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日本人初のレアル・マドリード職員、酒井浩之がその座をつかむまで

2017.10.19 / 山本 一誠

酒井浩之氏
「履歴書も全部スペイン語で書いて、電話番号をでかでかと書きました。レアル・マドリードがCLで優勝した次の日、朝8時くらいに会社に行って警備の人に開けてもらって、オフィスのほぼ全員の机に資料と履歴書をファイリングしたものを置きました。」(酒井浩之)

 

NPO法人スポーツ業界おしごとラボ(通称・すごラボ)の理事長・小村大樹氏をホスト役として行われている「すごトーク」。今回のゲストは酒井浩之氏です。酒井氏は2015年にレアル・マドリード・スポーツマネジメントMBAコースに日本人として初めて合格。その後インターンシップを経て、ニューメディアビジネス コミュニティ・マネージャーとして、同年の同MBAコースから唯一となる選出にて職員になった経歴をお持ちです。
今回は酒井さんから、レアル・マドリードに入団するまでの経緯や裏話、そこで得た知見などをお話いただきました。

経営とサッカーの両立。人材育成に表れるレアル・マドリードのメソッド。

 

僕は2003年に日本大学法学部を卒業し、広告代理店やスポーツメーカーなどで働いていました。しかし転機が訪れ、レアル・マドリードの大学院に飛び込むことになりました。レアル・マドリードの大学院(MBAコース)は狭き門なので、入学できたのは幸運としか言いようがありません。僕は10期生にあたるのですが、今まで日本人の留学生はいなかったそうです。そういったことや僕の過去の職歴なども見られて、入学させてくれたのかなと思います。とにかく、僕としては試験を受けてみたら受かった。その時点でこれは行くしかないだろうと思いました。

そもそも、なぜレアル・マドリードはMBAコースを学生に提供しているのでしょうか。日本で大学院を持っているクラブや球団はありません。まずはその点についてお話します。
実は、レアル・マドリードは財政難だった時代があります。フロレンティーノ・ペレス会長が就任し、フィーゴがバルセロナから加入して“銀河系軍団”と呼ばれるようになったのが2000年頃。しかし、そういった輝かしい時代を迎える以前は、レアル・マドリードも経営が大きく傾いていたんです。
そこから、経営とサッカー、両方の知識をバランスよく兼ね備えた人材を育てなければ、同じことを繰り返さないようにということで2006年にレアル・マドリードの大学院ができたんです。
では次に、そのMBAコースで僕がどんなことを学んできたかをお話します。

まずレアル・マドリードが考えたのは、“試合がなくても売り上げを生むにはどうしたらいいのか“ということです。去年の試合数は、リーガでのホームゲームが19試合、国王杯は3回戦で負けてしまったので3試合しかありませんでした。チャンピオンズリーグで、ホームのサンティアゴ・ベルナベウで開催されたのは6試合で、チャリティーマッチがシーズン後に1試合。それからレアル・マドリードのアンセムを歌っている世界的なテノール歌手プラシド・ドミンゴ氏のイベントが1回ありました。これらを全部足すと30日。1年365日の中で、ホームで試合をするのはたった30日しかないんです。割合で示すと10%も割り込んで8.2%。つまり90%以上は試合が開催されない。

芝のコンディションを保つためでもありますし、御存知の通り大規模なスタジアムなのでイベントを運営するのにもお金がかかります。では残りの335日は何をやっているのかというと、何もやっていなかったんです。これでは収益性という面で厳しい。何かしないといけないですよね。ここがレアル・マドリードのMBAで「頭を使うところ」と言われたところです。

試合が無い日も一日過ごせるスタジアム

では実際にレアル・マドリードはどんなことをしたのか。まず、「ベルナベウツアー」というスタジアムツアーをやりました。選手が使うベンチやシャワールームなども全て公開したんです。このツアーは参加費が1人につき2,500円くらいなんですけど、一日の売り上げが1,000万円を超えている日もあると聞いたことがあります。

そして、ピッチを見ながらご飯を食べられるレストランを作りました。このレストラン、良い料理人を呼んできたのでめちゃくちゃ美味しいんです。味が良いので有名な政治家が来ることもあります。今や世界中から人が来るようになっているので、平日もほとんど予約が取れないですね。
そしてアディダスショップ。実は、マドリード市内に多くの品揃えを持つアディダスショップは2店舗しかありません。そして、スタジアムに入っているこのショップがマドリードで一番大きいんです。つまり『アディダスのものが欲しいのであれば、サンティアゴ・ベルナベウに行ってくれ』ということ。アディダスはレアル・マドリードのスポンサーなので、スポンサーシップという面から見てもwin-winの関係性です。

欲しいアディダスの商品が手に入らない。だからみんなここに来る。ここに来ると横にはレストランがある。ツアーもある。そうすると朝から一日、ここのスタジアムで過ごせてしまうんです。それも試合が無いのに。こういうメソッドが、お金を生み出すスタジアムの活用方法ですね。

 

日本の事例が授業に登場

蛇足ですが、実はMBAの授業内で、日本のスタジアムの話題も出たことがあります。新国立競技場の件や、DeNAが横浜スタジアムを改築するといったこと。それらがスペインでも授業の題材として取り上げられているんです。こうした事例がスペインと大きく違うところは何かというと、誰が所有しているのか、というところ。向こうは基本的にチームが所有者なんです。でも日本の場合は多くの場合、チームではなく自治体です。

今のスペインは経済状況が悪くて、生活が困窮してしまっている。そんな中で運営していかなければいけないので、最初に考えることはお金のことなんです。どうやって収支をプラスにすればいいのか。
一方で日本は自治体がスタジアムを持っているから、お金のことが必ずしも最初には来ないんです。かたや向こうは最初から命がけで経営を考えている。ここは大きな背景の違いだと思います。

酒井浩之氏

 

情熱と幸運で掴み取ったレアル・マドリード行きの切符

レアル・マドリードは2016年の5月の末にUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦を戦って、PK戦までもつれた末にアトレティコ・マドリードを破って優勝しました。
決勝戦に進出したところで、勝てば日本行きが決まる※。そうなれば日本人のレアル・マドリード関係者は僕しかいないので、僕にとって大きなチャンスになると思っていました。
※(注:UEFAチャンピオンズリーグの優勝チームにはFIFAクラブW杯の出場権が与えられ、2016年のクラブW杯の開催国は日本だった)。

過去の職場の先輩、サッカーの先輩・後輩など…本当にありとあらゆるところに連絡して、ネタをかき集めて、僕だったらこういう相手とこういうビジネスをするというスライドを80枚くらい作って、120部くらいカラーコピーしました。

履歴書も全部スペイン語で書いて、電話番号をでかでかと書きました。レアル・マドリードがCLで優勝した次の日、朝8時くらいに会社に行って警備の人に開けてもらって、オフィスのほぼ全員の机に資料と履歴書をファイリングしたものを置きました。みんな多分、会社着いた途端に(何これ?)と思ったでしょうけど、そういうことをやったんです。

そしたら次の日学校から電話がかかってきて、お前に連絡が来ていると。その連絡を受けてから大至急外に出て、サンティアゴ・ベルナベウの中の6畳もないような小さな部屋で待っていたら、いきなりクラブの偉い人が入ってきて、『よろしくね』なんて言われました。僕としては「何のことだろう?」みたいな状況で…。これは、大学院生という立場からステップアップし、レアル・マドリードでのインターンシップをさせて頂けるということだったのです。

 

「日本人である」ことをハンデからアドバンテージに。

日本語以外の言語を勉強する、っていうのは世界で仕事をしたり、スポーツで仕事をしていく上ではマストで必要になります。本場に行くなら外国語は絶対に必要です。

5月にインターンシップが始まって、12月にクラブW杯が開幕する前。僕がプレゼンしたのは、日本人は外国語がわからないから日本語で様々なプロモーションやるべきだ、ということです。周囲の反応は『外国語がわからない?そんなわけがないだろう』と。スペインでは、日本のような経済大国において英語を話す事ができない人が多くいるなんてありえないと思っている。だから僕はその時のプレゼンでも、”そんなことはないだろう”などとけちょんけちょんに言われました。

ところがクラブW杯でたくさんのスタッフに来てもらったら、周囲の反応が変わった。『ヒロの言うことは本当だ!日本人は本当に言葉が通じないぞ!レストランでは英語も通じなかった!』って。
そして1月の半ばくらいに僕がスペインに帰ってきたらすぐに呼ばれて、その場で正社員契約です。だって日本のことがわかるのって僕しかいないじゃないですか。『今までごめん』と言われました(笑)。

インターンシップの時期は『サカイはこの件についてどう思う?』と聞かれていたのが、正社員契約をした途端に『日本ってどうなの?』って聞かれるようになりました。単なる一人の人間のサカイではなく、日本代表のサカイなんです。素直に嬉しかった。一人の人間として認めてもらえたと思いました。

それから語学に関して僕の目から鱗が落ちたのは、カナダから来ていた友人の一言。彼はスペイン語も英語もペラペラなんですが、彼に言われたのは『お前はちょっと英語とスペイン語を身につければ、3つ言語が話せることになる。

俺たちは日本語なんてそう簡単に身につかない。これは非常に大きな武器になるはずだ。マインドを切り替えろ』ってそう言われたんです。僕はその言葉でスイッチが入って勉強したんですよ。毎日スペイン語を聞いたし、毎日スペイン語で話しかけました。そうするとだんだん話せるようになってきます。

レアル・マドリードに入った時は全くスペイン語がわからなかった。でも調べようとして携帯を見てしまうと、そっちにばかり集中してしまうからダメなんです。だから僕は会議の時も携帯は伏せたまま、顔を上げてひたすらずーっと聞いていました。それは街中に行ってもそうでしたし、お友達と遊ぶ時もそうでした。

今はスマホというツールがあって翻訳アプリもありますけど、僕は1つ1つ調べて自分で勉強した方がいいと思う。なぜならその方が身につくから。身についてしまえばスマホが無くても平気になるし、人と話している時にポンって言葉が出てくるようになるものなんです。

 

特別なクラブ、レアル・マドリードで働くという誇り

レアル・マドリードは普通の街クラブではありません。日本でいう皇室のようなところ。だから自分たちからブランディングすることは基本的にしないし、レアル・マドリードが広告を出すということも一切しない。

そして、誰でも就職できるクラブではないので、情報機密も本当に厳しいです。

名刺交換も迂闊にしちゃいけない。というより、そもそも名刺を持っているのも本当にごく一部の人間だけです。日本の常識からすると正直言って訳がわからないですけど、そのぐらい厳しい世界なんです。
ただ、そういう世界だからこそ、そこに日本人として、そして一人の人間として関われたのは非常に光栄ですし、得られたものも非常に大きかったと思っています。