【前編】大怪我が想いをより強くさせたー。長期離脱を乗り越え、復帰を目指す府中の頼れるキャプテン

2015.02.27 AZrena編集部

宮田義人

 

今回はFリーグ・府中アスレティックFCのキャプテン、宮田義人選手にお話を伺います。今シーズン、府中はリーグ戦最終節までプレーオフ(リーグ戦5位までが進出)の可能性を残しながら7位と惜しくも進出を逃しました。3月6日から行われるプーマカップでの雪辱に期待がかかります。そのチームの中心である宮田選手のプレーとキャプテンシーに注目です。

 

中学の先生との再会をきっかけに、府中アスレティックFCへ

 

-まずは宮田さんのスポーツ経歴を教えてください。

小学校1年の時に水泳とサッカーを始めました。土日はサッカー、平日2日くらいは水泳という生活でした。水泳は兄と姉もやっていたので、親にやらされる形で始めたのですが、記録会でいいタイムが出たこともあり、1年間選手を目指すコースにいたこともあります。ただ、やはりサッカーの方が好きでした。

サッカーは地元の調布イーグルスというチームで始めました。小学校3年生の終わりにそこのチームメイトがヴェルディ川崎(現J2東京V)のスクールに通っているという話を聞いて、自分も入りたいと親に相談したところ、ちょうど下部組織のセレクションがあるということで受けさせてもらいました。無事に合格できたので、水泳でなく、サッカーの道を選ぶことになります。

 

-中学からはずっとサッカーですか。

はい。中学校まではヴェルディの下部組織にいて、高校は本郷高校に進学しました。スポーツ推薦で入ったのですが、同級生には水泳の北島康介選手がいます。大学は国士館大学に進学しました。

 

-そこからフットサルを始めたきっかけを教えてください。

地元の仲間が趣味で集まってフットサルの大会に出ていたところに、僕も練習が休みの日などに助っ人という形で参加させてもらっていたんです。府中はフットサルがすごく盛んな街でお正月には毎年市の大会が開催されています。その大会は歴史も長く、年齢別に参加区分があって、小学生から上は60歳以上の部まであります。女子もいくつかのカテゴリに分かれています。

 

-最近はかなりフットサルが盛んになっていますが、府中は昔からということですよね。

はい。今回が第29回大会だったので、29年前から開催されていることになります。当時府中には関東リーグに加盟して競技としてやっているチームが3つあり、そのチームの中に日本代表も何人か入っていて、そういった人達もそれぞれ仲間を集めて出場していました。サッカーを現役でやりつつ、僕もその大会に出たことがフットサルを始めたきっかけだと思います。コテンパンにやられて悔しかったのを覚えています。

 

-初めてフットサルに出会った時にはどういった印象を受けましたか。

衝撃でした。現役で大学のサッカー部でやっていたのである程度自信がありましたが、フットサル特有のセットプレーや戦術的なところで全く歯が立たず、もはや別のスポーツだと感じました。でもすぐにフットサルを本格的にやろうとはなりませんでした。ただ大学のサッカー部を引退した後にも趣味でフットサルは続けていて、Fリーグが創設されるという話も大学卒業の頃に聞いてはいました。

 

-そこから府中アスレティックFCに入った経緯を教えてください。

母校に行った際に中学生の時の体育の先生と再会したのですが、その方が府中アスレ(府中アスレティック)に所属していたんです。府中アスレには年齢別、レベル別などでいろいろなカテゴリがあり、先生はエンジョイレベルでプレーをしていました。それでチームを紹介してもらうことになってセレクションを受けることになったんです。

 

-その先生とは運命的な再会だったということですね。

そうですね。出会わなければアスレは知らなかったですし、セレクションを受けて入団することもなかったです。

 

宮田義人

怪我を通してフットサルに対する想いがより強くなった

 

-府中アスレティックに入ってから本格的にフットサルを始められたわけですが、苦労される場面も多かったのではないですか。

最初の2年間は怒られっぱなしでした(笑)パスを出す、シュートを打つなどの基本的な技術に問題はなかったですが、やはり戦術や動き、ディフェンスの仕方等を習得するまでに時間がかかり、その間は試合にもほとんど出られませんでした。でも丸2年が経過した頃からようやく徐々に出番が増えてきました。Fリーグが開幕する前の年のことです。明確に出番が増えたのは全日本選手権の時です。準々決勝で1ゴールを記録してから出場機会が増え、準決勝では2ゴール1アシストの活躍をすることが出来ました。

 

-その試合での活躍が1つのターニングポイントになったということですね。

そうですね。活躍が認められ、日本代表に呼んで頂く機会もありました。

 

-選手としてご活躍される中で、最近は怪我から思うようなプレーをできないでいらっしゃると思います。

2013年の9月の試合中に怪我をしたのですが、実は開幕の時から膝の調子がよくなくて、ずっとテーピングをしてケアをしながらプレーを続けていました。高校生の時からそれまで何度も膝は痛めていて、付き合いながらやってきたのですが、その日の試合でシュートを打った時に膝から音が鳴ったんです。これはまずいと思っていたら夜には大きく腫れ上がっていました。それでもアイシングをして何とか次の日の試合には出場しました。ただ試合の途中から痛くて出るのをやめました。検査したところかなり悪い状態で、12月に手術することになりました。手術は4〜5時間と結構長かったように思います。

 

-そして2014年の11月に復帰されましたが、約1年のブランクがありました。その間は相当苦しかったのではないでしょうか。

辛かったですし、長かったですね。一番辛かったのは手術が終わった日の夜です。とにかく痛かった。痛み止めを飲んだりもしましたが、効かなかったです。腹筋に力を入れると痛むので、寝返りすらできない状態でした。僕はそれまでに左足首を1度手術していて、他にも怪我の多い選手です。でもここまで大きなものは初めてでした。

普通に歩けるようになるまで長かったですし、リハビリも辛かったです。ギプスで固定していたので、それを取ってから動かせるようにするまでが大変でした。動かせるようになるためにマッサージをするのですが、固まってしまった筋肉をかなり強く揉みほぐしたり、皮膚を引っ張ったりしながら柔らかくしていくんです。それがまた痛かったですね。

 

-前と同じようにプレーができないかもしれないという不安もありましたか。

ありましたね。曲げ伸ばしだけでも痛いのに本当に以前のようなプレーを再開できるのか不安でした。リハビリをしつつも下半身はできませんが、復帰に向けて上半身のトレーニングはやっていました。

 

-怪我の間もチーム練習には参加されていたのですか。

チームの練習には参加せずに病院のリハビリセンターに通っていました。その後にスクールに行って、子供達に教えていました。松葉杖だったので一緒にプレーできず、言葉で伝えて指導していました。

 

-復帰されてからのコンディションはいかがですか。

まだ7割程度で、正直100%まではほど遠い状態です。腿前の筋力が弱いこと、踏み込みや一瞬のスピードはまだまだだと思います。

 

宮田義人

 

-怪我を通してプラスになったことがあれば教えてください。

フットサルに対する想いがより強くなったと感じています。まだやりたいという気持ちになりましたし、観戦に行った時にチームが負ければ悔しくて、怪我を通して自分はやはりフットサルが好きだと再確認できたように思います。ボールが蹴りたくて、走りたくてウズウズしていましたからね(笑)でもそれが復帰へのモチベーションになりました。

 

-これから怪我をして、復帰を目指すプレーヤーに向けてアドバイスはありますか。

僕の場合はかなり長いリハビリでしたが、気持ちが折れなかったことが大きいです。絶対に復帰する、Fリーグのピッチにもう一度立つという強い気持ちがあったからこそ、ここまでやって来られました。そういった目標を強く持ってモチベーションを維持していくことが大切だと思います。

 

【後編】へ続く

 

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