川村慶一郎。日本王者を支える闘将が語る、ビーチサッカーの魅力。
本日は、9月にはビーチサッカー大会を連覇した東京レキオスBSに所属するPIVO川村慶一郎さんにお越し頂きました。
ビーチサッカーを始めたきっかけ
――本日はよろしくお願い致します。まずはビーチサッカーをやろうと思ったきっかけを教えてください。
僕元々こう見えても新卒で新宿のIT会社のサラリーマンをやっていたんですよ。絶対意外と言われるんですけど。それまでは駒澤大学の体育会でサッカーやっていました。
――元々ITに興味があったのですか。
合同説明会とか行って20社くらい来て、体育会の採用があるじゃないですか。それで入りました。俺IT全然興味ないんだけどな、と思いながらも来なよと言われてその会社に入りました。その説明会をしてくれた人がその時住んでいた新百合ケ丘の人だったんですよね。僕もゆかりがあるので、それで親近感湧いちゃって(笑)
――それは何年続けたのですか。
1年9ヶ月くらいですかね。ちょうどリーマンショックぐらいの時です。僕らの同期とかはリーマンショックの影響で結構首を切られてるんですよね。1年目は新人王獲って旅行にも行けたんですけど、2年目以降カクッと下がりました。
――その当時もサッカーはしていたのですか。
関東2部のチームでやっていました。そこも1年目は試合に出られていたのですが、2年目になって全然試合に絡まなくなったんですよ。月〜金まで仕事しているのに、結構遠征が多い。それが非常に面倒で。試合のメンバーに入らないと球拾いとかしまう。もう嫌になって行かなくなりました。
今所属しているレキオスというチームは沖縄がメインのチームでした。初めは東京と沖縄に両方ありましたが、沖縄はなくなりました。そのチームに高校時代からの知り合いがいて、年末に会ってたんですよね。そこで誘われたのが、ビーチサッカーを始めたきっかけです。
――仕事やめてから収入はどうしていたのですか。
バイトです。その時に初めて本格的にバイトを始めたので、いろいろなことをやっていましたね。牛丼屋とか。パチンコ屋もやりましたが、10日間の研修で終わったりとか(笑)
――今練習はどのくらいの頻度でやられているのですか。
平日はほぼ毎日です。 練習以外にもスクールを開いたりしています。
――ビーチサッカーはシーズンは決まっているのですか。
試合が多いのは4、5月から年内いっぱいまでくらいですかね。
――それは冬は寒いからですか。
そうですね。日本は冬になるとサンドソックスというものを履いてやるんですよ。でも海外は全然違います。例えば今ロシアが強いんです。ドームの中に砂のコートがあって、そこで練習をしたりしています。もちろんブラジルとか強いんですよ。
勝ちを知ることができるのは一番の喜び
――ビーチサッカーの魅力は何ですか。
ここは、本当に実際に見て知って頂きたいところなのですが、アクロバティックなところです。オーバーヘッドやボレーシュートはサッカーで頻繁には出ないですよね。ビーチサッカーの場合、アクロバティックなプレーをする方が有利なんですよ。例えばオーバーヘッドしようとしている人に当たればその時点でファールなんです。だから、アクロバティックなプレーをした方が良い。
もう1つの魅力は、ゴールがたくさん生まれるところ。コートはフットサルくらいの大きさなんですけど、ゴールは少年サッカーくらいなので、キーパーからも狙えるというのがあります。格闘技まではいかないですけど、結構ボディコンタクトもバチバチやり合いますのでやる方も見る方も白熱します。
――プロを目指してずっとサッカーやっていたのですか。
はい。小学生3年の時から地元のサッカーチームに入り、中学はヴェルディ相模原というクラブチームでやりました。高校は駒澤の付属の高校です。大学の時にプロにはなれないな、と思いました。叶わないな…。と思っていた先輩がプロになっても試合に出られなくて1、2年で解雇されてしまうのだと知ってしまうと怖かったのだと自分を振り返って思います。
僕が行ったら評価されたのかもしれないですし、それは分かりませんが当時は一歩を踏み出せなかったですね。ただ社会に出て、いろいろなことを見てきて、分かったのが「万人にチャンスがある」ということです。ケガもしてないし、どこか受けたら分からないかもしれないし、やってダメだったらですよね、ってなりますけど。やってませんからね。でもなぜかサッカーは続けています(笑)
――それでもビーチサッカーのトップチームに居続けているんですからすごいですよね。
それは本当に周りに恵まれてます。僕小さい頃から自分がずば抜けているわけではなくて、チームが強かったんですよ。小学校の時は市でNo.1になっているし、クラブチームでは読売サッカークラブのイズムを知ることができましたし、高校サッカーに憧れていった駒澤の付属も東京都でベスト4くらいまで行っていました。
大学も隣で練習していたのもあってそのまま大学に上がりました。そこでまたサッカーに対する価値観も変わりましたね。小学生の時はサッカーの楽しさを知り、クラブチームでは読売クラブの教えやこだわり、やんちゃさも学び、高校では試合に出られない辛さ、やっぱり勝負の世界だということ、チームを思う気持ちを学びましたね。
――一番その中でも苦しかった時はいつですか。
大学ですかね。練習がきつかったので。
――今までで一番嬉しかったことは。
プレーに関していうと、どこかで優勝を経験をしていますね。勝ちを知ることができるというのは一番の喜びです。本当は自分が出て勝つというのがベストですが、それが叶わないこともありました。でも勝利の味を知っているというのは嬉しいですよ。あとは人間的に成長できたということです。
元々僕は人見知りだったんですよ。親父がサッカーやらせたかったみたいなんですけど、僕は団体に行くのが嫌だったんです。だんだん気分が乗ってきて行くようになったということです。サッカーをやってきて、いいことも悪いこともある中で打たれ強くなったんです。サッカーをやっているからこそ出会えた人もたくさんいますし、出会いの大切さを分かるようになってから心を開くようになりましたね。
――ありがとうございます。ここからプライベートについてお聞きしたいと思います。サッカーをやっていなかったら何をしていましたか。
何だろう・・・分からないですね。思いつかないくらいサッカーです。
――それだけサッカーと切っても切ることができないものがあるのですね。 オフの時間は何をされていますか。
みんなでワイワイすることですかね。何するわけではないのですが、人といるのが好きです。自分がいるコミュニティの人達といたいです。
――ご自身の魅力を教えてください。
若さです。結構学生に見間違われることも多いんですよ。サラリーマンをまだやっていたらもっと年を取っているように見えたと思いますけど。あと、意外な優しさ(笑)
――ギャップですね(笑)好きな異性のタイプは。
ハーフっぽい人と、むっちりしている人。性格的には、どこに行きたいとか自分から言ってくれる積極的な人がいいです。
――ビーチサッカーにおけるまめ知識があれば教えてください。
みんな黒くてチャラそうに見えるけど優しい・・・ということにしておいてください(笑)意外と真面目ですよ。
――最後に読者にメッセージをお願いします。
自分はサッカーが成長させてくれました。何度も辞めそうになることもありましたが、諦めない気持ちを持ってスポーツを共に楽しみ、盛り上げていきましょう!