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聖地・御嶽から悲願の五輪出場へ。4年後に向けて漕ぎ始めた吉田拓

2016.05.25 / 森 大樹

吉田拓

リオデジャネイロ五輪に向けて各種目の代表選考が進んでいるが、その夢舞台に届かない選手も、もちろんいる。

カヌースラロームの吉田拓選手もその一人。吉田選手は2009年に日本選手権で優勝し、以降日本代表に選出されるなど世界の舞台でも活躍。しかし、怪我もあってロンドン、リオと2度の五輪出場のチャンスを逃している。

それでも4年後の東京五輪へ動き出した吉田選手。カヌーの聖地・御嶽に住む彼に競技への想いと今の率直な気持ちを聞いた。

 

カヌー(スラローム):川の決められた区間内に設置されたゲートを順番に通過していき、そのタイムを競う競技。夏季五輪の正式種目。

 

 

ジュニア日本代表入りが競技を続けるポイントに

 

-まずはスポーツ経歴とカヌーとの出会いから教えてください。

基本的にカヌーしかやっていないです。父がカヌー好きで、僕も6、7歳の頃に初めて乗せてもらいました。なので、実はその時のことは覚えていません。本当に自然に、いつの間にかやっていたという感じです。

父は他にもスキーやスノーボードが好きだったので、その影響で僕もやっていたことはありますが、それ以外のスポーツはほとんどしたことないです。強いて挙げるとすれば、今もカヌー仲間とオフシーズンにバスケットボールをするくらいですかね。バスケットボールで夢中になって走ることでカヌーだと上がり切らないところまで、心肺機能を使うことができるので、他の競技とクロスさせてやることも大切だなと感じています。

 

-カヌー競技はあまり部活としてやっているところも多くないように思いますが、学生時代はどのように活動していたのですか?

その通りで、部活はないのでほぼ一人で、学校の裏にあるため池や地元の木津川などで練習し、週末になると父と琵琶湖の下にある瀬田川というところまで行っていましたね。瀬田川は他にも関西のパドラーが集まってくる場所なんです。そこでカヌーのクラブチームの人に教えてもらったりしていました。

そして高校2年の時にジュニアの日本代表に選ばれ、世界選手権に出ました。結果は散々で悔しい思いをしましたが、その時に今もコーチをしてもらっている安藤太郎さんや他のライバル選手とも出会っています。彼らにすごく刺激を受け、それが関東に出てくるきっかけにもなった出来事の一つでしたね。

その頃から御嶽にも来ることはあって、こちらでも教えてもらえる環境はありました。カヌー界は人口が少ないので、みんなで情報をシェアし合って、うまくなっていこうという文化があります。いろいろな人に助けてもらいつつ、自分の中で情報を整理して取り入れていくということはやっていました。

御嶽は昔からカヌーをやる人が集まっていたので、競技の歴史も古いですし、青梅市としても応援してくれています。選手もたくさんいるので、その中で切磋琢磨できるという良さもあります。

 

吉田拓

一度日本一になった以外、悔しい思いしかしていない

 

-競技の魅力を教えてください。

追求し続けられるところですかね。とにかくこの競技、難しいんですよ。常に変化し続ける川の中で道具を使って、コンマ何秒もしくはそれ以下を競っているわけですから。

ゲートのくぐり方も何通りもあって、まだ誰も思いついていないような方法もあると思います。そういう意味では世界一の選手よりも速くなれる可能性を、僕も含めた選手全員が持っているというのは面白いところです。

 

-今までで一番嬉しかったことは?

やはり大学3年の時に日本一になったことです。逆にそれ以外は悔しい思いしかしていないです(笑)

前の年までは日本一にかすりもしないぐらいでしたが、そこで自分のスタイルを見つめ直し、改善に取り組んでいった結果がその大会に出たという感じでした。父親に優勝の報告をした時は電話の向こうで泣いていましたね。

ゴールした後は乳酸が溜まってくるのできついはずなのですが、その時のようにうまくハマった場合は今からもう1本いけるくらいの体と心の余裕ができるんです。「ゾーンに入る」じゃないですけど、僕の場合も結果的にそういう状態にあったということでしょうか。

 

-逆に辛かったことを教えてください。

昔から五輪に行きたいという想いは持っていて、実際にロンドン五輪、リオ五輪と2回狙えるチャンスはありました。その中でも一番辛かったのは昨シーズンで、日本代表選考からも落ちてしまいました。それには肩の怪我があったりしたからなのですが、それを言い訳にして不安要素を持ったまま競技に臨んでいたんです。

でもリオ五輪に向けて、本当に多くの方が応援してくださっていて、地元・京都では後援会をつくってくれて、クラウドファンディングで支援をしてくれる人もたくさんいました。だから、そんな中で代表選考から落ち、世界選手権に出場して五輪の枠を争うことすらできなかったのは本当に辛かったです。

ロンドン五輪は自分のために出場したいと気持ちが強かったですが、リオ五輪はそれだけでなく、応援してくれる人のためにも行きたいと思っていたので。

吉田拓

今年4月の日本選手権(NHK杯)で2位に入り、日本代表に復帰。

 

-次に向けて、切り替えはできていますか?

そうですね。それでも応援してくれている人がいるから続けてこられています。もちろんスポーツ選手としては結果が全てだと思いますが、応援してくれている人の中には必ずしもそういった価値観だけではなく、一人の人間として支えようとしてくれている方もいます。これは負けたからこそ、気付くことができたと思っています。

実は4月に負けた時に一度「辞めたい」と思ったことがあったのですが、それだけでは不完全燃焼だったので、すぐに1人で海外に出たんです。1度、カヌーしかない環境に身を置くことで自分を見つめ直そうと思ったからです。ヨーロッパのトップパドラーと漕いだことでまだやれる、そう思えたこともよかったんだと思いますね。

 

-今後の目標を教えてください。

まずは東京五輪を見据えて、そこを目指していくための環境づくりをしていこうと考えています。

 

-吉田さんが現状、選手として足りない部分はどこだと思いますか?

ここ一番で勝つためのメンタルが足りないと思います。精神的な部分の強さがあれば多少コンディションが悪くても、力を発揮できるでしょうから。

 

-元々緊張するタイプということですか。

ほどよくします(笑)試合に臨む上でのルーティーンもできているので。

カヌースラロームは1分間隔で選手達がスタートしていきます。それまではコースのシミュレーションなど、様々なことを想定するのですが、スタート台に立って自分の番を待つ、その1分間で深呼吸すると共に考えていたことを全て吐き出し、「無」の状態になるようにしていますね。

 

-逆に勝負できると感じている部分はどこですか?

体のポテンシャルが高いことです。一瞬の判断に対して体が早く反応してくれることは強みですね。今年はフィジカルの強化にも取り組めているので、ポテンシャルの部分とかけ合わせていければと思います。

 

吉田拓

 

トップ選手からの金言は『あらゆるストレスをなくすこと』

 

-人口の少ないスポーツは国内外を問わず、トップ選手との距離が近いという話をよく聞きます。

カヌーでもそうで、世界のトップ選手でも誰一人威張っていないですね。ロンドン五輪の金メダリストのダニエレ・モルメンティ選手なんかもすごいウェルカムで、練習や食事を一緒にすることもありますし、家に招かれて泊まったこともあります(笑)

きっと“カヌースラロームファミリー”という意識が競技をやっている人の中にはあるんだと思います。

僕は海外の大会で特にダメなことが多くて、選手達に何が試合の臨む上で一番大事なのか聞いた時もみんな考えて答えてくれました。

 

-その中で一番腑に落ちた答えは何ですか?

やはりダニエレの回答ですかね。彼は『できる限りストレスをなくすこと』と言っていました。そのストレスというのはゲートの通り方やタイムの削り方はもちろん、前の日によく眠れたか、いい食事をできたか、周囲との人間関係はどうか等、あらゆる不安要素を含みます。それを持っていると、勝敗を決める一瞬の判断のスピードが速くなったりするから、できる限り0(ゼロ)の状態で試合に臨むことが一番大事だという話でした。

 

-実際にゲートの通り方やタイムの削り方まで考えないようにすることはできるんですか?

もちろん何も考えないのではなく、迷いのない状態にしておく、ということです。あの波を使うかどうか、ゲートを右左どちらから回るか、などの選択を予め決めておけば迷いが出ないで済みますよね。

 

-事前に戦略を立てておくことが必要なんですね。

はい。競技は基本的にコンクリートで作られた専用の川で行います。事前にそのコースで練習もできるのですが、ゲートはそれが終わった後に設置されるので試合と全く同じ環境で乗ることはできません。ゲート設置後はデモンストレーターがコースを1回漕いでいるのを見て、あとは頭の中でシミュレーションをして、レースに挑みます。

でも実は日本にはコンクリートで作った人工コースがないんです。でも世界選手権は海外のそういうコースで行われるので、日本人は不利な側面もあるんです。人工コースの方がギャラリーが観に来やすいというのもありますし。

東京五輪に合わせて都心に人工コースを作るという話も出ているので、そこで世界で戦える選手が生まれていけばいいな、とは思っています。

 

【後編へ続く】