岩政大樹も重要視する「失敗力」。失敗を恐れず挑戦し続ける意義とは
慶應義塾大学鈴木寛研究会が主催する「KEIO Future Sports Conference」の第1回が都内で9月21日(木)に開催された。
本プロジェクトは、鈴木寛ゼミ所属の体育会ソッカー部の選手が中心となって企画運営を行った。慶應スポーツにスポットライトを当てており、これからの体育会のあり方と可能性を学生たちが主体となって模索することが、本プロジェクトの狙いである。プロジェクトにはリーダーである現在社会人の会田直浩氏(昨年度鈴木寛ゼミ長)や体育会でない学生も関わっており、初回のカンファレンスは、運営メンバーと関わりの深いサッカーが題材となった。
このイベントでは、サッカー日本代表経験もある岩政大樹選手をはじめとした、スピーカー3人によるトークセッションが行われた。
トークセッションのテーマは「失敗力 〜体育会が学ぶ失敗力 なぜ今、失敗が求められるのか?〜」。慶應義塾大学体育会ソッカー部に所属しながら一般社団法人ユニサカで理事を務める原田圭氏をモデレーターに、スピーカーそれぞれが自身の経験も交えつつ、熱い議論を交わした。失敗することは悪なのか、失敗から何を学ぶのか。
今回の記事では、その白熱したトークセッションの模様を抜粋してお伝えしたい。
☆登壇者
岩政大樹(プロサッカー選手・東京ユナイテッドFC所属)
人見秀司(慶應義塾体育会ソッカー部コーチ/東京ユナイテッドFC共同代表)
須田芳正(慶應義塾大学体育会ソッカー部監督)
その場面で何があったのかを放っておかない
-今回のテーマである「失敗力」について伺います。岩政選手にとっての大きな失敗はどういったものだったのでしょうか?また、失敗経験はその後にどう生かされましたか?
岩政:失敗というか、挫折という点で言うと、大学2年生の頃に怪我をしました。それから2、3ヶ月、サッカーが出来なかったことが1番印象に残っています。サッカーをやっていてそれ以外での大きな失敗はあまりないです。
なぜかというと、失敗というものはサッカーをする上で毎日たくさん起こるものだと思っているからです。僕が大事にしていたのは、大きな失敗よりも毎日の小さな失敗をどう捉えるか。2時間の練習をすれば、少なくとも10個は失敗が出てきます。失点した、しないというような結果ではなく、どこかに甘さがあったのに、それを流してしまったということ。
僕はちょっとしたことを、なぜ失敗したのだろう、自分がどこに立っていれば良かったのか、他の選手はどこに動かしたら良かったのか、どういう声をかけてあげれば良かったのか。そういう小さな失敗をどこまでも掘り下げていくみたいなことは、結構やっていますよ。大きな失敗や挫折があったから次に向かえるというよりも、毎日のちょっとしたことを大事にしています。
-プロの世界でも、小さな失敗を振り返るかどうかで差は生まれますか?
岩政:全然違いますね。むしろ、そこでしか差はつかない気がします。同じ現象でも、どう捉えているかはサッカーにおいて人それぞれです。
でも、まず掘り下げる作業をしないといけない。それによってどこまで目が向けられるかが全然変わってきます。高校、大学の時にプロのレベルで考える必要はないですけど、考える習慣、原因を探る習慣をつけておかないといけないですね。
幸運にも僕はその場面で何があったのかを僕は放っておかないタイプだったのですが、伸びていく人はみんなそういうタイプなのかなと思います。
-人見さんはいかがでしょうか?
人見:僕は1年生の時に大きな怪我をして、結局復帰できずに学生コーチになったんです。挫折ではありますが、あまり失敗だとは思っていないです。
学生時代に、もっと色々とやっておけば良かったという失敗、後悔はあります。練習がオフの時は他の部と交流をするとか、ゼミに入って勉強して、自身の視野広げるとか、サッカー以外余計なことをしない方が良いと勘違いしてました。サッカー以外で学ぶ機会はたくさんありますし、学生の特権だと思います。
-須田さんは、監督という立場になりますが、どういったものを失敗と感じるのでしょうか?
須田:まずサッカー自体がミスのスポーツです。ミスがなければバスケットボールのように50点とか100点が入るので、そのスポーツを指導している人間なので、ミスは死ぬほどあります。
それでも周りの人が助けてくれたんだと感謝しています。物事には失敗や挫折はつきものだし、その半生の教訓を生かして成功につなげていけば良いのであって、失敗というのは大したことないんですよ。人生を変えるような失敗はまずいかもしれないけど、ちょっとした失敗は全く問題ないのではないかと。その失敗をした後に反省して、改善して、成功につなげていくことを考えるほうが重要ではないかと思います。
サッカーではハーフタイムの監督の言葉や振る舞いで、後半のプレーが全く違ったものになることもあると思っています。
ある試合で守備から入ろう、前半はゼロでいこうと言って、選手たちを送り出したんです。そうしたら0対2で戻ってきたんですよ。プレー自体もひどくて、守りの意識もなかったんですね。それでひどく怒ってしまって。選手たちは萎縮して、おそらくパニック状態になったと思うんです。「負けたら承知しないぞ」というようなことを言って後半に送り出したら、0対6です。後半に4点を入れられました。それで終わった後は、やりすぎたな、失敗したなと思いました。
岩政:指導者から受ける影響は良いもの悪いものもあります。
サッカーはたくさんのことを考え、判断するスポーツじゃないですか。
失敗で何を学ぶかというと、判断することを学ぶんです。失敗した時に、良い失敗と悪い失敗は何が違うかと考えるんですけど、その時に判断があったかどうかだと思うんです。
例えば今の須田さんの話なら、その時に怒るという選択肢しかなかったことが問題だと思うんです。怒ることが問題ではなくて、“怒るor怒らない”という選択肢を自分の中に持って、自分で判断すれば伝わるんだと思います。それが1つの状態になっている時は、相手に伝わらないんですよ。そうじゃない選択肢を含めて2個持たないと判断することにはならないですから。
選手の立場からすると『俺はこういう人間だからこうだぞ』と接せられるとすごく嫌なんですよ。でも、厳しくことを言われてもそれが奥行きのある人の言葉であれば、「あえて僕のためにしてくれているんだな」とは感じられます。向こうのやり方を押し付けられると、逆に反発が生まれてしまいます。レフェリーもそうですよね(笑)。そこの幅を持っていることはすごく大事だなと思います。
-社会人として体育会での学びから生きたこと、生きなかったことはありますか?
人見:最近、世の中は失敗させないよう、させないように教育してきている気がします。子どもにスポーツをさせていて、良いなと改めて思うことは「すごくリーズナブルに失敗できる」こと。劇的に人生を狂わせるような失敗ではなくて、いろいろな挫折を学ぶという意味では、スポーツの力は非常に大きいのではないかと思っています。
TOKYO UNITEDの理念の一つに、“文武融合”があります。あえて文武両道とは言っていません。両道だとどちらかを選ぶというイメージが強いので、両方を同じ時期に学んで融合させることが大切だと思っています。ビジネスマインドを持ったアスリート、アスリートマインドを持ったビジネスマン、要はタフで、ハードワークできて、インテリジェンスを備える人材を輩出したいと考えているので。
今言った要素のある人は、どこに行っても使える人材ではないかと思います。さっき(岩政)大樹が言ったような判断を繰り返して、チームのために仲間とコミュニケーションを取るというのは大事だと思います。
会社組織に入ると、好きな人だけとビジネスできないですし、苦手な人のところに行かないといけないこともあります。そんな時にどうしたらいいのかを考えてアプローチして、コミュニケーションを取るというのは、体育会組織でもよくあるケースで、経験が積めるのではないかなと思います。
須田:今の教育に欠けているものは、トライアンドエラーの考え方だと思うんですよね。物事は失敗と挑戦を何度も繰り返して、成功していくことだと思うんです。それで、失敗をするということはトライをしていることだと思うんです。トライをしなければ失敗はありえないし、失敗した時のダメージばかり考えて、挑戦せずに逃げ道ばかり探している、トライすることすらしなくなることはマイナスだと思います。
監督として、とにかく学生たちには失敗しても良い環境を作ることを心がけていて、失敗して叱るのではなくて、トライしたことに褒めてあげる。そういった雰囲気を作って、指導することが大切だし、失敗を恐れない人材を育てることが大切ではないかと思います。
気づいている人間が発信をしないといけない
-プロとアマの判断力で、具体的な差はありますか?
岩政:僕はJ1からあえて最後はカテゴリーを落としながら過ごしたのですが、違いを知りたいという思いがありました。トップに上がっていける人と上がっていけない人の差が見たいと思ったんです。ただ、技術や体力の差は多少あっても、ベースは正直、そこまで変わらないです。
それよりも、サッカーをすることの捉え方が違うんです。上のレベルにいけない選手の多くは、チームとしてのやり方はこうだと決めてもらったら、それを愚直にやるだけなんです。
チームとしてやることは試合前に伝えないといけないのですが、試合が始まって10〜15分経てば相手のやりたいことも見えてきて、選手の特徴、調子も分かってくると。上に行ける人たちはチームでの役割を最低限やりながら、自分でどうしようかということを判断して変えていくんです。やってみて、また成功と失敗が出てきて、90分の中でそれを何回もやるんです。
試合が始まって終わるまで同じことをやって、上手くいかずに壁にぶつかったままずっと繰り返しているだけでは先へ行けないと思います。その都度で判断をしてかえていくのと1個しか選択肢を持っていない状態で90分をやるというのは、すごく大きな違いだと思います。
人見:それだと、ゲームをコントロールしていないことになるんですね。
岩政:ゲームをコントロールしようという概念がないのかなと思います。どうコントロールするかということを言ってしまうと、またそれしかやらなくなってしまうかもしれない。日本人の性格もあるのかもしれないですけど。トライアンドエラーで、まず試してみて、ダメだったらまた考えれば良いというくらいの発想が、良いと思います。
人見:カテゴリーが低いところの決定的な差というか。大樹が言っていたのは、時間が経つにつれて、自分たちと相手の情報量は増えていくんです。崩し方の選択肢は増えていくのに、どんどん雑になっていくというか、体力的なところよりも、頭の中が思考停止していくところはあると思っていて。仕事も同じで、何か現象が起きた時に考えて、行動を起こすかどうか。ダメなのにずっと同じ攻撃をやっていくと、相手もそれを学習する。
岩政:気づいている人間も、発信をしないといけないんですよね。
人見:試合終了後に「今日の試合はどうだった?」と聞いて、『裏に抜ければ良かった』と言っていても、なんでそれを試合中に言わないのかと。なぜ周りに発信しないのか?それって、仕事も同じじゃないのか?と選手に指摘するあたり、大樹はすごいなと思います。
先日、大学選手権8連覇中の帝京大学のラグビー部の練習を見に行く機会がありました。個々の選手のクオリティが高いのだろうけど、8連覇は尋常ではない数字ですよね。一体、どんな練習をしているのだろうと思ったのですが、意外と普通というかシンプルでした。ただ、1つだけ決定的に違ったのは、練習の合間に選手同士が意図的にコミュニケーションを取って、今起きている状況をどう分析して、次のプレーにどう切り替えるかを追求してやっているんです。学年関係なく、各自で意見を言い合う。そういうトレーニングをしているので、試合全体を通して、悪い流れの時間帯を短く断ち切ることが可能となり、あまり大崩れはしない。そして終わってみたら勝っているという状態を作り続けているんです。
結局やるのは選手で、選手が判断して問題解決をする。気づいた選手が情報発信して、周りを動かすことを繰り返しできるかというのは、ビジネスマンも同じですよね。
-岩政選手は、セカンドキャリアについて思うことはありますか?
岩政:プロ選手はどうしても注目されるので、ファーストとセカンドに分けられるんですけど、僕からすれば1つの人生なので、それを分ける必要があるのかというのは思います。サッカー選手をやりながらいろいろなことをやるというのは、ヨーロッパでは当たり前の話ですから、セカンドという風に分ける必要はもうなくなる時代になると思うんです。
セカンドキャリアに対しても、自分の中でいろいろな準備をして、選択肢を持つことが大切だと思います。多くのサッカー選手は、1つしか選択肢を持たずに、他のことをやらずになんとなく引退を迎えて焦るんですけど。その時に、あえて選択肢の中でこれをやっていたんだとすれば、また他の選択肢なんて次にすぐ見つかると思うんです。それを何かこだわりを持って選択肢を狭くしてしまって、持たないことが大きな問題になってくると思います。
-岩政選手が思う、引退後もかっこいいと思えるような人物像を教えてください。
岩政:力が抜けている男がかっこいいと思っています。
それはバランス感覚が整っている人間だと思っているのですが、力が抜けたバランスは、1回何かに振り切らないと得られないと思うんです。
若い人たちは振り切って色々とやってほしいなと思います。ただ、どこかで行き詰まったり、失敗したりすると思うんです。そこから戻ってきた時に力は抜けるのかなと思います。
30〜40歳になった時、ふと自分の今までを振り返って、突き抜けた人には分かる瞬間があるんです。僕は32歳くらいの時に、「俺が今までやってきたことはつながっているんだな」とプレーしながら思ったんです。この感覚になると、力が抜けてくるんです。僕はその瞬間に、サッカー選手をやめようと思って鹿島を抜けました。サッカー選手で学ぶことがなくなると思ったんですよ。なんとなくの感覚ですが…。
今は35歳で、将来何をやるのかと聞かれるんですけど、実は何も決めていません。指導者になるのか、解説者になるのかも分からないですし、何も決めずに新しいことをたくさんやって、その先に何かやることを決めようと思っています。今は若い時と同じような感覚なんですけど、その繰り返しが人生は楽しいなと思っています。サッカー選手をやめた後の自分で突き抜けて、また力が抜けた自分に戻ってきたいと思っています。