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清水舞夏は、なぜセパタクローへ転向したのか? 決め手は「距離の近さ」

2015.10.13 / 森 大樹

セパタクロー。「足のバレーボール」と呼ばれるスポーツで、日本屈指のトサーとして名を馳せるのが清水舞夏だ。彼女はなぜ、他競技からセパタクローへの転向を選んだのか。本人に競技の魅力を伺った。

セパタクロー・清水舞夏
 
清水選手は写真中央
 
高校3年の時にセパタクローに出会い、競技を始めた清水舞夏。大学進学後は昨年の全日本ジュニア選手権で優勝、今年7月に行われた全日本オープン選手権では準優勝するなど、素晴らしい成績を収めている。
 

美容師からの紹介でセパタクローの世界へ

――まず初めにセパタクローという競技を知らない方もいると思うので、清水さんから簡単に説明をお願いします。
 
バレーボールを足で行うスポーツです。バドミントンとコートの大きさ・ネットの高さは同じです。バレーボールとの違いはローテーションがなく、ポジションが固定されていることと、1人で3回触ってもいいというところです。
 
あとはバレーボールの場合、ブロックの選手がボールに触れてもボールタッチの回数にカウントされませんが、セパタクローはブロックの選手に当たった分もカウントされてしまいます。
 
セパタクロー・清水舞夏
 
――分かりやすいご説明ありがとうございます!それでは遡ってこれまでの清水さんのスポーツ経歴を教えてください。
 
小学校2年生の時から兄の影響でサッカーを始めて、男子と女子の両方のチームに入ってやっていました。女子登録であれば男子チームの試合には出られるんです。男子チームは中学で辞めてしまいましたが、女子のクラブチームは高校まで続けました。
 
他の競技も中学の時は陸上をやっていましたし、実は高校ではボルダリングをずっとメインでやっていました。
 
――スポーツ万能だったということですね!
 
ボルダリングは大会に出るほど本格的にやっていました。
 
――なぜそのタイミングでボルダリングを始めたのでしょうか。
 
中学までサッカーをすることを親に強制されすぎて、高校ではやりたくなくなってしまったんです。私が所属していた女子サッカーのクラブチームは親が監督をしていたので辞めるわけにもいかず、練習は行くものの、高校時代はあまり真剣に取り組みませんでした。
 
一時はプロになりたいと本気で思った時期もありましたが、結局そこまでの結果を残すこともできませんでした。親には高校の部活もサッカーに関わることをするように言われましたが、無視して山岳部に入りました。それでほとんどボルダリングばかりやっていたということです(笑)。
 
――セパタクローとはどのようにして出会ったのでしょうか。
 
高校3年生の時に通っていた美容室で、担当の美容師さんからお客さんにセパタクローをしている人がいるという話を聞きました。私がサッカーをしていたことを知っていたので、やってみるように勧めてくれたんです。
 
当時は競技名すら聞いたこともありませんでしたが、先ほどの私の説明と同じように「足でやるバレーボール」だと言われた瞬間にやります!と即答しました(笑)それで練習場所を調べて体験しに行きました。
 
――決断が早いですね。即答した理由は何かあったのでしょうか。
 
元々リフティングをするのが好きだったというのはあります。ボルダリングもそうですが、人と違うスポーツをするのも好きなんだと思います。
 
――実際に体験しに行ってどのような印象を受けましたか。
 
体験しに行った福島セパタクローというチームをつくったのは、今も強化指定選手になっている(※)菅野瑞穂さんという方で、大学時代を東京でセパタクローをプレーしながら過ごし、日本代表として大会にも出場した後、地元に戻ってチームを立ち上げています。
 
早い段階でその選手のトップレベルのプレーを見ることができたというのは、本格的に競技を始める上で大きなことだったと今振り返って思いますね。
 
※菅野瑞穂選手:日本セパタクロー協会理事・強化指定選手。福島セパタクロー創設者。選手として第一線でご活躍すると共に、福島の農業復興の活動もしている。
 
――その段階で関東に出てくることは決まっていたのですか。
 
まだその時は決まっていませんでした。地元の大学に行く予定だったのですが、受験に落ちてしまって、後に神奈川大学に入学することになって初めて神奈川の方に出てくることになりました。当初は競技もボルダリングを続けるつもりでした。
 
――ではなぜセパタクローに転向したのでしょうか。
 
結局サッカーもボルダリングも一番になれないと感じたからです。サッカーはセンスのある人が周りにもたくさんいましたし、ボルダリングも小さいうちからやっている人はいて、高校から始めた私には敵わないと思いました。
 
もし何かをやるなら一番になりたいと昔から思ってはいましたが、自分の能力ではどうすることもできませんでした。でもセパタクローならもしかしたらできるかもしれないと思ったので、始めることにしました。
 
セパタクロー・清水舞夏

勝ちたいと本気で思ったら、あせゆることを想定しなければならない

 
――神奈川大学に通っている清水さんですが、現在日本体育大学(以下、日体大)のセパタクロー同好会に所属されています。それにはどのような経緯があったのでしょうか。
 
関東に来てからセパタクローをどこでやるか、Twitterなどで探していたところ、代表選手を始めとした皆さんがすごく優しくしてくれたんです。その中で(※)MASAさんに「明日日体大行くけど来る?」と誘って頂いたのがきっかけでした。
 
初心者なのに代表選手に練習に連れていってもらうなんてありえないですよね(笑)しかも日体大はすごくセパタクローが強いところです。でもやるからには一番強いところで挑戦してみようと思って、入ることにしました。
 
慶應義塾大学にも連れていってもらったのですが、男子しかいなくて試合に出られそうになかったので、やめました。あとは先ほどの菅野瑞穂さんの出身チームである、大山セパタクローにも連れていってもらいましたが、場所が遠く、通うことも考えて日体大にしました。もしかするとそうやってMASAさんにいろいろなところに連れて行ってもらえなければ、セパタクローはやっていなかったかもしれませんね。
 
※MASA(山田昌寛)選手:日本セパタクロー協会強化指定選手、SC TOKYO所属。日本セパタクロー界を代表する選手の一人。
 
――そんなに簡単に他の大学のチームには入れるものなのでしょうか。
 
私が入った時は今も女子の強化指定選手になっている当時上智大学に通っていた(※)川又ゆうみさんがいました。今私の2つ下にも違う大学の子が入っているので、意外と入れてしまうものです(笑)
 
※川又ゆうみ選手:日本セパタクロー協会強化指定選手。国立セパタクロークラブ所属。
 
――日体大へ編入することは考えなかったんですか?
 
それも考えましたが、日体大で勉強したいことがあるわけではなかったので、しませんでした。他の大学だから大会メンバーから外されるということもないですし。ただ、日体大にいれば世界大会に出るためのお金が出たり、公欠を使えたりするところはいいな、と思います。
 
――強化指定選手もいて、大会でも実績ある日体大のチームを初めて見た時の印象はいかがでしたか。
 
高校時代に行っていた福島セパタクローには大人になってから始めた人しかいなくて、結婚しているから毎週は練習に行けないという選手も多く、レベルとしてはそこまで高くありませんでした。
 
でも日体大のチームの練習に初めて行った時は本当にレベルが高くて、驚きました。「私の知っているセパタクローじゃない…」と思ったのを覚えています(笑)ただバレーボールなどの足を使わない競技出身の選手もたくさんいたので、私にもできるかもしれないとも思いました。
 
――過去の大会の成績を拝見しましたが、ほぼ賞を全て日体大で獲っているように見えました。
 
そうですね。最近の学生大会はほとんど日体大が獲っていると思います。勝ち進んでいって日体大同士で潰し合いになることもよくあります。
 
――同じ大学から複数のチームを出してもいいものなのでしょうか。
 
1大会に1つの大学から出せるチーム数に制限がないんです。多いと8チームも出すことがあります。
 
――チームを組む3人というのはいつも決まっているのですか。
 
日体大は少し特殊で、3年生のチーム幹部である主将とコーチがプレー面での相性を考え、相談して組み合わせを決めています。ただ他の大学やチームは組みたい人と組んでいることが多いとは思います。
 
セパタクロー・清水舞夏
 
――セパタクローを始めると言った時の周囲のリアクションはいかがでしたか。
 
親には「何それ?」と言われましたね(笑)ただ今までサッカーをやるように言われていたものの、私が他のことをやるというとそれなりには気になるようです。特に反対はされませんでした。ただ新聞の取材を受けて、それが掲載された時には高校の先生に驚かれましたね。 
 
――競技をする上で一番嬉しかったことを教えてください。
 
登録が2年未満の選手だけが出られるジュニアオリンピックカップという試合で2年生の時に優勝できたことが嬉しかったです。大きな大会での初めての優勝だったからです。
 
1年生の時にも先輩と組んで同じ大会に出ました。大会前にいろいろと作戦を立てたのですが、それまで私は先輩のように細かいところまで考えたことがなく、勝ちたいと本気で思ったらあらゆることを想定しなければならないということを学びました。結局その大会で優勝することはできませんでしたが、先輩から学ばせてもらったことを次の年に活かして勝てたのはよかったです。
 
――今まで成績を残した大会として大きなものを教えてください。
 
7月に出た全日本オープン選手権で準優勝しました。その大会には出場制限がありません。でも運がよかっただけです!決勝では散々で、上の人との差を感じました。
 
――反対に辛かったことを教えてください。
 
やめたいと思うことはありませんが、強化指定選手になって合宿などに参加するようになり、改めて他の選手との差を感じて悲しくなることはあります(笑)競技歴自体はありますが、本当に自分はまだまだで、もっと貪欲にうまくなっていかないといけないと思います。
 
あとはセパタクローを真剣に続けていきたいと考えたら、練習時間も確保しないといけないので、普通に就職するのは難しいですね。私も競技を続けられる環境に就職しないといけません。中にはアルバイト生活をしながら続けている人もいます。今まで自分の生活を犠牲にしてまで競技を続けてきた方がいるわけですから、それを私達も受け継いていなかければならないと感じています。
 
――清水さんのプレーにおけるアピールポイントを教えてください。
 
難しいですね…私のやっている(※)トサーというポジションはかなり地味なんですよ(笑)。強いて言えばメンタルは強いと思います。試合中にあまりブレることがないです。
 
※トサー:アタックする人にトスを上げるポジション。バレーボールにおけるセッターのような役割を担う。一見地味だが難しく、特に集中力が必要。トサーが弱いチームは勝てないと言われることもある。
 
――試合に臨む上でやっているルーティーンワークやゲン担ぎはありますか。
 
前の試合で勝った時に着ていたウェアを次も着るようにしています。逆に負けた時はもう着ません!特に靴下はそうです。
 
――そうするとどんどんウェアが増えていってしまいますね(笑)
 
その場合は練習用に回します。あとは大会前で緊張してテンションが上がってきてしまったらお菓子を作ります!
 
――どんなお菓子を作るんですか。
 
クッキーなどの簡単にできるものが多いですね。ソワソワしてきたらそれを食べて自分を落ち着かせます。
 
――憧れている選手はいますか。
 
先輩のトサーに(※)青木沙和さんという方がいて、その人に憧れています。一つひとつのプレーに対する強い気持ちを感じます。練習でも手を抜かないストイックなところを尊敬しています。
 
※青木沙和選手:日本セパタクロー協会強化指定選手、国立セパタクロー所属。日本の女子セパタクローを代表する選手の一人。
 
――ライバル選手を教えてください。
 
ポジションは違うのですが、同期に(※)内藤利貴というアタッカーがいます。彼は昨年のアジア大会にも出場していて、1年生の時から国際大会の代表にも呼ばれています。直接的に何かを争うわけではないですが、同期にそういった選手がいることで自分も負けていられないと思いますし、憧れでもあります。やはり同年代には負けたくないですよね!
 
※内藤利貴選手:日本セパタクロー協会強化指定選手、日本体育大学セパタクロー同好会所属。
 

死ぬまでには日本がタイにかつ瞬間を見たい

――清水さんの今後の目標を教えてください。
 
日本一のトサーになりたいです。私のポジションはできないことをいかに潰していくか、ということが重要です。追求していけば果てしないポジションなので、嫌になることもありますが、そこを乗り越えないとうまくなれないと自分に言い聞かせています。
 
そして自分がプレーしなくなった後もセパタクローと関わっていき、死ぬまでには日本がタイに勝つ瞬間を見たいです。正直自分がセパタクローをやっている間に世界一になれるとは思っていません。なぜなら国の中でのセパタクローに対する理解や認知度、環境も違うからです。でも時間はかかったとしても、あらゆる角度から日本でもセパタクローをサポートして頂けるようにしていき、いずれは世界一になっているところを見てみたいです。
 
――やはり日本と比べて海外は競技面で進んでいるのでしょうか。
 
実際にタイに行った時に、私の中で今までのセパタクローの概念が覆されるくらいの衝撃を受けました。タイでは日常の中にセパタクローがあるんです。公園にコートがあり、おじさんが集まってきて突然始めるわけです。そこまで人々に根付いている競技を私が大学から始めたところで勝てるわけがないですよね。
 
そこに勝つためにはセパタクローをもっと日本でも広めていかないといけませんし、続けたい人が続けていける環境を整えていかなければなりません。競技だけで食べていけるようにもしていく必要があります。
 
セパタクローができなくても日本では生活していくことができますが、タイや韓国にはプロがあって、それを仕事にしている人がいます。生活がかかっているとさらに競技に対しての姿勢は違ったものになってくると思います。
 
――せっかく才能ある人が競技を始めたとしても続けていくことができなければ、競技レベルの向上に繋がりませんし、すごくもったいないことですよね。
 
平日仕事をしながらであれば練習時間も限られてきますし、土日に行われる大会に出るための休みを取ることに苦労しているような状況では、まだまだ難しいですね。
 
ただ同じ環境に行けば日本人の方がうまくなるのではないかと感じています。例えば今日本人が速いサーブを拾うことができないのは、速いサーブを打てる人がいないからであって、それをできる人が現れて、練習でもレベルの高い球を受けられるようになれば日本人の方が体も大きいので、勝てるようになると思います。トレーニングをする環境も日本の方が整っていますからね。
 
――より多くの人にセパタクローを知ってもらうためにはどうしたらいいと思いますか。
 
セパタクローはボールと靴があれば、すぐに始めることはできますが、私も楽しいと思えるまでは時間がかかりました。特にアタックなどを実際に見ると、敷居が高い印象を受けると思います。やってみると意外とできるものなのですが、それに気付くまでがなかなか難しいかもしれません。
 
だからまずは私達が結果を残して、大学から始めてもここまでできるのかと感じてもらい、もっと早くから始めてくれる人が増えるといいですね。気軽に参加できる試合やイベントも増やしていきたいです。そうすれば例えば土日の大会に出られない人も平日に行われる大会に向けてのモチベーションを保つことができ、プレーヤーが増えていくと思います。
 
セパタクロー・清水舞夏
 
――アクロバティックなプレーがたくさん出るので、まずは観るスポーツとして浸透していくと競技を始めてくれる人も増えるかもしれませんね!
 
確かにそうですね!最近は蹴~kelu~というイベントを定期的に開催していて、渋谷のライブハウスで音楽に合わせてセパタクローをやったりする取り組みも行われています。
 
――清水さんご自身で思う、自分の魅力を教えてください。
 
寝たら全部忘れるところです。何かあっても基本的に寝たら切り替えられます。でも起きている時はそのことをすごく気にするので、すぐに胃が痛くなってしまいます(笑)。
 
――大切にしている言葉や座右の銘はありますか。
 
中学生の時の受験期に数学の先生から「不安を無くすことはできないけれど、小さくすることはできる。そのためには努力するしかない」と言われた言葉はすごく印象に残っています。本当にその通りだと思いました。
 
――それでは最後に読者の方へメッセージをお願いします。
 
この記事を読んで少しでもセパタクローに興味を持っていただけたらとてもうれしいです! 応援よろしくお願いします。