草の根から日本フットサルの興隆を。木暮賢一郎の父が手がける新たなビジネスとは

2017.09.29 AZrena編集部

Fリーグが開幕したのは2007年。10年が経った今、人々の間でもフットサルをプレーするということは身近になった。全国各地にフットサルコートが建設されているが、フットサルの人口というのは減っているという。そういった状況下、興味を持つが実際に競技を始めることのできていない新たな顧客に機会を提供することと、フットサルを楽しむプレーヤー達の活動を支援するために新たに出来上がったサービスが「みんサル」だ。

このサービスを運営するのはピープルソフトウェア株式会社。ソフトウエアの受託開発をメインに行うIT企業であり、一見、スポーツとは縁遠そうに見える。実はこの会社の代表取締役社長である木暮知彦氏は、日本フットサル界のレジェンド的存在である木暮賢一郎の父親なのだ。そんな日本のフットサルを黎明期から見てきた木暮氏に、今の日本のフットサル界の現状や課題、そして自身が手がけるサービスでどのような世界観を作りたいかを語って頂いた。

 

事業を始めた経緯の裏にいる、息子の存在

-みんサルというサービスはいつ始めたのでしょうか?

スマートフォンアプリ含めて本格的に始まったのは8月の上旬です。もともと弊社はフットサルコートのレンタル予約システムを7、8年前くらいからやっており、100以上の施設さんにご利用頂いておりました。ただ、最近の傾向としてチームで活動するには取りまとめ役の方が頑張らなければいけないこともあり、若い人の団体活動が少なくなってきたという現状があります。面倒くささもありますから。ここ2、3年は団体利用も少なくなってきたんです。

 

ただ、逆に個人参加型フットサルはチームに所属していなくても近くのコートにふらっと立ち寄って2時間プレーできる。7,8年前に競技フットサルをしており一度は離れた人が戻ってくるとい流れがでてきたんです。個サルの人口が増えてきているんです。女性だったら女性専用の個サルを探すとか、初心者ならば初心者を対象としたものがでてくるようになりました。

 

-個人フットサルは手軽に行けるのが良いですよね。

その中でも1つのコートに通うだけではなく、色々なところを回る人もいると聞きました。それだったら個サル専門のニーズマッチングみたいなサイトの需要もあるんじゃないか?と思って立ち上げたんです。また、フットサル人口が落ち込んでいるところの歯止めをかけたい、もう1回フットサルの人口を増やしていくとかそんなところに貢献できたらなということで始めました。本格的にやってる個サル専門のサイトは今のところ日本では弊社しかないのかなと。

 

-ただ、ソフトウエア系の会社である御社がこういった事業に関わり始めたのはどういう経緯があるのでしょうか。

私の息子である木暮賢一郎がフットサルをやっていたというのは大きいですね。私も元々サッカーが好きで、親子サッカーに関わっていたこともありました。いわゆるJリーグ発足の頃です。息子が競技を始めたときはまだメジャーではなかったのですが、この世界を応援したいと思ったんです。私自身はIT企業に務めていたので、簡単にコートを予約できるシステムなんかがあればフットサルの応援もできるんじゃないか、と。そういうところから始まりました。

みんサルでは地域やレベルなどから自分にあったフットサルコートを探すことができる。

 

-メジャーではなかった時期もあるのですね

時期的にいうと最もフットサル施設が増えたのは2002年の日韓W杯あたり。サッカーも盛り上がり、あれを見てボールを蹴りたいと思う人が増えました。ただ、サッカーをやるのは11人必要でグラウンドも借りないといけない。そういう中でフットサルも流行ってきたんです。基本的には競技フットサルと楽しむためのエンジョイフットサルがありますが、競技フットサルはどちらかというとサッカーで名を成したかったのだけど叶わなかった人たちが集まっていく流れがありました。そういうこともあり、サッカーでスキルがあった人たちが競技志向のフットサルに移ってき始めたんです。当時は地域リーグとかの整備がない頃だったので“スーパーリーグ”という私どもが立ち上げた民間リーグがあったのですが、それをサッカー協会に先駆けて立ち上げました。そんな活動をしていた中で競技フットサルが注目を浴びるようになって、同時にエンジョイ系の人達も使える施設がたくさんでき始めた。そういった流れで人口が増えてきたという歴史があります。

 

衝撃的だったフットサルの“面白さ”

 

-木暮さんがフットサルに関わったのも、息子さんが大きかったのかなと。

息子はヴェルディの下部組織でやっていたのですが、当時はすごく小さかったんです。中学2年くらいの頃は非力でなかなかレギュラーにもなれませんでした。そういうこともあって、ユースに上がれなかった。そこから湘南工科大学附属高校に進学をしてサッカー部に入ったのですが、選手権は出られませんでしたね。ちなみに実家が近かったのと僕自身が富士通出身ということもあり、フロンターレのユースのセレクションも受けたのですが通りませんでした。

高校を卒業して大学に行き、サッカーをどうするかと悩んでいたところ、たまたまどこかの練習場でフットサルをしたら彼自身に合ったのでしょうね。そこから彼のフットサル人生は始まったんですよ。僕もヴェルディの時代からよみうりランドの練習場まで車で送り迎えをしていました。それでだからほんとに車での送り迎えは、僕が行けないときは女房が行ってましたね。当時は子供と言えど練習が終わるのが夜9時か10時。『将来はJリーガーになるんだ!』という思いもあったので、応援も随分していました。ただ、フットサルなんて知らなかったんですよ。

 

-フットサルとの初めての出会いはどこなのでしょうか?

横浜のセンター北というところにフットサルコートがあり、そこで活動しているウイニングドッグというチームに息子は入っていました。そこで大会があるからということで見に行ったんですよ。初めてフットサルを見たのですが、その面白さに衝撃を受けました。狭い中でどうやってスペース使うのか、どう頭を使っていくのか、というところが非常に興味深かったんですね。そこで僕がスポンサーになって、彼はプレーを続けて代表に呼ばれ…という形ですね。

 

みんサルを通じて様々なフットサルの形を提案

-女性のプレーヤーというのは当時は少なかったと思いますが、今はけっこう増えた印象があります。

それはまずフットサルでいうと用品のアスレタさんがユニフォームを競技用みたいなものではなくておしゃれなものを出して、そのままフットサルに行けるという。アスレタさんの影響はすごく大きかったですね。男性用も女性用も爆発的に売れましたから。

 

-ウェアから入ってフットサルをしたいと思った方にもみんサルを使ってもらえると良いですね。

そうですね。ですから、施設さんに言ってるのはリピートの人ばかりだとその時は安定するかもしれないけど、飽きられる可能性もあると。だから、常に新しい人たちを巻き込む。それこそ女性やお子さんとか初心者向けのレッスン付き個サルを提案することもあります。そうやって個サルの種類が増えてきたことはサービスを運営するにあたっても嬉しいことではあります。

 

-施設側へ提案もするのですね。逆にお願いされることもあるのですか?
特にあるのはイベントですね。女性専用個サルで新しい顧客を開拓したいのだけど、どうしてもうちのスタッフではなかなかできそうにないと。そういう中でULVOの山本さん(※)にも協力をしてもらって実際に動いてもらっています。他にも『学生を集めたい』『新しい人を呼び込むための企画をみんサルでやってほしい』など、そういう要望は多いです。施設としてはある程度リピーターの顧客は確保しているので、それ以外をどう集めるかというのが課題。これからは個サルの予約人数を集めるだけではなく、コンサルティングも強化していかないといけないですね。Fリーガーの選手を呼んで施設の知名度を上げるということはやっています。稲葉洸太郎選手が作った会社も積極的に動いています。彼は施設も持っていますが、そういう部分が最も求められているところだと思います。

 

※日本最大の女性フットサルコミュニティ。 参考記事:コミュニティでフットサルをブランディング!ULVOが社会に生み出す価値。