽しみの1つでした。 
 
――食事面で苦労することはありませんでしたか。
 
そこまで苦労することはなかったです。特に昼はタダで日本語を教えに行っていた学校で食べさせてもらえました。私立のいい学校だったので、昼食もビュッフェのような形式になっており、そこでたくさん食べていました。生徒達も僕を知っているので、「ミチ、これ持っていけよ!」とお土産を持たせてくれていました。
 
榊道人
 
――2年間オーストラリアでプレーし、帰国後はどのように活動されているのでしょうか。
 
主に普及活動をしています。AFLからボールをもらって、教室を開いたりしています。
 
【後編】へ続く